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翼族  作者: Gustatolasse
10/32

真水族の国

 桟橋は、地底にぽっかりと空いた巨大な洞窟空間へと続いていた。

 洞窟内の空気は冷たく澄んでいて、上から垂れ下がる鍾乳石が淡い白色の光を放っていた。ハッカのような香が僅かに漂う。洞窟の中央には、真青な地底湖が横たわり、その水面は水晶のようだった。


 二人は、桟橋から降りて、濡れた鍾乳石の上を、滑らないようにゆっくりと歩き、湖の岸辺に立った。

 湖は、恐ろしいくらい澄み切っている。あまりに透き通り過ぎていて、ぞっとするほどだった。じっと眺めていると本当に水があるのかという気にもなってきて、カイは思わずしゃがみ込んで手を入れた。冷たい。さざ波が起こり水面が微かに乱れる。水は確かにそこにあった。そして、見た目の印象よりもずっと滑らかで柔らかな手触りだった。

「ここが、水の国への入り口か?」

「そのはずですが」

 ハルは懐から小さな本を引っ張り出して何かを確認し、カイを見た。

「皇子、ちょっと飛んでもらえますか?」

 カイは直ぐに翼を広げて飛び上がった。

「湖面全体が見渡せます?」

「ああ!」

「どこかに丸く水紋が浮かんでくる所がありませんか?」

 よくよく眺めると、鏡のような湖面の中央に一箇所、小さな水紋が継続的に浮かんでくる場所がある。

「あそこだ、ハル!」

「分かりました。戻ってきていいですよ!」

 ハルは本を懐にしまうと、竹篭から筆箱と紙、継承君の翡翠印と朱肉を取り出し、さらさらと文書を認めた。書き終えると印を押し、隣に立っていたカイを見上げた。

「腕輪を借りてもいいですか?」

 カイの腕輪には、皇家狗鷲族の紋と翼族皇太子の印が彫ってある。ハルは丸めた手紙を腕輪に通し、それを湖面の水紋に向かって投げた。腕輪は、水の輪に引き込まれるようにして、音もなく湖の中に沈んでいった。

「こうやって、水の一族に面会を求める由を伝えるらしいです。本当は、手紙を入れる特別な筒があるんですが、皇子の腕輪なら代用になるでしょう。後は返事を待つだけです」


真水族まみずぞくは、俺たちの言葉が分かるのか?」カイが、ふと思いついたように言う。

 ハルは「今更ですか?」と苦笑してから、「ええ、限られた人々ですが、分かるはずです。まあ、王は確実に分かるでしょうね」と答えた。

「そうか」

「何にせよ、僕が真水族語を話せますから心配ありませんよ」

「そうなのか?」

「日常会話には困りません。去年辺りから、みっちり仕込まれていますから」

「へえ」

 驚くカイに、ハルは「まあ、そういうことが僕の今後の仕事のようなものですから」と、さらりと答えた。


 暫くして、突然、水の輪が広がり、クルクルと回りだしたかと思うと、輪の中央部の水が割れ、湖面に大きなトンネルが開いた。そして、中から真水族の女性が二人、音も無く現れた。後には、馬のような緑色の生き物が従っている。水馬みずうまと呼ばれる、鱗で覆われ、蹄の代わりに水掻きがある、平たい足をした水獣だ。

 二人の真水族は、全く同じ姿形をしていた。肌は銀色の薄い鱗に覆われている。ツヤツヤした長い銀色のドレスがほっそりとした体を首から足先まで被い、美しい銀髪はきっちりと纏められ、頭の上で優美な形に結上げられている。銀の房飾りのついた華奢な冠。一人は白く光る布袋と杖を持っている。もう一人は、白い小箱とカイの腕輪を手にしていた。水の滴るその姿は、透通るようだった。 


