追っ手
カイは懐から、薄紅色の石盤を取り出した。
「……真西へ、五日か。そう大変なことじゃない。行くぞ!」
こうして、一行は鉱物の都を後に、翼のない人々の残した廃墟へ向かって飛び立った。
半日も飛ぶと、視線の先に、卓状の岩場が見えてきた。
が、そこに、三人は意外なものを見た。
翼族だ。
見張りらしき者が二人、岩の上に立ってこちらを見ている。
岩場の先には、複数の天幕が立てられていた。その間に、二、三十人近い剣士たちが屯していた。
見張りは、三人に気づくと、すぐに天幕の一つに駆け込んだ。
間を置かず、四人の人物が姿を現した。灰黒色の角鷹翼、黒に白の交じったコンドル翼、純白の白鳥翼、そして青みがかった灰褐色の隼翼……。四人は空中の一行の様子を窺うようにこちらを見ている。
「あら、四天王じゃないの!」とピコが叫んだ。「アタシでも知ってる野蛮な飛武術家四人組!」
「……まさか、梟卿が四天王を送ってよこすとは思いませんでした。どうします、皇子?」
「とりあえず、下りるしかないだろう。このままで逃げ切れるとも思えん」と、カイは仏頂面で答えた。
三人が下り立つと、地上にいた者は皆、一斉に片膝をついた。四天王が其々に名乗り、コンドル卿が「お迎えに上がりました」と締め括った。
「どうやって俺が此処にいると知った?」
「皇帝陛下は、何もかもご存知であらせられます」と、コンドル卿が答えた。
「……爺の奴、もっと上手く誤魔化せばよいものを」と、カイが苦々しく言った。
そのカイの言葉に、コンドル卿の表情が険しくなった。「あまり軽々しく、そのようなことをお口になさらぬほうがよい」
「本当のことだ。父上も大げさに騒ぎ過ぎだ」
「陛下はたいそうお心を痛めておいでです」と、隼卿が鋭くカイを戒めた。
「わかっている。が、気が済めば、俺だってちゃんと国に戻る。あと二週間ほどで良い。父上には後で俺から話すから、もうしばらく放っておいてくれ」
「なりませぬ。事態は深刻なれば、くれぐれも軽々しくお考えになられませぬよう」
カイはむっとして、「何が深刻だ」と言った。
鷹卿の目が光った。「深刻ではない、と仰せられる?」
「当たり前だ。ばかばかしい」
白鳥卿が無言のまま、カイの母に似た美しい顔を悲しげに歪めた。
「よほど、御自覚が無いと見える」と、鷹卿が、冷ややかに言った。
カイは仏頂面で、ハルとピコを振り返った。「おい、埒があかん。せっかくここまで来たんだ。行くぞ」それから、四天王に向き直り、「通せ」と言った。
が、四天王は動こうとしなかった。カイの頭に血が上った。
「通せ!」
「皇子、すこし落ち着いて下さい。何だか様子が変です」
ハルが宥めようとしたが、カイは「うるさい」と、それを振り払って刀を抜いた。「そこをどけ!」
四天王の後ろで控えていた剣士たちが、響めいた。それをさっと制して、四天王が立ち上がる。鷹卿がゆっくりと前に出て、すっと刀を抜いた。
脅すだけのつもりだったカイは少し面食らった。
「行かせるわけには参りませぬ」鷹卿は、静かにそう言ってカイに刀を向けた。
「何だと!」
カイは、カッとなって飛びかかっていく。鷹卿も引かない。二人は剣を交え始める。
コンドル卿が、冷静に配下の剣士たちを下がらせた。
ハルは、あまりのことに言葉が出なかった。
勅命とはいえ、身柄を拘束する為とはいえ、カイが熱り立っているとはいえ……四天王が、皇太子に本気で刃を向けるとは!
