鉱物の都〜星は永遠に輝く
鉱物の都への飛行は、気楽なものだった。
持ち物は全て、竜が用意してくれた長持に収められ、それをファラドが運ぶ。それに、鉱物の都に属するという荒原は、昼夜ともに肌寒いくらいで、飛ぶのにはちょうど良い気候だった。
一行は平原を一気に北へと飛び、翌日の日没の頃には、鉱物の都の城壁前に辿り付いた。
鉱物の都は円形の都市で、高い城壁に囲まれている。城壁の周辺は、すでに砂漠に近かった。様々な種類、形の鉱石が、辺り一面に散らばっている。
ハルは鉱物の都を知っていたらしかった。
「僕の仕事の管轄からは外れるので、あまり詳しくはないんですが、賢者族とは古くから交流があります。そういえば、あの神庫に収めてあるものも、多くがこの都からきているんです。この石盤もそうと気付かなかったのは迂闊でした」
ハルはファラドから下りて、巨大な門の右手にある見張窓まで歩いた。
そこに大きな取っ手があり、ハルがそれを引くと、幾千もの鉱石がぶつかりあうような、澄んだ音が響きわたった。すぐに、見張窓が開いた。
「東にある翼族の国の住人三名。私的な訪問ですが、市長と十二議員にお会いしたい」とハルが言った。
すると、見張窓が閉じ、続いて青銅の大門がゆっくりと開き始めた。やはり、たくさんの鉱石がぶつかり合うような音が響き渡った。
やがて開いた門の先に、鉱物繊維のような光る白髪をした、すらりとした人物が二人立っていた。門番だったが、二人とも全く血の気がない。当然と言えば当然で、この都の住人は全て鉱物で出来ている。二人は、「市議場にお連れいたします」と、きれいな翼族の言葉で言って、翼族の訪問者を先導し歩き始めた。
都の中に足を踏み入れた瞬間、カイは、奇妙な、チリチリとした感触を肌に感じた。都の中は、空気さえも鉱物的だ。かすかにキーンと言う金属音も響いていた。
実のところ、生物がこの都に滞在できる最長期間は、一ヶ月だ。それ以降、細胞は鉱物化してゆくが、それには激しい痛みが伴うと言われている。
一行は、石畳の通りを歩いたが、そこに、まったく人気は無かった。これは、鉱物の都の住人が夜に働くからで、日没前のその時間は、まだ「早朝」ということになるからだった。
しばらく行くと、正方形の広場に出た。鉱物の都の中心部で、惑星広場と呼ばれる広場だ。
中央に方尖塔に似た塔が立ち、その先端には、惑星が螺旋状に配置された美しい模型が置かれている。
広場に入った左手に、建物が二つ並んで立っている。門番によると、手前にあるのが瞑想館で、市民が思索に耽る場所、奥が研究所だという。
広場を挟んだ左手に立つ建物が、博物館と図書館。
広場正面には、立派な薄茶の建物が立っているが、そこが鉱物の都の市議場で、一行の最終目的地だった。
門番の一人がファラドを連れ、広場を横切って去っていった。もう一人が、三人を市議場の待合室へと案内した。
この都では、客に振舞われるものは本だった。
翼族の言葉で書かれた薄い鉱石製の本が振る舞われたが、その殆どが天文学と時に関するものだった。ハルが、「僕たちの国の時間や暦も、この都で定められているそうです。と、いうよりも、大草原の東側に位置する殆どの国々でそうなんでしょうね」と言った。
何故か三人とも厳かな気持になって、薄い鉱石で出来た本を、静かに読み耽った。
暫くして、三人は中央議場へと招かれた。
中央議場の中央には円卓があり、その中央に、巨大な金剛石の地球儀が据えてあった。
勧められるまま、三人は席に着いた。
カイの真正面に座っているのが市長、その左右に六人ずつ、議員が円卓に座している。威厳ある姿の十三人で、その瞳が神秘的だった。黄玉、翠玉、蛋白石、青玉、黒曜石などで出来ている。全員が、白か灰の鉱物繊維の髪をしており、あるものは口髭を、あるものは顎鬚を蓄えている。市長はどちらも蓄えていた。
市長が口を開いた。
「遠い所を、よくお越しくださいました。暦に関して、ご質問がおありか。それとも、もう一つの件に関して、」
「いえ、どちらでもありません」
ハルが市長の言葉を遮り、カイから石盤を受け取ると、隣に座る議員に手渡した。
「この石盤は、この都で作られたものではありませんか」
議員たちは、其々石盤を確認しながら手渡していった。やがて市長の手に渡り、自ら石盤を見た市長が頷いた。
