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翼族  作者: Gustatolasse
12/32

獣人の森で(二)

 翌朝、カイは心配気なハルの声に起こされた。

「……なんだ、もう朝か?」

 カイが呟くと、ハルが見るからにホッとしたように、「脅かさないで下さい! 死んだみたいに寝てるんだから!」と叫んだ。

 既に朝も遅かった。ピコさえもう起きていて、朝の肌の手入れなどをしていた。

 カイは伸びをして起き上がったが、すぐに頭を押さえた。

「どうしました?」

「……痛い」

 カイは、昨晩の奇妙な出来事を覚えていない。頭痛はその名残だったが、忘れているのだから、「林檎酒の飲みすぎですよ!」というハルの言葉にしぶしぶ納得するしかなかった。

「変な夢を見た気がする」

 ブツブツ言いながら、カイは素早く着がえ、朝は食堂になる階下の酒場に向かった。


 三人が、たっぷりの乾酪チーズと焼き菓子と珈琲で朝食をすませた頃、オラフがやってきた。

「浮かねえ顔をしてるが、飲みすぎかい、若さん?」

「知らん」と、仏頂面でカイは答えた。 


 宿を出ると、早速、オラフは三人を連れて森の中へと入っていった。

 一行は朗らかに進み、やがて、木材の切り出し場のような開けた場所に出た。辺りには宮殿の門どころか、建物の影すらない。


 が、そこで、オラフが急に立ち止まった。

「おい、若さん、悪いが、ちょっと用事を思い出しちまった。すぐに戻るから、ここで待っていてくれ」

 言い残すと、オラフはさっと木立の間に姿を消した。

 カイとハルは顔を見合わせた。

「……なんだか妙ですね」

「そうだな」

 ピコは、そんなことを気にする様子も無い。サクラソウに似た野生の花を摘んで、嬉しげに少年たちに振ってみせた。

「ねえ、あんたたち! これ、とっても可愛らしいと思わないこと?」


 その時だ。

 カイは木立の奥に異様な気配を感じた。

「……伏せろ、ピコ!」

 カイの大声に、ピコはきょとんとしながらその場に屈み込んだ。

 次の瞬間、何かが空を割くように飛び、すぐにズドンという鈍い音が響き渡った。驚いて顔を上げたピコの、頭上の幹に深々と突き刺さっていたのは黒い弓矢だ。ピコが真っ青になって金切り声を上げた。


「なによ! この物騒なものは!」


 カイとハルはすぐさま刀を抜いてピコに駆け寄った。


「そこを動くな!」

「頭を下げていて下さい!」


 一本の木を背にピコを守るようにして、二人は刀を中段に構え、神経を研ぎ澄まして辺りを見回した。

 二人の視線の先で、木立の間からゆっくりと姿を現したのは、半獣人たちだ。其々が弓を引いた状態だった。背にはぎっしりと矢の詰まった矢筒が見える。左手から進み出てくる一団は馬の下半身を、右手の一団は鹿の下半身をしていた。筋骨隆々とした上半身は裸で、赤銅色の肌は汗で鈍く光っている。どこからどう見ても鍛えぬかれた狩人たちだ。

 左右に、頭領らしい人物が二人いたが、それが同時に右手を上げた。そして、その手が振り下ろされた瞬間、狩人たちは一斉に矢を放った。


 ハルが呪文を唱えて疾風を呼び、空中の矢の群を一気に薙ぎ倒した。が、それだけでどうにかなるものでもない。矢は次々に飛んでくる。

「皇子、防御術を!」

「わかった!」

 カイは、構えた刀を八の字に回転させ始めた。軌道上で確実に空中の弓矢を捉え、切り捨てていく。ハルもすぐ横で同じ動きをして、降り注ぐ矢の雨を何とか凌いでいる。

 が、狩人の構える複数の矢に捕縛の網が仕掛けられたのを見て、ハルが叫んだ。

「あれを放たれたら、ひとたまりもないです! 捕まるか、殺されるか!」

「おい! 少し時間を稼げるか?」

「やってみます!」

 ハルは、呪文を唱え、一際強い風を呼んだ。その時空中にあった全ての矢が吹き飛ばされる。

 その一瞬に、カイは素早く腕輪を抜き、馬身の頭領らしき者の足元へと投げた。間髪いれず、「翼族の国の皇太子だ! 水王陛下の御口添えにより獣人王陛下に拝謁に伺った! 腕輪の紋章を!」と叫ぶ。