ハルがやっと我に返ったのは、隼卿と白鳥卿が駆け寄ってきた時だった。
「何をしているんですか! 早く止めてください! 何か誤解があります。まずは話を! 皇子は頭に血が上っているだけだ。このままじゃ、鷹卿は、皇子を傷つけかねない!」
ハルがそう叫んだ、その時だ。
鷹卿の刀がカイの右上腕部を切った。血が飛び散り、カイの白翼に真っ赤な飛沫の跡を作った。さらに刀がひるがえり、カイの両翼を貫いた。均衡を失ったカイの身体が、ゆっくりと地上に落ちていく。鉱物まじりの砂が、強い日差しに白く鈍く反射している。その上に、カイの体はどさりと落ちた。
「……皇子!」
ハルは絶叫して駆け寄ろうとしたが、白鳥、隼の両卿がその身体を押さえ込んだ。
鷹卿は血振りし刀を収めると、地上に降り立って、「医師を!」と叫んだ。それから、コンドル卿に歩み寄りひそひそと言葉を交わし始める。
カイは、地上に倒れたままピクリとも動かなかった。両翼の傷口からは血が滲み出し、白い羽の上にじわじわと広がっていく。
「放せ! 皇子!」
ハルは身を捩って、両卿の腕から逃れようとした。
「殿下の傷は深うはござりませぬ!」
白鳥卿が、ハルを宥めようと声を上げ、隼卿が言葉を続ける。
「これ以上、ご抵抗にならぬよう腱を傷つけただけ!」
しかし、それを聞いたハルの目が、怒りで燃え上がった。
「抵抗? 抵抗ですか? 一体、誰が、殿下を蔑ろにし、このような無茶をさせました?」
そう言い放つと、ハルは、突然気を失ったように全身の力を抜いた。驚いた両卿の手が緩んだ一瞬に、掴まれていた両腕を引き抜き、駆け出して捕縛から逃れる。
隼卿が鋭く叫んだ。「継承君をお止めしろ!」
すぐに、数人の剣士たちがハルの前に立ち塞がった。しかし、ハルは驚くほどの速さで剣を抜き、駆け抜けざま一気に三人を打ち倒した。二人は額を、一人は鳩尾を強打され、地面に崩れ落ちる。残りは呆気に取られてハルが走り抜けるのを見送った。
カイに駆けよったハルは、側にいた鶴翼の医師を切っ先で制し、凛として「下がれ」と言った。その声には有無を言わさぬ威厳がある。医師は、命に従うしかなかった。
その間、その場にいた全員が、呆気にとられてハルを眺めていた。誰も、この優しげな少年神官が、これほどまでに見事な剣術を使うなど、想像もしていなかったのだ。
ハルは急ぎ剣を収めると、カイを抱き起こした。カイが、ゆっくりと目を開けてハルを見る。それから、左手を傷口から離し、懐から何かをとりだした。血染めの手が、それをハルに押し付ける。ハルは無言のまま頷いた。
と、四天王が我に返り、口々に叫んだ。
「急げ! 逃がしてはならぬ!」
同時に、ハルがファラドを呼んだ。駆け寄ってくる剣士たちの輪を蹴散らすように、白い大鳥が舞い降りる。ハルは、カイを抱えるようにして大鳥の背に乗り、銀色に光る粉を空中に撒いた。粉はきらきらと輝きながら、少年二人と大鳥を包む。
すぐさま、白い大鳥は翼を羽撃かせ舞い上がった。が、なんと、その姿が徐々に薄れていく。そして、空へと飛翔を始めた頃には、乗り鳥の姿も少年二人の姿も消えてしまった。ただ羽音だけが遠ざかっていく。
残された四天王は、唖然として空を眺めているしかなかった。
暫くしてから、コンドル卿が口を開いた。「どうやら、我々は想像以上に厄介なお役目を賜ったようだな」
「確かに、ただ殿下を国にお連れするというだけでは済むまい」鷹卿が同意し、白鳥と隼の両卿をちらりと見た。「大体、お主ら二人は、甘すぎるのだ」
「何?」隼卿が眉を顰め、奇妙な緊張が、二人の間に走った。
が、「今は仲間割れをしている時ではありません」と、柔らかく白鳥卿が口を挟む。
「誰も継承君があれほどの使い手だとは知らなんだしな」と、コンドル卿も続けた。
「……殿下も相当な使い手のようだ。少年二人とはいえ、より慎重になるに越したことはない。私が言いたいことはそれだけだ。誤解するな」と鷹卿は淡白に言った。
その時、剣士の一人が、宮廷役者の姿が消えていると報告に来た。
「唯一の手がかりも逃がしたか。迂闊だった」と、コンドル卿が舌を打つ。
「……さて、どうする?」と隼卿。
「ともかく、このことを国に知らせましょう」と、白鳥卿が答えた。
「我々は、最初の指示どおり、西へ」と、鷹卿が締め括った。
* * *
ここで、一度、時を遡り、話の舞台は翼族の国へと戻る。時は、皇覧大会決勝が行われた日から数えて七日目の晩の事だ。
実は、二人が水の国へと旅立った直後に、ある深刻な事件が起っていた。そして、翼族の国は、まだその混乱から抜け出していなかった。
暗い顔をした皇帝が、執務机に向かっている。扉が開き、そこに一人の男が入ってきた。
「お加減はいかがです、陛下?」
「……良い」
「安堵いたしました。しかし、陛下のご心痛の程、お察しいたします」
「……うむ、……全ては、皇太子の仕業ゆえ」