 二人は跪き、一人の使者が、カイに腕輪を差し出す。カイはそれを受け取った。

「突然だが、水王陛下と陛下の予見者にお会いしたい」

「非公式の訪問ゆえ、前触れもなく驚かれたことでしょう」とハルが続ける。「申し訳ありませんが、少々事情があります。内密の訪問としてお取り扱い頂きたいのです」

 真水族の使者は、ほんの少しだけ訝しげな、戸惑ったような表情をして顔を見合わせた。が、杖を持ったほうが頷くと、もう一人も頷き返して、手に持った小箱を開き、中から水色の小瓶を取り出した。

「これを御飲み下さいませ。ご案内いたします」

 訛りの無い奇麗な翼族の言葉だった。

「ありがとう」

 ハルがホッとしたように微笑んで、手を差し出した。


 と、その時だ。甲高い奇妙な声がした。

「あらあ、これまた美しいところねえ! まあ、それにとっても美しい方たち!」 

 

 二人が驚いて振り返ると、ヒノヒコが「美しいことは全ていいことだわ」ときゃらきゃら笑いながら、こちらに歩いてくる。

 カイが、あいつのことを忘れていた、と舌打ちをした。

 真水族の使者たちが、警戒して体を強張らせる。

 すぐにハルが、「ご安心ください、供の者です」と告げた。それからヒノヒコに「ご婦人方に挨拶を……」と言いかけたが、ヒノヒコが、あっけらかんと遮った。

「あら、違うわよ、継承君」

「何が!」

 カイがイライラと口を挟む。

「ご婦人方なんて、殿下ならともかく、継承君らしくもない。お一人はれっきとした紳士じゃないの」

「はあ?」

 カイが、何を言っているんだ、という顔をしてヒノヒコを見る。

「ほら、ちゃんと刀だって持ってらっしゃるわよ。杖の形なんて洒落ていらっしゃることねえ!」

 カイとハルが、使者たちを振り返ると、驚いたことに二人とも青い顔をしてヒノヒコを見つめている。華奢な杖を持つ手が、心なしか震えていた。

「……え?」

 カイもハルも、まさか、という顔で使者たちを眺めた。


 使者たちは顔を見合わせて頷きあうと、深く身を屈め、杖を持ったほうが口を開いたた。

「ご指摘の通りにございます」

 その声は、確かに男性のものだ。カイとハルは呆気に取られて真水族の使者を見た。ヒノヒコだけが、「そりゃそうよねえ」ときゃらきゃらと笑った。


 男性の使者が続けた。

「この姿は、あくまで私どもの防衛の手段。婦人の装いをすることで、不要な争いを避けるためにございます」

 女性の使者が言葉を継ぐ。「(わたくし)はマデイア、これは弟のシカラスと申します。通常は翼族の皆様のお出迎えには私が一人で参りますが、予期せぬ訪問の場合、弟が、私の警護を兼ねて共に参るのでございます。弟も申しましたように、弟のこの姿は、あくまで不要な争いごとを避けるため。お出迎えする側が女性のみであるほうが、総じて穏やかに物事が進んでゆくものでございますゆえ」

「この度は、急なご訪問、また、本来とは異なる形の(ふみ)をいただきましたので、念のため、姉に同行して参りました次第にございます。どうぞご無礼をお許し下さいますよう」

「……今までに誰一人として、シカラスのこの装いが見せかけのものであると見破った者はございません。さすがに翼族の皇太子殿下がご同行を許されるだけのおかた。お見逸れいたしました。この度は、紛れもなく皇太子殿下の内密のご用事と得心いたしましてございます」

 二人の真水族は、心底感服したように深く頭を下げた。


 カイは、ポカンとして男性の使者、シカラスを眺めていたが、ハッと我に返ると、「うん、まあ、そうだ。この者は、そういう者だ。俺の、」と言いかけるが先が続かない。「俺の……なんだ、その、」

 と、そこでハルがすかさず機転を利かせた。「殿下の道化です。旅の慰みに連れてきましたが、人を見る目も確かですので、ありがたく思っています」


 それを聞きつけたヒノヒコが抗議の声を上げようと口を開いたが、カイが尻を蹴り上げて黙らせた。ヒノヒコは、そこですっかり臍を曲げて踵を返すと、少し離れた所まで歩いて二人に背を向けたまま、岩の上に腰掛けた。