 馬身の頭領が徐に進み出てカイの腕輪を拾い上げ、紋を確かめると、合図をして攻撃を止めさせた。さらに、鹿身の頭領を呼び、腕輪を見ながら二言、三言、言葉を交わす。


 カイとハルは肩で息を吐き、ピコは真っ青な顔をして、「一体どうなってるのよ」と半泣きに呟いている。


 数分後、二人の頭領が揃ってやってきて、カイの前で前膝を着いた。

 鹿身がカイに腕輪を差し出し、馬身が静かに「……畏れながら、草食種ハルヴァン族の外屋敷までご足労願いまする」と言った。


                * * *


 数時間後、翼族の三人が半獣人の狩人に連れて行かれたのは、森の中に立つ立派な建物だった。その左右に大きな館も見えた。草食種ハルヴァン獣人の高等評定院こうとうひょうじょういんと、草食種二公爵の外屋敷だ。

 狩人の頭領二人は、評定院へ三人を招き入れた。


 評定院の内部は、天上の高い扇形の大広間になっていた。その扇の核に当たる位置に、絨毯を敷き詰めた桟敷のような一角があり、威厳漂う半獣人が二人、顔を突き合せるようにして話し込んでいる。

 一人は黒髪に濃い髭を生やした黒馬身の半獣人で、これが半馬族領エクウィン公爵だった。もう一人は白毛の鹿身の銀髪の半獣人で、半鹿族領セルヴィン公爵。


 二人の狩人の頭領は、カイから腕輪を借り受け、公爵たちの前に進み出た。

 二公爵は腕輪を受け取ると、暫くの間、確認するように眺めていたが、やがて桟敷から下り、頭領たちを下がらせて、カイの前にやってきた。前膝を折り腕輪を差し出して丁寧な挨拶をする。

「……翼族皇太子殿下。ご無礼仕りました。かように謝罪して済む事とも思いませぬが、なにとぞご容赦を」

 カイは仏頂面のまま腕輪を受け取り、「何故突然襲った?」と言った。

 二公爵は、「誤解がありましたようにて」と、言葉を濁した。

 カイがそれでも強く促すと、やっと鹿身の公爵が口を開き、「我が王の命にございました」と答えた。馬身の公爵が「この度の件は、少々特異でございましたが」と言葉を続けた。


 両公爵によると、王の密書が、その日の朝方、半獣半翼の密使により届けられたという。密書には人相書が同封されており、即刻この翼族の侵入者を捕らえよとの命が記されていた。『凶暴ゆえ、心してかかれ、必要とあらば、傷つけても構わぬ』とも書かれていたという。

 見たことも無い奇妙な使者による、奇妙な命を怪しんだ公爵たちだったが、密書は紙、封蝋、印章、署名、全てが疑いようも無い本物で、「密使の特異な姿とも鑑みて、これは我が王からの命というよりは翼族側からの要請であろう、と命に従ったのでございます」と馬身の公爵は言った。


 カイが、ハルに囁いた。「……おい、オラフだな。国から手が回ったと思うか? 爺か?」

「なんともいえません。梟侯爵の要請にしてはずさんすぎますし、それに、オラフが係わっている理由がわかりません」

 カイは少し考え込んだが、直ぐに公爵に向き直り、「ともかく獣人王陛下にお会いしたい。宮殿に連れて行ってくれ」と言った。


 しかし、獣人たちは動こうとしなかった。


 少しの間の後で、馬身の公爵が静かに答えた。

「今は行かれぬほうがよろしいかと存じあげまする」


「どういうことだ?」カイは、眉を顰めた。


 その時、馬身の召使が駆け込み、「陛下からの御使者がお着きになりました」と告げた。奇妙な緊張が走った。二公爵は素早く視線を交わし合ってから「通せ」と命じた。

 すぐに、黒衣の使者が広間に入ってきた。長い黒髪をした変獣人の女だ。跪き、軽く頭を垂れると、豊かな低音の声で、「翼族の皆様を、即刻宮廷にお連れするようにとのご命令にございます」と告げた。

