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芽吹き出づるは七色の花  作者: 浜能来
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二章 赤の国 その二

 赤い髪の少女は、戦場に立っていた。

 短い草に覆われた平原のはるか先には、太陽を背にした黒の軍勢がある。トレスタの侵攻している国、ピアンシェの兵隊だ。

 彼女はその姿を認め、ぶるりと体を一つ震わせる。


「嬢ちゃん。来るところ間違えたんじゃないか?」


 そんな彼女に、胴体だけを鎧って四肢を露わにした兵士の一人が声をかける。その声には嘲弄の色合いが多分に含まれている。


「何だよ、間違えてなんかねぇよ」


 その彼を、彼女はぎろりと睨め上げる。

 彼女の男勝りな口調は、苛立ちを露ほども隠せてはいない。彼の声が嘲弄に彩られたものであるのなら、彼女の声は挑発で彩られていた。


「いんや、間違えてるぜ。嬢ちゃんの居場所は俺のベッドの上だ」


 下卑た笑いを浮かべ、彼は少女の細い体に手を伸ばす。自分と同じものを身につけた彼女が、彼にはとても性的に見えた。

 少女は変わらず彼へ視線の槍を突き刺していた。彼にはそれは脅威たりえない。いつまであれば同調して来そうな周囲も、冷ややかな視線を投げていたのだが、彼は見ているだけの周囲に対し優越感を覚えてしまった。