 その様子をみて、双子の使者は、再び少々戸惑い気味に顔を見合わせた。

「あれは、優れた道化ではありますが、少々冗談が過ぎることがありますので」と、ハルが澄ました顔で付け加える。


 真水族の使者は、なるほどと微笑むと、すぐに「これを御飲み下さいませ」と、先ほどの小瓶を差し出した。

 カイはすぐさま受け取って液体を飲んだ。とろりとして苦甘い。


 ハルはカイから小瓶を受け取ると、さっと一口飲んでから、ヒノヒコのもとへ向かった。側に跪きながら、「これを飲んで。水の国に行きますよ」と言った。

「お断りだわ。大体、殿下お一人でご勝手に旅を楽しんでいらっしゃるじゃないの。慰みの道化なんてそもそも必要ないんじゃござんせんこと」

 ヒノヒコはつんけんと答える。

「道化は必要ないですが、美しい付き人は必要です」

「……なんとおっしゃって?」

「水の使者たちも美しいでしょう。水の国は美しいんです。訪ねるのには、皇子にも、美しい付き人がいなければ」

「あら、そうなの?」

「そうなんです。それとね、道化と言ったのは、その方が、信憑性が高いからにすぎません。皇族がお付きの道化を一人連れ歩くことはままあるけれど、宮廷役者を一人と言うのは、あまり例がないでしょう」

「まあ、そう言われりゃ、そうだわね」

「どちらも知性を必要とする高尚な職業で、格に別段差もないですから」


 すると、ヒノヒコはくるりとハルの方に向き直り、「やっぱり継承の宮様は、アタシたちの事をようく分かってらっしゃるわ」と、しみじみと言った。


「ええ、常識として」

「もちろんそうだわ、常識として」

「とはいえ、やはり必然的に美しさも望まれる点で、宮廷役者のほうが、若干格が上と、僕は思っています」

「お若いのに心得てらっしゃるのね、宮様」

「だからもし、ピコが本当に道化だったら、」

「ヒノヒコよ、宮様」

「ヒノヒコが、本当に道化だったら、」

「ええ、何かしら」

「世にも珍しい美貌の道化、ということになりますね」

「それはその通りね、宮様。間違いないわ」

 ヒノヒコは力強く頷いた。

「今も、ヒノヒコのおかげで使者の信頼を得ることができました。見事でした。ありがとう」

「あらあ、そんなこと」

 ヒノヒコは、気分よさげにきゃらきゃらと笑った。それを見て、ハルが、スッと小瓶を渡した。

「さあ、それを飲んで」

「ぜひいただくわ、宮様」

「準備はいいですね?」

「もちろんよ、宮様」

 ハルはそのまま、何事もなかったかのように、陽気に鼻歌を歌うヒノヒコを先導して戻ってきた。カイが小さく口笛を吹いて讃えると、ハルは悪戯っぽく肩をすくめた。


 それから、シカラスの助言により、濡れては困るものは、全て白い袋に納められ、水馬の背に乗せられた。そして真水族に導かれ、三人は、湖にぽっかりと開いたトンネルの中に入っていった。


 トンネルは、湖底に向かって滑らかに下っており、通り過ぎると背後で水中に消えていった。

 やがて湖底に着いた時、突然、冷たい感覚がカイの全身を襲った。驚いてハルを見ると、ハルもこちらを見て頷いている。どうやら同じような衝撃を受けたものらしい。振り返ると、道は完全に消えていた。なるほど、今、水の中に入ったのか、とカイは悟った。

 辺りに目をやると、暗いのだが湖底の様子は案外よく見渡すことができた。魚も、水草も見当たらない。そもそも、生物が一切いないようだった。湖底は白い石灰で覆われている。緩やかに凹凸があり、少し離れた先に、大きな青い門が見えた。