「確かに、我々が作ったものです」
ハルとカイは顔を見合わせ、ハルが市長に向き直って続けた。
「実は、そこに記された、翼の墓場というものが今も存在するのか、それと、この石盤が何の為に作られたのかをお聞きしたいのです」
市長と十二議員たちは、低い声でしばらくの間言葉を交わしていたが、やがて議員の一人が次のような返事をした。
「翼の墓場と呼ばれる場所が、未だ存在するか否か、正確にどこに存在するのか、それは我々にもわかりません。しかし、それが属すると考えられる、都の廃墟は、かつて栄えた場所に、まだ残っている。この都の西門より出て、そこから真西へ四、五日行けば、間違いなくこの石盤に描かれた景色に行き当たるでしょう」
それから、市長がゆっくりと付け加えた。
「そして、この石盤は、以前、御身の国からやってこられた若者の為に、我々がお作りしたもの」
* * *
三人は、鉱物の都で一晩の宿を借り、明朝、砂漠の廃墟に向けて出発することにした。
案内に連れられ、市長の用意してくれた宿に向かう途中に、天体観測所があった。案内の厚意で、カイとハルはそこを見学することになった。ピコは、疲れているからと、二人を置いて、先に宿へと向かった。
案内がカイとハルに見せたのは、巨大な天体望遠鏡だった。銀河を観測していたという研究者が、二人にその望遠鏡を覗かせてくれた。そこに見えた、ゆるやかな渦巻き型の銀河の雄大さに、二人は感嘆の声を上げた。
「我々の星から、二百二十万光年、離れているのです」と、研究者が言った。
二人は、未知の数字に驚いて顔を見合わせ、もう一度、かわるがわる望遠鏡を覗いた。
「こういうものに比べると、俺たちなんぞ、本当にちっぽけなもんだな」
カイが呟き、ハルも「……そうですね」と同意した。
しかし、研究者はこう答えた。
「あなた方が、あなた方自身をどうとらえるかによるのです。我々は、あなた方の内側にも広大な宇宙があると信ずる。そこに、また別の、奥深い神秘が横たわっている」
カイもハルも、目をぱちくりとさせるばかりだったが、案内が、静かな笑みを浮かべながら言葉を継いだ。
「考えるは、我等が仕事。そして多分、生きるが、あなた方の仕事なのでしょう」
観測所を出て、カイとハルを宿に送り届けると、案内は仕事へと戻って行った。市議場で、文献管理をしているのだという。
宿の外に、ファラドが繋がれていた。
ハルが落ち着かない様子の愛鳥を宥めた。
「ここの空気は、ちょっと特殊ですからね。透明すぎて、生き物にはあまり向いていないんです。乗り鳥は敏感ですから、身体が強張るのを感じて、落ち着かないんでしょう」
ハルが、鳥の長い首を優しく撫でながら言った。
カイも、首を回しながら、「俺も、首ががちがちだ」と呟いた。
「皇子の野性度は鳥並だということですね」と、笑いながらハルが即答する。
「……お前、ピコに似てきたぞ」
仏頂面のカイを、「まあまあ、冗談ですから」と宥めながら、「それにしても、誰なんでしょうね」と、ハルが続けた。
「石盤を作ってもらった奴か?」
「ええ」
市長が語ったところによると、その若者は、かつて栄えたという無翼の人々の国に関する記録を捜し求め、四半世紀近く前のある時、突然、訪ねてきたのだという。ハルはもっと詳しいことを聞きたがったが、市長は『……件の若者は、自らやお連れのことを国の方々に伝えられることを、ことさら嫌がった。我々も、できる限り他言はしないことを誓いました。今、こうして話をしていて、改めてその誓いを思い出しました』と言って、それ以上を話そうとはしなかった。
「賢者族か?」
「……もし翼を探しているのであれば、当然、その可能性が高いですね」
「そういう話を聞いたことはないのか?」
「ありません」
「国から派遣された……わけじゃなさそうだな」
「まあ、名乗らなかったり、口止めをしたりしているんだから、まず公用ではないです。多分、抜け出したんです。僕たちより、よっぽど慎重ですよ。僕たちはこれまで名乗り放題ですから」
「誰か、そういうことをやりそうなのはいないのか?」
「そうですねえ、祖父が若い頃、無鉄砲だったという話は聞いたことがありますけど……正確にどれくらい前かによりますね。市長の話だと、二十年から二十五年くらい前のようですが、祖父だったら五十年以上は前のはずです。まあ、ここに来た時の年齢にもよりますけれど」