「御意。しかし、状況は急変してございます。どうやら、これは、四天王と呼ばれる四公爵家の若者たちの、皇家鷲族に対する謀反かと思われまする。皇太子殿下を陥れんとする巧妙な企て。それが、我々の最も新しい見解にございます」
「……四天王と呼ばれる者たちが、謀反を企て、皇太子を陥れようとしておる......」
「御意。陛下のご意向として、発表いたしましても、よろしゅうございますか?」
「……構わぬ」
「すぐに、手配いたしましょう。さあ、陛下、もう晩うございます。お体に障りますゆえ、どうぞもうお休み下さいますよう。後の準備は、全て私が引き受けましょう」
男は、優しく告げると人を呼んだ。すぐに燕翼の小姓が数名入ってきた。皇帝はゆっくりと立ち上がり、燕翼の小姓たちにつき従われて、執務室を出て行った。
一人きりになると 男は早速皇帝の執務机に着き、文書を認め始めた。
ややあって、再び執務室の扉が開き、別の男が一人忍び込んできた。
「……懐かしい姿じゃ。変わらぬのう」
机に向かう男は、侵入者にちらと目をやると、手を止めずに淡々と返した。
「このような処においでになるとは」
「良いではないか。会えて嬉しくはないのか」
「軽々しく歩き回られて、誰に鉢合わせるか、わかったものではない」
「この部屋には、おぬししかおらぬと分かって出てきたのじゃ」
執務机の男は、返事をしなかった。侵入者は、怪訝な顔をして執務机の男を眺めた。
「わしがおぬしを随分好いていることは、よもや忘れてはいまいな」
「ならば、その私の言葉をもう少し重んじて頂きたい。今は、あまりことを荒立てぬよう、書状にて何度もお願い申し上げたはず。大事には至らなかったが、あなたの気紛れは、既の所で、全てを台無しするところだったのです」
「なんじゃ、その物言いは」
侵入者は不快そうに声を荒げたが、執務机の男は、淡々と作業を続けたまま、返事をしなかった。
「少々、変わったようじゃのう」
侵入者は窓辺に立ち、筆を走らせる男をしげしげと眺めた。
やがて、全ての文書に皇帝の印を押し、封をすると、執務机の男は、初めて真面にもう一人の男と向き合った。
「あなたは、まったく変わっていらっしゃらない」
侵入者は鼻を鳴らした。「なんじゃ、変わって欲しかったか」
「お父君をどうされました?」
「あれは、事故じゃ、事故」
「事故か。いかにもあなたらしい言い訳だ」
すると窓辺の男は、再び声を荒げた。「もう済んだことではないか! 何故、そのようなくだらぬことばかりを言うのじゃ!」
「……くだらぬことではござりませぬ」と、執務机の男は、静かに返した。「確かに、既に済んだことは、もうどうでも良いのです。が、この件に関しては、今後、同様の気紛れはお控え頂かねば困る。でなければ、もうこの話はなかったことにして頂きたい」
「なんじゃ、あれしきのことで怒っておったか。分かった。もう気紛れは起こさぬ。機嫌を直せ」
「その御言葉、決してお忘れなきよう」
「分かっておる」窓際の男は、おざなりに答えてから、探るように執務机の男を見やった。「して、これからどうするのじゃ?」
「我々も、直ぐに西へ向かうのがよろしいでしょう。今、国ですべきことはござらぬ。……蛾の長はお連れ頂きましたか」
「神社に待たせてある。あれをどうするのじゃ」
「ここで私の身代わりになってもらう。よろしゅうございますか」
「勝手にするが良い。あれは、おぬしのものじゃ」
「隠宅の動きはどうなっています」
「とくに報告はない」
「隠宅の見張りを決して欠かさぬよう。何か少しでも動きがあれば、直ぐに連絡を遣させることです」
「分かっておる」窓辺の男は、執務机の男に歩み寄りぐっと肩を掴んだ。「もっとよく顔をみせよ」
執務机の男は、身動ぎもせず相手の目を見返した。
侵入者はにやりと笑った。「なんじゃ、おぬしも、やはり、変わってはおらぬ」
一瞬の間があり、その後で、執務机の男が答えた。「……持って生まれた性質など、そう簡単に変わるものではない。変わろうなどという試みは、所詮、偽の仮面を被るのみに過ぎぬ。それに、その仮面も今は随分と薄くなっているのでございましょう」
「おぬしが、わしの傍におったのが、つい昨日のことのようじゃ」ふと、無邪気に嬉しげに、侵入者の男が言う。
が、執務室の男は、淡白な声で返した。「昔話は、西へ向かう天幕の中でうかがいましょう」
侵入者は苦笑しながら、「よかろう」と肩をすくめた。
それから、男たちは影が動くように、静かに密やかに、皇帝の執務室を後にした。
* * *
再び、時計の針を先に進める。カイが鷹卿に切られた日の、翌朝のこと。話の舞台は、四天王の一行が待ち受けていた鉱物の都の西方の岩場から、更に真西へ半日ほど離れた洞窟の中だ。
目覚めた瞬間、カイの目に飛び込んできたのは、岩天上だった。
空間はぼんやりと明るい。ゆっくりと起き上がり、カイは辺りを見回した。
(……ここは、どこだ?)