 真水族の使者は、その大門に向かって歩き出し、翼族三人もそれを追った。特に水の中に居る気はしなかったが、歩くと、押すような圧をカイは肌に感じた。


 青い大門は、湖底の岩壁にくり抜かれた大戸だった。シカラスが押すと、大戸はゆっくりと開いた。皆が中に入ると、大戸は再び音も無く閉じた。

 入った先は、意外に明るく、柔らかな光が上方から差し込んでいる。下から見上げる水面は、光を受けて、巨大な一枚の銀箔のように見えた。正面に、淡い緑の水草で飾られた庭園があり、その背後に優美な宮殿が立っている。


 庭園を抜けたところでシカラスが別れ、水馬を厩へと引いていった。三人は、マデイアに導かれ、宮殿に入った。

 最初に通されたのは食堂で、銀杯に入った飲物のようなものが振舞われた。腹の減っていたカイは、いくらかがっかりしたのだが、飲んでみるとひどく美味しく感じられ、なぜか空腹も満たされた。

 ハルが、「酸素ですよ」と囁いた。「真水族は、酸素のみで生きて行けるらしいです。僕たちの身体も、たぶん一時的に真水族と同じ構造になっているんですよ。水に入る前に飲んだ、あの液体のおかげです」

 すぐに、男装に戻ったシカラスが、酸素の入った瓶を持ち食堂に現れた。三人の杯に酸素を注ぐ。ヒノヒコは、シカラスと親しげに話を始めた(正確には、「性別を超えた美の表現」とか何とかいうテーマを、ヒノヒコが熱心に一方的に語るのを、シカラスが興味深げに聞いていた)。


 マデイアは一度立ち去ったが、少しして戻って来て「明朝、王の間へお連れ致します」と告げた。すでに夜になっていたようだった。

 その後、翼族三人は其々の客間へと案内された。


 カイの部屋は金で縁取られた白い貝殻と鮮やかな珊瑚で飾られていた。

 入って左手に寝台、正面には巨大な窓がある。窓からは水の都が一望できた。水王の宮殿は高台に位置しているらしい。

 石灰でできた寝台に寝転がったものの、カイは中々眠りにつくことが出来なかった。水の国は、どこもかしこもうっすらと明るく、夜という感じがしない。そして全く音がない。

 カイは、暫くの間、居心地悪げに寝返りを打っていたが、やがて起き上がり、寝台から下りて部屋を出た。まっすぐに隣部屋に行き、「入るぞ」と叫んで扉を開けた。


 ハルは寝台の上に胡坐をかいて本を読んでいた。ハルの部屋は青い貝殻と銀色の鉱石で飾られている。

「眠れないんですか、皇子?」と、ハルが笑いながら尋ねた。

「まあな」

「僕も何だか落ち着かなかったところです。本当に国を出ちゃいましたからね。きっと今頃城では大騒ぎですよ」

「かもな」

 カイは寝台に這い上がり、ハルの隣に胡座をかいた。ハルの読んでいる本は、真水族語で書かれた本で、建物の絵や町の設計図のようなものが載っていた。

「借りたのか?」

「ええ、水の都の成り立ちが書かれています。結構面白いですよ」

「面白い? それが?」カイは怪訝そうに言った。

「ええ、水の都は完璧な四角形なんですよ。水王の宮殿は高台に立っていて、その前は、だだっ広い平地なんです。で、宮殿の門壁に沿って一本、平行の道が走っています。これが、第一大横道、一定間隔で二十五本作られた大横道の、一番宮殿端の道です。それから、縦に走る大道が同じく二十五あって、第一大横道から、大二十五大横道までを繋いでいる。これらは、大縦道と呼ばれます。これらの計五十本の縦道、横道は、どれも全く同じ幅と長さをしていて、互いに真ッ直角に交わっているんですね。だから、大四角形の中に、小型の真四角が、幾つも出来上がるわけです。で、その小四角の中に、又、狭めの十の横路と十の縦路が走っている。町は正に碁盤状態というわけです。窓から見えますよ」


 カイは、「そうか」と、答えるでもなく答え、見るでもなく数頁を捲った。

 ハルは、クスクスと笑った。カイがそんなことに興味がないのは、百も承知だ。どうせ自分の話も真面目に聞いてはいないだろう。笑われているのにも気づいていないようだった。