「二、三十年前に俺たちくらいの年だとすると、今は、三、四十代か。誰がいる?」
「この間、皇子と一緒に武術の稽古に出ていたのは、半分くらいその辺りの年齢ですよ。ええと、オミ卿が三十七かな? 他の賢者族に比べると無鉄砲な所はありますね。でも、隠れてこういう無茶をしそうなのは、むしろガル卿です」
「へえ」
「目的が研究だとすると、ラキ卿かな。叔父という可能性もありますね。三人とも三十代半ばです。あと、右家に何人か、西方の史料集めに熱心な人たちがいます。右家は、鉱物の都との外交を担当してもいますし。……ただ、皆、若い頃に国を抜け出すようなことをしそうか、というと、疑問ですけれど」
「ともかく、石盤が国にあったんだから、最終的には国に戻ったということだな。翼の墓場は見つけたと思うか?」
「さあ、なんとも……」と言って、ハルは一度言葉を切った。「……まあ、いいんですけどね。いったい誰がそんなことをしたのか、ちょっと気になっただけです」
「とにかく、廃墟に行ってみればいい。そいつらもそこに行ったはずだから、何か手がかりが残っているかもしれない」
「そうですね」と、ハルも素直に頷いた。
宿の主人は黒曜石の目をした、鉱物の都の住人としては優しげな姿の人物だった。が、鍵を受け取った時、何気なく触れた手が石のように冷たかった。それでカイは、都の住人の身体が本当に鉱物で出来ていることに、妙に納得したのだった。
案内された最上階の部屋に入ってみると、先に来ているはずのピコの姿がなかった。ハルが寝室を確認したが、そこにも見当たらない。カイが大声で名前を叫んだ。奇天烈な役者的芸術的理由により、戸棚の中か寝台の下にでも隠れているかと思ったからだ。
が、返事は戸棚の中ではなく、窓の外から返ってきた。
「ここよ! 屋上!」
二人は顔を見合わせた。
カイは、直ぐさまハルを抱え上げ、ひょいと窓から飛び下りると、翼を広げ羽撃かせ、上昇して屋上に下り立った。
ピコは屋上の柵に寄りかかって、のんびりと星を見ていた。
カイとハルも、ちらりと空を見上げた。息を呑むほどの満天の星だった。思わず感嘆の声を上げ、隣に座り込む。
「……周りが暗いし、空気が澄んでいるから、たいした見ものよねえ」と、ピコがのんびりと言った。
暫くすると、ピコが、低い声で歌い始めた。悲しげな曲調の、やけに心に響く曲だった。
「……何の歌だ?」
「星の神話にまつわる歌よ、殿下。ホラ、あの明るい星よ。三つあるでしょ」
「三角形のか?」
「ええ、そうよ。あの星座の神話、聞いたことおありじゃなくて?」
「ない」
「僕もありません」
「あら、そう。三兄弟の悲劇っていうのよ」
そう言って、ピコは話し始めた。
「昔、まだ神という存在がとても身近だった頃、とても仲の良い三人の兄弟がいたの。鷲族か鷹族か、それとも白鳥族かしら、ともかく、兄弟の父親は、英雄と呼ばれる人物だった。この父親は、兄弟たちがまだ若いうちに死んだのだけれど、その頃には、もう三人とも素晴らしい腕前の剣士に育っていた。
「あるとき、三人が庭で稽古をしていると、百翼の神王が通りかかった。三人の素晴らしい剣技にすっかり感心した神王は、兄弟にある申し入れをしたの。真剣試合をして最も強いものを決めれば、生き残ったものを、家臣として迎え入れよう、と。神王の召抱えになることは、生身の翼族にとっては最高の名誉で、剣士としてこれ以上の好機は無かった。でも、そのためには、兄弟二人を殺さなければならない。三人は迷い、三日の猶予を貰うことにした。そして、肉親への愛情と、自らの野望の狭間で悩みぬいた。神王の申し入れを辞退することも出来たのでしょうけれど、そうはしなかった。それでは、臆病者と言われ、父親の名を辱めることになるからよ。
「三日目の朝、戻ってきた神王の御前で、三兄弟は戦った。そして、父親から教わった持てる技全てを出し切ったとき、互いの胸を貫いた。長男は次男の、次男は三男の、三男は長男の胸を貫き、同時に果てた。それを見た神王は、自らの気紛れを深く悔いて、三兄弟を、その死んだ姿のままで空に上げることにした。それが、あの星座になったというわけ。三男は当時まだ若く、短い剣を使っていたの。だから、あの三角形の一辺は、他の二辺に比べて短いのよ。あれは、剣の長さなのね。……どう、悲しいけど、とっても美しい神話じゃなくって?」