 そして、彼女のなまっちろい腕を、彼の日に焼けた腕がとらえる。


「へへっ。……なんだ?」


 彼の疑問を喚起したのは、異臭である。

 彼の痛みを喚起したのは、その異臭の源である。


「う、うぎゃあぁ!」


 彼の手は燃えていた。ぼうぼうと燃えていた。

 彼女に触れた部分から発火して、炎の衣が彼の身を包まんとする。

 彼は燃える腕をはたきながら、二歩、三歩と後ろに下がる。

 周囲の目は火を消しそうなほどに冷ややかだ。魔女に手を出すからそうなるのだと、どの瞳も異口同音に批難する。


「てめぇ、何しやがった!」


 されど流石は、いや、腐っても戦場の男。熱さにぎりりと噛み締めた歯の間から、問いを絞り出す。


「何、だって?」


 離れる男を無言で見つめていた彼女。その顔には、可憐な仮面の下の醜悪を晒している。

 一言で言えば、嗤っている。

 それを見た男の脳裏には、目から丸焼きにされた男の話。


「お前のしたかったことじゃねぇか」


 軽やかなステップで、機嫌よく少女は近づく。

 男は咄嗟のことに身を固めてしまった。近づく彼女の顔に、目を瞑ってしまった。

 彼の唇に、柔らかな感触。

 それは、触れたか触れないかの軽いキス。それであっても、彼の顔に火が付くには十分だった。


 比喩ではない。文字どおりに。


 火の舌が彼の口内を愛撫し、喉に至るまで舐め尽くす。

 もはや彼は悲鳴をあげることすらできなかった。焼ける痛みに顔を掻き毟り、それでも消えぬ痛みにのたうつ。


「アハハハハ! 見ろよ、アレ。きっと、キスされたのすら気付いてないぜ」


 彼女の哄笑に、観客も次第に笑い出す。

 踊る。笑う。踊る。笑う。

 興がのりにのった頃、彼の命も、体も、その殆どが燃え尽きていた。


「何をしている!」


 そこに現れたのは、装飾された兜を付けた屈強な男。腕甲、脛当ても付いていて、一目でそこにいた人々との格の違いがわかった。

 誰もが口をつぐんで姿勢を正す中、一人だけ笑い続けるものがある。

 もちろん、件の少女だ。


「バカがいたから、お仕置きしてやったのさ」

「……なに?」


 さらりと言ってのける彼女に、やってきた男は眉をひそめる。内容よりも、態度が気に障ったのだ。

 彼は少女を足先から頭頂まで切り裂かんばかりの視線を動かし、憎々しげに漏らす。


「お前、赤の魔女か……」

「その名前、そんなに好きじゃないんだけどな」


 口元のニヤニヤを消さない彼女を前に男は思案した。

 彼は風の噂に聞いていた。火を思いのままに発現させ、思いのままに操る女が軍に入ったと。その火炎は鉄をも溶かすとか。

 どうせどこかで尾ひれ背びれが付いているのだろうが、彼女に血の気が多いことは、目の前の惨状から明らかなのだ。

 強く出て、自分まで殺されてしまうのではないか。黒く焦げた死体に、自分の姿が重なった。


「おい、そこのお前」

「は、はいっ!」


 男が声をかけたのは、人一倍気の弱そうな青年だ。


「何があった」

「そこの者がこの女に襲いかかり、反撃されました!」

「そうか……」


 少女は青年に、この女とはなんだと難癖をつけていた。そんな様子を見やりつつ、男は保身を優先することにした。


「今回は不問とする。次は、どんな理由があろうと許しはしない」

「じゃあ次の次はあんたってこと?」


 彼女の顔からさっと笑みが消え、表情なく男を見上げた。

 彼の顔が引きつる。それを見届けるや否やその顔は崩れて、元の笑みが返ってくる。


「冗談さ、ありがとよ」

「——ッ! 次までに、口調も直しておくんだな」


 それだけ言ってさっさと戻っていってしまう彼の背を見て、彼女はまたも大いに笑った。

 何も、自分より地位が高くありながら自分を畏怖したあの男を笑っているのではない。戦場が、自分の望む場所だったことに笑っているのだ。

 味方には間抜けがいて、自分から死にに来てくれる。加えて、見はるかした先にはまだあんなにも獲物があるのだ。

 彼女は未だ自分の何者であるかがわからない。そのことへの苛立ちも、これでしばらくは収まることだろう。

 それがひたすらに嬉しくて、嬉しくて。だから彼女は笑うのだ。

 そんな純粋で無邪気な笑い声は、今度は周囲に伝染しなかった。

 彼らは恐怖したのだ。彼女の力に。上官すら恐怖する、その事実に恐怖したのだ。不用意なことをすれば十中八九死ぬだろうと思い到り、戦慄したのだ。


 彼女は一人を殺し、笑うだけで、味方を恐怖で統制した。


 そして、彼女は一度戦場に立つだけで、偶像として味方を統制した。


 戦場に出た彼女は圧倒的だった。その力は、まさに百人力。

 この国にいつの間にやらいて、その日に知り得た自分の力。それを振るう彼女に、敵はない。


 その力は、発火能力に非ず。


「な、何だこれぇ⁉︎」


 戦いの熱気と、戦士たちの雄叫びの無数にこだまする中、毛色の異なる叫びが一つ。

 彼女に触れられた敵国の兵が、突如燃え出した鎧に驚きの声を漏らしたのだ。その一時の隙が、彼の全身を焦がす。


「アッハッハ! バカじゃねーの?」


 少女は可笑しさのあまり、片手で顔を覆って嘲笑う。


「バカはお前だ」


 一閃。

 焼死体の後ろから別のピアンシェ兵が現れて、彼女を袈裟斬りにした。吹き出す血が敵兵を赤く染め、笑い声に喀血が混じる。

 どさり。少女の軽い体が地面を打つ。

 男は魔女の殺害を確信した。そんな男を、倒れた魔女の目がぎょろりと捉える。


「お前も、バカだよ……」


 そう言って、それから少女は動かない。

 小さな死体を踏みつけて、彼女の後ろに控えていたトレスタ兵が押し寄せる。彼はその対処に追われて、彼女の言葉を深く考えない。

 だからこそ、彼女にバカと言われるというのに。


「ハッ! やっぱりバカじゃねーか」


 彼のピアンシェ兵が鍔迫り合うトレスタ兵の背に突如陽炎が立ち登り、そこから、少女の声はしていた。

 彼が視線を上げた時には、もう遅い。

 トレスタ兵の背中から飛び出した彼女はその肩を蹴り、ピアンシェの兵士の後ろに着地していた。

 そのまま彼の耳に口を寄せ、囁く。


「なかなか良かったぜ、お前の剣……」


 耳朶への甘噛みは、快感ではなく苦痛を伴ったという。


 そう、彼女の能力は“灯火”だ。

 たといどこかで消えようと、誰かがどこかで灯している。小さくありながら、永遠に消えぬ赤い煌めき。

 それは地獄の業火より、苛烈なのではなかろうか。

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