 少しして本を置き、所在なげにカイが言った。

「……おい、明日の謁見ではどうすればいいんだ」

「あれ、珍しい。緊張しているんですか?」

「静か過ぎて、勝手がわからん」

「静か過ぎ、ですか。なるほどね」と、ハルは笑った。

「……どうも居心地が悪い」

「まあ、確かに水の国は皇子向きではないですからね!」ハルは愉快そうに笑って続けた。「でも、明日の謁見は普段通りでいいです。水の国を訪ねるのに、特別な決まりごとはありませんよ。むしろ国での儀式の方が大変です」

「そうか」カイはホッと息をついた。「石盤を持っていけばいいな?」

「ええ。水王陛下に、翼の墓場のことをお尋ねして、予見者に旅の安全を見てもらいましょう。もし、危険がありそうだと言われたら、旅は諦めて下さいよ」

 カイは頷き、「その予見者というのは何者なんだ?」と尋ねた。

「真水族の中で最も予見の能力が高い者と言われる人物です」

「水王が一番の能力者じゃないのか」

「違うんですよ。まあ、水王も予見はできるはずですが、予見者ほど正確ではないでしょうね。水王は、むしろ、膨大な知識を持つ存在として知られているんですよ。真水族最高の予見者と偉大なる知識の組み合わせです。悪くは無いでしょ?」

 ハルはニコッと笑った。

 カイは、ほっとした顔で「ああ」と頷いた。


「あ、皇子」と、ハルが突然何かを思い出したように言った。

「何だ?」

「一つだけ注意しておくことがありました」

「何だ?」

「会見の間、決して予見者の目を見ないようにしてください」

「目?」

「ええ。予見者は、目を合わせた相手の最期の場面を見てしまうそうですから」

「……俺の死を予見するということか?」

「見るつもりが無くても、見えてしまうそうですよ。勿論、当人には言いませんけれど、出来れば、お互いそういうことは知らないほうがいいでしょう?」

 カイは「分かった」と大人しく頷いた。


                * * *


 翌朝、マデイアに連れられ、カイとハルは水王の謁見の間へと向かった。

 謁見の間は、広い真四角の大広間だった。

 天上が水晶のように透通っている。壁と床には、青銀色の研磨された石が張ってあった。天上から落ちてくる光が床に反射して、壁のあたりで揺れている。

 広間の奥に壇があり、その上に純白の玉座が据えてある。玉座には長い銀髪の老人が座っていた。傍らには小柄な男が下を向いて控えている。真水族の王と、その予見者だ。


 カイとハルは、玉座の正面に片膝をつき、頭を下げた。淡い榛色の目をした老王が、静かな声で二人を歓迎すると言った。訛りの無い美しい翼族の言葉だった。


 早速、カイが水王に石盤を手渡し、ハルが、慇懃に訪問の目的を伝えた。

 水王は、石盤をじっと見つめた。それから、二人に、上を向かないよう注意を与えて、隣に控える男を呼んだ。

 水王の予見者は、神経質な青白い顔をしていた。ゆっくりと目を上げると、顔を伏せる二人の頭上を注視し、少しして二人から目を外すと、身を屈めて老王の耳に何かを囁いた。水王は頷きながらそれを聞いている。予見者は、話し終えると、再び視線を床に落とした。


 水王が、翼族の二人に顔を上げるよう告げ、静かに語り始めた。

「……我が国でも、残念ながら翼の墓場と呼ばれる場所のことは知られてはおらぬ。が、この石盤は竜の大地で採掘されたもの。翼の墓場を探したければ、まずは古代竜たちを訪ねるがよろしかろう。竜の大地を訪ねたければ、獣人王を頼られよ。獣人王に会いたければ、王の森までお連れしよう」  