二人は、無言で頷いた。ピコは溜息を吐いて続けた。
「でもねえ、この神話の中で、一番悲しいのは、実は三兄弟じゃないのよ。三兄弟には、姉が一人いたものだから。さっきの歌はね、傍観者の嘆き、と呼ばれるの。……もう一つ、」
言葉を切って、ピコは夜空を見渡したが、すぐに首を振った。
「いえ、今はまだ見えないと思うわ。でも、たぶん明け方頃、南の空のちょうど地平線すれすれの辺りに現れる星がある。これはね、傍観者とか、置き去り星と呼ばれるわ。これが、三兄弟の姉よ。三人の弟を亡くした姉はひどく嘆き悲しんで、哀れんだ神王は、この姉も兄弟たちと一緒に空に上げることにした。ただ、弟たちの死に様をいつも目の当たりにしなくてもいいように、少し距離を置いてね。だから、姉星は、三兄弟から離れて地平線の際にいるというわけ。だからね、この神話の中で一番悲しいのは、自らの意志で共に死んでいった三人じゃなくて、愛する兄弟たちの苦しみと死とを、ただ眺めているしかなかった、この姉なんだわ」
それから、ピコはもう一度、同じ歌を歌い始めた。難しい歌詞で、カイが聞きとることができたのは、最後に繰り返される次の部分だけだった。
ああ、渦中より、なおも辛いは
ただ水際に佇むことよ
情けなや、あの苦しみが、
決して、我がものにならぬとは
歌い終わると、ピコは溜息を吐いた。「本当にそう。悲劇の傍観者でいるのは、悲劇の中にいるよりも、よっぽど辛いわね」
するとカイが、不思議そうに「悲劇の中にいる方が辛いに決まってる」と言い、ハルも「そう思います」と頷いた。
「……ああ、まあ、そうね。皆、自分に一番近い状況に共感するものだから」と、ピコは、珍しく寂しげな表情をして二人を見た。「もしも、悲劇に出くわすとしたら、あんたたちはきっと、その渦中にいるんだわ」
「どういう意味だ?」
「宿命の話よ、殿下。アタシのは、あんたたちのとは種類が違うの。と言っても、それが嫌だといっているんじゃないわよ。所詮、それが、アタシの性に合っているんですからね」
ポカンとする少年二人をしばらく眺めていたピコだが、突然、我に返ったように頭を振ると、怒った声で言った。
「ああ、もう、どうだっていいわ! アタシ、この歌、大嫌いなの!」
理由を尋ねる少年たちに、ピコはプリプリと答えた。
「あんまり思い出したくないことを思い起こさせやがるからだわ! 忌々しい!」
「じゃあ、なんでそんな歌を歌ったんだ?」
「ちょっとそんな気になったからよ。少し感傷的になっているんだわ! 疲れがたまってきちまったのよ。望郷の思いが募ったのよ。文明が恋しいのよ。でも、もうおしまい。これで最後! さよなら、感傷! 湿っぽいのは大嫌い!」
そして、不意にピコはいつものピコに戻った。
「で、観測所はどうだったの? 何かすてきなものがあって?」
そこで、少年二人は、見事な銀河を見たことを話した。
ピコは、きゃらきゃらと笑いながら「アタシも、あんたたちくらいの頃は、結構星を見るのが好きだったのよ」と言った。
それから、また少し感傷的な調子に戻って付け加えた。
「……こうやって見上げる空は、ちっとも変わっちゃいないのに、アタシたちは、なんてまあ、変わっちまったんでしょ! 星は永遠に輝く、なんて言うけれど、本当、あの星々にしてみたら、アタシたちの一生なんて滑稽でしょうねえ。一秒だって同じところに留まっていられずに、日々、ひたすら、足掻きまわっているんですものね」
少年二人は、黙ってピコの話に耳を傾けていた。
こうして、鉱物の都での一夜が過ぎていった。
翌朝、昨日と同じ案内役が、仕事終わりに翼族三人を西門へと連れていった。青銅の大門の前では、門番が二人、本を読んでいた。
「お役に立つかは分かりませんが、これからお訪ねの都に関する資料をまとめたものを作ってきました。お持ち下さい」
そう言って案内が取り出したのは、一枚の薄い石盤だった。翼族の言葉で、びっしりと何事かが書き込まれている。ハルが礼を言ってそれを受け取った。
「あなたがたの望みが、叶いますよう」
門番が大門を開けると、鉱石がぶつかり合う音が響きわたった。
三人は、丁寧に礼を述べると、鉱物の都を後にした。