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芽吹き出づるは七色の花  作者: 浜能来
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二章 赤の国 その三

「聖女様?」

「聖女様だ!」


 レンガ造りの街並みで、人の海が割れる。

 人々の声から感ぜられるのは、心酔、憧憬、そして、信仰。それらを一緒くたにして受けるのは、短い赤髪を揺らす少女だ。

 力を至上とするこの国で、彼女ほど祀り上げられるべき人物はいない。

 力とは戦いで示すもの。ならば、その身に幾千の矢を受け、幾万の刃を受けようとも戦い続ける彼女は、もはや神の祝福を受けているに等しいではないか。

 戦争から生じたぐちょぐちょの血だまりが、聖女の衣となって魔女を包んでいた。


「……ったく、うるせぇなぁ」


 少女はただ、男からはぎ取った汗臭い衣を、初の給金で新調しに来ただけであった。

 彼女にとって、魔女から聖女に呼び名が変わったことにそれ以上の意味はなく、また、自分を包む歓声も煩わしいばかりだ。何度も言うように、彼女の望みは苛立ちの発散を目的とした殺人でしかなかった。

 彼女は、こいつらを殺してやろうかとも思った。しかし、時折混じる「殺してください!」という声にその勢いもそがれてしまった。

 望まれるままに殺すのはつまらない。だって、何を笑えばいいというのだ。

 それが、彼女の思うところであった。


「せいじょさまっ」


 彼女の前に飛び出してきたのは、年端もゆかぬ幼女であった。頬を火が付きそうなほどに紅潮させ、後ろ手に何かを隠している様子だ。


「……何だ、おまえ」

「えっと……、その……」


 飛び出してきた時の威勢はどこへやら、足をいじいじと動かして、言葉の歯切れは悪くなる。

 少女にはそれだけで耐え難いのだが、目の端に映る母親と思しき人物が割って入るでも毅然としているでもなく、ただあたふたとしているのが何より不快であった。


「どきな」

「きゃっ……!」


 少女が軽く手で押しただけで、幼女は倒れた。

 彼女の背後に、紅色がぱっと散る。大ぶりの花弁であった。


「……花か?」

「えっ……、あっ!」


 倒れた彼女は少女の声によって、ようやく自分が後ろに隠していたものの惨状を知る。緊張に張り詰めていた彼女の精神にとって、それは十分な打撃である。じわりと、目じりに透明がにじんだ。

 少女も少女で、戸惑いを覚えていた。

 自分は確かに不愉快を排除したはずであるに、心には鼠色の分厚い雲がかかっている。理不尽を嫌う彼女が、彼女に対し好意を示す存在を傷つける理不尽を為したのだから、当然の帰結である。いつもは笑うか睨むかの顔に、疑問符が浮かんだ。


「あー、なんだ」


 幼女は憧れの人に声をかけられても、もはや顔をあげる気力はない。泣くことだけはすまいと、見えないように隠した唇をきつく噛んでいた。


「花、俺にくれようとしてくれたのか?」

「……」


 かすれにかすれた声で何事かを呟いた幼女が、こくんと首を縦に振る。


「……よこせよ」

「……え?」

「よこせっつってんだよ!」

「は、はい!」


 幼女が慌てて背中から取り出した花を、少女は乱暴にひったくる。

 しっとりとして重厚感のある花弁が、幾重にもなって蜜を守っている。残念なことに、そのふっくらとした丸みはすでに失われていた。

 くるくると回して花を眺める少女を、幼女は不安げに見上げる。群衆でさえ、少女の行動の真意が見えていないのだから、不安になるのも致し方ないだろう。

 そんなものだから、少女が口を開くと同時、彼女は目をぎゅっと閉じた。


「花言葉はなんて言うんだ」

「……へ?」

「花言葉だよ。そういうのがあるんだろ?」

「え、あっ。はい!」


 幼女の顔が急にほころぶ。安心するのは早いとも思えたが、髪をぐしゃぐしゃとしながら口をとがらせて言う少女が、彼女には親しみの持てる存在に見えたのだ。


「生まれながらの素質とか、清浄とか……」

「なるほどな、私にぴったりってわけか」


 少女は口の端で笑いながら言う。


「ありがとよ。あと、悪かったな」

「い、いえ! そんな……」


 顔を真っ赤にして両手を振る幼女に、後ろ手に片手で答えつつ少女は歩きだした。花を手に持っていても邪魔だから、軽く形を整えてやった彼女はそれを耳にかける。

 一連の出来事に、以前より大きくなった歓声が追随したのは言うまでもない。


「へっ……、うるせぇなぁ」


 彼女の心は、晴れやかだった。


 ◇◆◇


 少女は再び戦場にいた。

 前回のような平原ではない。あの戦闘で侵攻をさらに進めたトレスタは、続いてピアンシェの辺境の街を攻め落とそうとしているのだ。乾燥の強いトレスタと違って雨のあるピアンシェの街並みは、木材が目立っている。

 遠目にそれを確認した彼女のいでたちは、少し変わっていた。太ももにベルトが巻かれ、そこに矢じりを大きくして柄を付けたような刃物が装着されていたのだ。彼女の昇進の証である。