 馬身の公爵が、「陛下は此の御方が翼族の国の皇太子殿下であらせられる事をご存知か?」と尋ねると、女は無表情に「わたくしにはお答えいたしかねます」と言い残し、音も立てずに広間から立ち去った。


 カイを見る公爵二人の目が只ならぬ緊張に満ちていた。


 少しして、「……申し訳ありませぬが、そういうことに相成りました、殿下」と、鹿身の公爵が静かに言った。


                * * *


 草食種ハルヴァン獣人の高等評定院正門から、一本の大通りが、獣人王の宮殿の南門に向かって真っ直ぐに続いている。石畳の大通りはよく手入れも行き届き、両脇には店が立ち並んでいる。王の森に四つある宮廷門前街の一つだ。

 二公爵と数名の従者に付き従われ、三人の翼族が大通りを行くのを、草食種ハルヴァン獣人たちが、不安げに見守っている。どうも平素の街の中を行くというには、張り詰めた空気が尋常ではなかった。


 やがて南門に着いた。木造の巨大な門がゆっくりと開き、一行は中に入った。


 入った先は、翼族三人の予想を遥かに越える広大さ、目を見張る素晴らしさだった。

 巨大な広場。その奥、真正面に立つ白亜の大神殿が、まず目に飛び込んでくる。大神殿を挟んで左右対称に宮殿がそびえ立つ。右手の宮殿が赤く、左手の宮殿は黒い。広場の四つ角には、其々塔が立ち、それらの塔に従うように、見事な装飾の施された天幕が立ち並んでいる。

 門のすぐ横には、質実剛健といった造りの天幕が並んでいた。そのうちの一つから、背の高い引き締まった体躯の男が出てきた。長い灰色の剛毛を後ろで束ねている。

 半獣人の二公爵は立ちどまり、灰髪の男を待った。

 男が目の前に立つと、鹿身の公爵が口を開いた。

「陛下は?」

「今朝方から政務に御戻りになられている」

「では、翼族皇太子殿下とお付きのお二人を御前へお連れする」

「いや、ここから先は私が引き受けるゆえ、方々は下がられよ」

 有無を言わさぬ物言いだった。半獣人族の二公爵は、あからさまに不信の念を顔に出したが、灰髪の男は気に留めた様子もなく、カイの方を向くと、態度を変えて跪いた。

「翼族皇太子殿下、人狼族領カニン公爵にございます。暫しあちらでお待ちを」

 すぐに変獣人の武官が現れて、翼族の三人を、立ち並ぶ天幕の一つへと案内した。


 案内の武官が去ると、天幕の絨毯の上に腰を下ろして、カイは「どういうことだ?」と唸った。

「何だか穏やかじゃありませんね。根拠の無い噂が立っていたわけじゃなさそうです。……まあ、今となっては、どこまでオラフの言ったことを信用していいのか分かりませんが」

「あの賭け師のやつ、詐欺師でもあったってわけね! ねえ、翼族の部分が賭け師で、獣人の部分が詐欺師? それとも逆?」と、ピコが真面目な顔で言った。

 カイが舌を鳴らし「お前は黙ってろ」と言った。途端ピコはふくれ面になった。

 ハルは苦笑したが、直ぐに真顔に戻って、「とにかく、こうなってくると、昨日、道に迷ったのも、気のせいじゃない気がしてきますね」と言った。

 

 暫くすると武官が戻ってきて、再び三人を天幕から連れだした。

 しかし、向かった先は、先ほどの大神殿前の広場だった。既に三公爵の姿はなく、武官が、「ここでお待ちを」と言って去ると、広場には誰もいなくなった。

 カイが、不審げに「王に謁見するには、変わった場所だな」と言った。

「ですね」

「……まさかまた襲われるっていうんじゃないでしょうね。過度の恐怖は、お肌に悪いのよ」と、ピコが不安そうに言った。


 その時、広場の四つ角に立つ塔の中から、次々と獣が姿を現し始めた。虎、狼、豹――獣姿けものすがた肉食種カルヴァン獣人たちだ。

 咄嗟にカイは刀の柄を握った。ハルも腰の神官剣に手をやった。

「獣人式の挨拶か?」

「わかりません」 

 肉食種獣人たちは、低い唸り声を上げ四方から三人を取り囲む。やがて三人を囲む輪が徐々に小さくなり、獣人たちの目の光が鋭さを増した。

 二人はゆっくりと抜刀し、構えた。

「皇子、もし獣人たちが襲い掛かってきても、刀背打ちにしておいてください。皇子を陥れようとしているのかもしれないし、間違っても禿鷲王みたいな真似はしないでください。下手すると国同士の問題になりかねません。こっちはお忍びだから分が悪い」