洞窟の入り口を塞ぐように、ファラドが体を丸めて眠っている。ハルは、カイの直ぐ横に座り、岩にもたれるようにして寝息を立てていた。
ふと目をやった先に、上着が干してある。右腕の部分が切り裂かれたままだ。
カイの頭に、少しずつ記憶が蘇ってきた。
右腕と両翼の、焼けるような鋭い痛み。ハルの真っ青な顔。赤竜の透明粉をハルに渡したこと。ファラドの背に揺られ、飛行する感覚。ハルに抱えられるようにして、どこかへと入っていく感覚。それから、何かを飲まされ……。
と、不意に、カイは体の痛みが消えていることに気付いた。見ると、右腕にも翼にも傷が無い。
その時、ハルが目を覚ました。
「……皇子! 具合は?」
「悪くない」
「腕も? 翼はどうです?」
「大丈夫だ」怪訝そうにカイが腕をさすった。「......切られたと思った」
「切られましたよ」
「傷が無いぞ」
「ええ、そうでなければ困ります」
「俺は、一ヶ月も眠っていた、」
「わけないでしょ。一日です」
「なんだかよく分からん」
「僕には分かります」
「何がどうなってるんだ?」
「皇子、水の都で、水王の予見者の目を見ましたね?」
ハルの言葉に、カイはハッとした。
「そうか、死の予見......」
確かに、あの時、予見者の両目の色が違う、と思った。カイは予見者の目を見ていたのだ。
水王の予見者は、砂漠のような場所で、カイが白銀の光に囲まれ、刀で身体を貫かれているところを見たのだという。水王の使者が、別れ際、ハルにそれを告げ、渡したのが、飲めばどんな傷でもたちどころに治してしまうという水王の秘薬、癒命水だった。
「……じゃあ、俺が、この旅の間に、切られると知っていたんだな?」
「ええ、正直、僕の目の届かないところで切られたらと思うと、旅の間、気が気じゃありませんでした。癒命水は、息のあるうちに飲ませないと効果がありませんから」
とにかく、無事に済んで良かった、とハルが深い安堵の溜息を吐いたとき、冬祭り以降、カイの心のどこかで燻っていた、ハルに対する僅かな不信が消えた。
カイは、低い声で一言「……礼を言う」と言った。
ハルは屈託ない調子で、「僕は、皇子に死なれては困るんですよ」と笑った。「それに、うまく逃げられたのは、皇子が赤竜の透明粉のことを思いついてくれたおかげです。あれがなければ、すぐに後を追われて捕まっていたでしょうから」
「……思わんところで役に立ったか」と、カイも笑った。随分久し振りの、腹の底からの笑いだった。
ハルによれば、透明になっている間も、互いの存在は確認することができたという。ただし、効果は一時間くらいで消えてしまったそうだ。
「……これから重宝するかもしれんな」とカイが呟いた。
ピコの行方は分からないままだった。四天王に捕まったかもしれないと、二人は思った。四天王の真意も分からなかった。カイを切ってまで国に連れ帰らなければならない理由が、二人にはどうしても考え付かなかった。
「……まあ、国に帰るのは、この石盤の廃墟を見てからでも遅くはない。気にはなるが、せっかくここまで来たんだ」
「そうですね。とにかく行ってみましょう」ハルも、そう言って頷いた。
そうして二人は、薄紅色の石盤に書かれた通り、真西へと旅を続けることにした。