 トレスタ王室は前回の戦争で彼女の力を認め、地位によって彼女を縛ろうとしていた。国を守る使命を帯びた統治者たちは、彼女の力を脅威としてとらえたのだ。

 とはいえ、彼女にそんなことは関係ない。不興を買うことを恐れた王室は地位は与えても明確な制約はつけなかったし、逆に彼女には小さいながらも指揮権があった。この上、早すぎる出世を憎んだ先輩たちが彼女の部隊を先陣として送り出してくれたのだから、彼女に不満などあるはずがない。


「よし、行くぜ。正面突破だ」


 とはいっても、少女が持つ能力は指揮能力ではない。作戦など立てようはずもなかった。

 しかし――


「「うぉぉぉ!」」


 そのカリスマだけは一級品だ。兵はすべて、前回の戦闘の参加者であった。少女を咎めた男が不運にも戦死を果たし、その部下たちが宙ぶらりんになっていたのだ。

 男たちは左手に構えた大楯を斜め上に構えて、太陽の光に燃える赤髪を追う。

 裂帛の気合を放つ少女の部隊であるが、大地を揺らすとまではいかない。本来、単体で突撃しろとは言われてはおらず、その部隊の兵は百にも満たない。


 それであっても、少女には勝利を得る確信があった。


 防壁の上から、矢の雨が降り注ぐ。それらは盾に当たり、音だけを残して弾かれる。


「効かねぇなぁ、そんなもん!」


 あるいは、目標に届く前に溶け落ちた。少女が横払いに手を振れば、貪欲な炎がそこにあったものを焼き尽くし、溶かしつくすのだ。

 その姿に、軍団は湧く。人が一人倒れたが、その後ろのものがすぐに隙間を埋める。数十のはずの軍隊が、数百の威圧をもって吶喊する。

 迫るは、固く閉ざされた城門。それに比してちっぽけな敵の軍。少女の無謀な特攻は、敵の準備をさせないという点では大成功と言えた。それでも、敵の数は彼女の軍より多い。

 彼らの槍の煌めきが迫る。もう幾何の猶予もない。少女は、舌なめずり。


「お前らぁ、少しくらい持たせろよぉ!」

「「了解!」」


 少女は腿から刃物を抜き取り、投げる。兵士の頭上を通り越して、それは木製の城門へ突き立った。


「まず一人ぃ!」


 その隙を、敵の槍が刺し貫く。


「こっちのセリフだよ!」


 口の端に血の泡を吹きながら、少女の鬼気は衰えを知らない。思わず怯んだ敵兵を、槍を伝った炎が飲み込んだ。


 彼と彼女、同時に倒れたその音が、衝突ののろし。


 少数のトレスタ軍と、多数のピアンシェ軍が衝突した。

 ピアンシェ兵は思った。なんと楽な戦だろう。指揮官らしき女はすでに死に、数の優位はこちら。壁の中には準備の間に合わなかった兵がまだ控えている。我らの勝利は揺るがない。

 それ故に気味が悪かった。未だ勢いの衰えないトレスタの兵が。目がぎらぎらとして、たとえ傷を負おうとけして戦意を喪失しない彼らが。

 彼らの目の先には、城門に立ち上る陽炎があった。それに気づけばピアンシェの兵は疑問に答えを得て、その運命も変わっていたのだろう。


「なんだ……?」


 前線の兵の一人が気付いた。暑い。まるで、後ろで何かが燃えているような。

 ちらりと振り向いた彼は愕然とする。集中故に聞こえていなかった、後方の阿鼻叫喚が耳に着く。

 そこは地獄。燃え盛る城門を背景に、小さな獣が踊り狂う。あちらで一人、こちらで一人、その獣は次々に死の舞踏へ招待していく。


「何よそ見してんだ!」


 気づいた時には遅かった。トレスタ兵は眼前に迫っていて、槍が胸から生えていた。

 同様のことが、各所で起こり始める。前方に意識を集中しなければ後ろから、後方に集中しなければ前から、確実な死が迫ってくる。後ろに控えていたはずの指揮官は、黒焦げになっている。

 彼らを縛るのは、もはや己の生への渇望のみだ。

 烏合の衆となり果てた軍隊は、不可思議な挟撃に全滅した。


「装備よこせ!」

「どうぞ!」


 合流した部下たちから、少女は自分の装備を受け取る。灯火の能力による蘇生は、衣服までは再現しないのだ。


「このまま陥とすぞ!」

「「はい!」」


 そこからは一方的であった。

 まばらにやってくる敵兵をなぎ倒す。狭い路地を利用した奇襲であっても、蘇生を利用した瞬間移動を駆使して対応される。


「ありがとうございます!」

「気にすんな!」


 しかも、少女は自分の兵すらもそれで守るのだ。現れた彼女に焼き殺され、彼女を盾にした槍の一撃に貫かれ、ピアンシェ兵に被害は一方的であった。この時、トレスタ兵の鎧の独特な文様が一つずつ消えていくことに気づけた者はいない。

 炎にまばゆく照らされた行軍が、ついに行政府に至る。


 ピアンシェ辺境の都市、フィレーは、史上最低規模の軍により陥落した。

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