 水王は、一度言葉を切って、二人の顔を見ながらゆっくりと続けた。

「ただし、先行きには乱気が見えるそうじゃ。如何なさる」


 カイとハルは、顔を見合わせた。

 ハルは首を横に振った。

 カイは縦に振った。そして、非難がましいハルの視線を避けるように、サッと水王の玉座に向き直った。


 その時だ。カイの目が、じっとカイを見ていた予見者の目と合った。予見者は、片方は紫、片方は黄色の珍しい目をしていた。予見者は真青になって目を背けたが、カイはそのまま水王に視線を移した。ハルの忠告など、すっかり忘れている。そして、恭しく返答した。

「獣人王にご挨拶に参ります」

 水王は静かな声で、「承知した」と答えた。

 真水族の王への謁見は、それで終った。

 

「約束が違います!」と、客間へと戻る廊下で、ハルが早速カイを咎めた。

 が、カイは肩をすくめて悪びれもせず答えた。

「心配いらん。何とかなる。せっかく国から抜けだしたんだ。もう少し自由にさせろ」

 そうケロリと言われ、ハルは口を噤むしかなかった。


 客間の前で、二人はヒノヒコとはち合わせた。少し前に起きて、食堂で酸素を貰い、シカラスとお喋りをしてきたところだという。やけに朗らかで機嫌が良かった。良い睡眠がとれたわ、水の国は素敵だわ、と鼻歌交じりにべらべらと話す。カイとは違って、水の国が肌に合っているのだろう。

「で、坊っちゃまたちは、早くからどちらへ行っていらしたの」

「水王に謁見してきました」

「あら、そう! 朝からお忙しくていらっしゃったのねえ」

「次は、獣人の森に行きますよ。馬車の準備ができ次第出発しますから、用意をしておいて下さい」

「あら、そう、分かったわ!」

 ヒノヒコは小走りに部屋に戻って行った。

 カイとハルは客間へと入った。


 暫くして、シカラスが、馬車の用意ができたことを告げに来たが、ヒノヒコが中々部屋から出てこない。不審に思ったカイとハルが部屋を覗くと、なんと寝台に転がってすやすやと眠っている。

 カイが怒り狂って叩き起こすと、ヒノヒコはけろりとして言った。

「あら、もう馬車の準備はできたの?」

「すぐ出発できるように用意しておけと言っただろう!」

「ええ、だから、ちゃんと出発前の睡眠をとっていたんじゃない。お肌の為に必要なのよ! アタシは実践を忘れたことがないって言ったじゃないの!」

 ヒノヒコはそう言って、誇らしげに鼻を鳴らした。それから、鼻歌を歌いながらやっと荷物をまとめ始めた。

 黙り込んだカイに、ハルが心配げに目をやった。怒り狂っているに違いない。が、少しの沈黙の後で、カイは比較的穏やかに口を開いた。

「……おい、ピコ」

「あら、やだ、ヒノヒコよ、殿下」

「いや、今後、お前のことはピコと呼ぶからそのつもりでいろ」カイはぶっきらぼうに吐き捨てた。「いいか、とっとと準備してすぐに追ってこい」

「ピコだかプコだか知らないけど、絶対にイヤよ、そんな名前!」

 喚き散らす『ピコ』を置いて、カイはさっさと部屋を出て行った。

 ハルは困ったように笑って、「さあ、行きましょう、ピコ」と優しく促した。


                * * *


 宮殿の前庭に、水馬二頭引きの、屋根なし馬車が用意されていた。

 宮殿の正面大門がゆっくりと開く。真正面に直線路があった。第十三大縦道だ。緑色の水馬はゆっくりと水を掻き始め、馬車は滑らかに、音も無く、水の国の首都へと滑り出して行った。


 朝の大通りだというのに、第十三大縦道に人影は全く無かった。というのも、真水族の民は、翼族の乗る馬車を遠くに認めると直ぐに家の中に隠れてしまうからで、これではいくら道を進んでも真水族に鉢合わせるはずが無い。