 カイは頷いて、獣を牽制しながら刀を反した。ハルの神官剣は元々諸刃とも研がれていない。


「……ねえ、悪いけど、アタシは、気を失うことにするわ。こんな恐怖、耐えられやしない。安らかな眠りの中で食われるほうがいくらかマシというものよ。……じゃあね、宮様たち、お会いできて光栄だったわ。きっと、また天国でお会いするわね! あら、それとも、せっかくなら二度とお会いしたくないかしら。ま、どっちでもいいわ! では、いざ、さらば、さらば!」

 ピコは早口に劇的に叫び終えると、へなへなと地面に崩れ落ちた。


「好きにしろ、クソ役者!」

 カイが、倒れたピコの尻を蹴ったその時、一匹の豹が跳躍し、カイに襲いかかった。生温かい息が顔にかかり、本能的に身を引いたカイは、刀の峰で豹の首筋を打ち、ギリギリのところで一撃をかわした。

 が、今度は背後から虎が襲いかかってきた。ハルが、間一髪のところで虎の巨体に体当たりし、地面に叩きつけたが、鋭い爪が一瞬、頭に触れたのをカイは感じた。次々と襲いかかってくる獣を刀で払いのけながら、カイが叫んだ。

「獣人王は俺たちを殺そうとしているのか? 訳が分からん!」

「僕も分かりません! とにかく、皇子だけでも空から逃げて下さい!」

「馬鹿をいうな!」

「早く! 行って下さい!」

 カイは返事をしなかった。

「頼みます! 立場を考えて下さい!」

 ハルが促すようにカイの腕を掴む。カイがその手を振り払うと、ハルはよろめいて、その時、丁度飛び掛ってきた豹に突き倒された。鋭い爪がハルの肩に食い込む。

 カイは、咄嗟に刀を表反し、豹に切りかかる。

 ハルが、剣で豹の牙を防ぎながら叫んだ。

「切っちゃ駄目だ、皇子! 翼族を陥れる罠かもしれない!」

 そのハルの叫びに被さるように、雷のような大音声が響きわたった。


「静まれ!」


 広場にいたすべての獣人が動きを止めて、弾かれたように声の響いてきた方向を向いた。

 大神殿前の大階段の上に、一人の大柄な人物が立っていた。

 がっしりとした肉厚の身体つき。金茶と黒とが交じり合った髪が見事に波打ち、黒々と太い眉の下で、金茶色の目がぎらぎらと強く光っている。


 紛うことなき森の王、人虎の獣人王だった。


「何事だ?」


 獣人王は、怒りもあらわに広場に下りてきた。


人狼族領カニン公はいるか?」


 一匹の大きな灰色狼が、人の姿に変わりつつ王の前に進み出た。他の変獣人たちも、次々と人の姿に戻り、その場に跪いた。


 ハルが、ゆっくりと起き上がり、カイは刀を納めてハルに駆け寄った。

「大丈夫か」

「ええ、倒されただけです」


 獣人王は、二人を繁々と眺め、訝しげに「白い狗鷲翼と無翼の翼族か……翼族の皇太子とその神官ではないのか?」と言った。

 人狼族の公爵は「確かにそのように見受けられます」と、無表情に答えた。

「何故このようなことをしておる?」

 すると、人狼公爵が初めて表情を変え「陛下のご命令にございます」と言った。

「なに、余の?」

「は」

「誰が余の命を伝えたか?」

「陛下ご自身にございます」

 奇妙な間の後で、王が静かに口を開いた。

「余の命は何であったか?」

「白翼を処刑せよ。本人申し立ての身分は信用するに価せず、という御言葉にございました」

 獣人王は「……そうだったかもしれぬ」と呟いた。それから、カイに向き直り、「皇太子どの。勝手を言うが、容赦願えまいか」と言った。


 カイはギロリと王を睨んだだけで、返事をしなかった。王も、眉一つ動かさずカイの顔を見つめ返した。誰もが息をのんで二人を見守った。


 少しして、獣人王が、再び口を開いた。

「……誤解を解くために詳しく説明しようが、余は、貴公の国の外交筋より、ある翼族の無頼者の存在を告げられておった。そやつ、少年ほどの身丈で、白い翼であるのをいいことに、翼族皇太子の名を騙るそうである。その者が、余の森に潜んでいると聞き及び、探し出し即刻処刑せよと命じたまで。凶暴な性質と聞いておるゆえ、詮議の必要もなかろうと思ったのだ。余も、まさか本物の皇太子どのがこのように余の森をうろついていようとは思わぬからな」