「美しい街を行く美しい人々を拝見できるわと楽しみにしてたけれど!」と、ヒノヒコ……ピコが叫んだ。「真水族って、本当に人見知りね!」

「そうみたいだな」とカイも頷く。

「そういえば、お二方からは、そんな感じはしませんね」

 ハルが馭者台の使者二人を見て不思議そうに言うと、シカラスが、ちらと後ろを振り返って答えた。

「警戒心の強さという点では、私たち二人は普通の真水族より、皆様方に近いのです。姉にも私にも予見の才がございませんので」

 マデイアが説明を付け加えた。「真水族にも、ごく稀に私たちのような者が生まれます。水王の使者にはそういう者が選ばれるのです。未知の人々と向き合う時の恐怖が少のうございますから」

 他人の心や未来が見通せる真水族の人々にとって、見知らぬ者と目を合わせる事は恐怖なのだと双子の使者は続けた。

 ハルは素直になるほどと頷いたが、カイは、なんとなく納得がいかなかった。

 未来なんぞは決まったものではないし、例えそれを知ったところで怯える必要などない。それに、人の心は、わからない方が恐ろしい。


 長い間、水馬は大通りを泳ぎ続け、都市の反対側の大門に着いた所で静かに止まった。大門は音も無く開き、馬車が抜けると再び静かに閉じた。

 抜けた先は、だだっ広い地底湖だ。翼族の三人を乗せた馬車は、地底湖の底をひたすら走り続け、やがて巨大な岩戸の前に着いた。岩戸を抜けると、水面へと向かうトンネルがあった。再び甘苦い液体が渡され、三人が飲み終えると、馬車はゆっくりとトンネルを上り始めた。


 やがて鬱蒼とした森の中の、巨大な湖の上に出た。

 水馬は、岸辺に着いた所で動きを止めた。


「ここは、既に獣人王の主森(おおもり)の中です」

 シカラスがそう告げた。そして御者台から下り、翼族の荷物を入れた白い布袋を下してから、一通の書状を取り出し、カイに渡した。

「我が王より獣人王陛下への書状にございます。それから、これをお持ちください」

 シカラスが取り出したのは、細い透明の管だった。

汲水管きゅうすいかんと申しまして、地面に差し込めば、何処ででも我々の水が湧き出て参ります。竜の平原に向かう際ご入用でございましょう」

 カイは礼を言うと、管を受け取って懐にしまった。


 と、ピコが耳聡く竜の平原という言葉を聞きつけて、「竜ですって? 今、竜とおっしゃって? 竜の平原? そうおっしゃったの? そんな場所、間違いなく野蛮よ、行きたくないわ! 絶対に行かないわよ!」と騒ぎ出した。

「うるさい、とっとと下りろ、ピコ!」

 カイは馬車からピコを蹴り落とすと、自分もさっさと飛び下りた。

「ヒノヒコだっていってるじゃないの! この、横柄な、野蛮な、信じられない、無神経なクソ皇子!」

 ピコが立ち上がりながら金切り声を上げ、二人のいつもの言い争いが始まった。

 シカラスが、戸惑ったように二人を見ている。


 その間に、マデイアが、水晶の小さな薬瓶を取りだして、ハルに手渡していた。薬瓶の中には透明の水薬が入っている。ハルが、それを注意深く眺めてから尋ねた。

「これは、もしかして、癒命水ゆめいすいですか?」

 マデイアは真剣な顔をして頷くと、ハルの耳元に口を寄せ、何事かを囁き始めた。

 話を聞き終えた時、ハルは心なしか顔色を失っていたが、強く薬瓶を握り締め、何度も「ありがとう」と言うと馬車から飛び降りた。


 それから、真水族の二人の使者は、丁寧に別れを告げると湖の中へと帰っていった。

 そして、使者を見送ったあと、翼族の三人は、頭から爪先まで、びしょ濡れになっていたことに気がついたのだった。

「本当に、水の中にいたってことですね」と、ハルが苦笑した。

 

 濡れた服を脱ぎ、岩の上に干しながら、ふとあることを思い出して、カイはピコを見た。

「おい、そういえば、どうしてシカラスが男だと分かったんだ?」

「あら、愚問ね、殿下。そんなのアタシ自身が優れた女形だからに決まっているわ。同業者の立ち居振る舞いがわからないはずがないじゃないの」

 ピコは、そう答えると誇らかにきゃらきゃらと笑った。

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