 カイはハルと目を見合わせた。ハルは困ったように首を振った。

 獣人たちも、不審気な表情をしている。

 

 と、その時、奇妙な甲高い声が広場に響き渡った。


「やっぱり!」


 皆が一斉に声の方を向いた。

 視線の集まった先で、ピコがムクリと起き上がる。すぐに、カイの襟元を掴んでまくし立てた。


「やっぱり、アタシの言うことを聞くべきだったのよ!」


 ついでにカイの耳元で、ピコは一気に囁いた。「……殿下、役者の直感よ。この中じゃ、この人が一番信用できるわ。口裏を合わせとく方が無難よ」


 それから、さらに金切り声で畳み掛けた。


「こんなふうに不用心に森をうろついていたら、あの悪者と間違えられるって言ったじゃない! 馬鹿なことしたわ!」


「……貴公は?」と、訝しそうに獣人王が尋ねた。


「アラ、あたくし?」と、ピコは朗らかに王を振り返る。「ピコと……あら、違う、ピノヒコと、いえヒノピコと、……ちょっと、あんたたちが変な名で呼ぶから本名がわかんなくなっちまったじゃないの。ええい、もういいわ! ピコと申しますの。皇太子殿下の付き人ですわ。……いえ教育者かしら。そう、美学ですのよ、美学。美学の教育者。今回の旅のお供を仰せつかっておりますの……まあ、とっても嫌々ですけどね」


 獣人王はじっとピコを見つめて、「ほう」と呟いた。


 王の視線は鋭く恐ろしいほどだったが、ピコは気にするふうもなく、「殿下は、こう見えて美にご興味がおありなの。たいそうお勉強熱心でいらっしゃるのよ!」と言って、いつものようにきゃらきゃらと笑った。

 すると獣人王も「それは良いことだ」と答えて豪快に笑った。「勉強熱心な皇子どのとは、貴公もよい弟子を持ったと見える」

「ええ、本当に。教育者冥利につきるってこのことですのよ。……まあ、一見すると横柄なクソガキで、ちっともそんなふうには見えませんけどね! ええ、ですからね、御配下がうっかり極悪のならず者と信じて殺しそうになったのも、ちっとも不思議じゃあございませんことよ。ええ、みーんなこの不徳の弟子皇子のせい。これも一つの自業自得というものだわ! 良い教育よ」と、ピコもきゃらきゃらといつもの罵詈雑言を重ねている。

「そう言ってくれるか、師匠殿。ならば余も多少は罪悪感が減る」と、王も再び笑った。


 周囲の獣人たちが妙な緊張感を漂わせ、笑い続ける二人を見守っている。


 一頻り笑い終えると、王はカイに向き直り、「さて、余の言葉はこれで信用するに足ると思うが」と言った。

 迷うカイの視線の先で、ハルは「お手上げです!」と言うように首を振り、ピコは自信有り気に頷いている。ここはピコの直感を信じるしかないようだ、とカイは思った。

 カイが王に同意を示すと、獣人王は頷いてから、人狼族公爵に声をかけた。


「神官殿の傷の手当を。人豹族領フェリン公は?」

「草食種二公爵の要請で高等評定院に」

「戻り次第、余の天幕に来るよう伝えよ」

「は」

「皇太子殿、こちらじゃ。訪問の目的を聞こう」

 獣人王は、カイに合図をして歩き出す。


「皇子!」 

 獣人王を追って歩き出したカイを、ハルが引き止めた。そして、素早く首から守り袋を外しカイに手渡すと「気休めですが、一応これを持っていって下さい」と言った。

 カイは頷いて、それを刀の柄に巻きつけると、大神殿の方へ歩いていく獣人王の後を追った。

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