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芽吹き出づるは七色の花  作者: 浜能来
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一章 緑の国 その四

 少女が現れて、四か月。

 四とは、死を連想させる数字である。そして、彼女の周囲ではまさに、死が量産されていた。


「魔女の森を燃やせぇ!」


 その声は、赤々とした森の中、木々の爆ぜる音に混じっている。火の手は多いが、人の手は少ない。

 森を歩き回って火をつけるなんて真似、誰がしたがるのか。犯罪だって増えているこの都市だ。家に引きこもるのが何よりと、多くの人々は疑わなかった。

 さて、彼女はこの中でどうしているのか。


「熱いわね」


 彼女はいたって平静だった。

 この熱い中、歩き回るのだって億劫だ。服にだって火がつくかもしれない。

 彼女はむき出しの地べたに黒いローブを敷いて、その上に腰を下ろしていた。ドームのようになって彼女を守ってきた家は、今では防壁のようにそびえたって彼女を囲っている。その体にはすでに火がついていて、けれども水を多く含んだ彼らはなかなか燃え落ちない。

 彼女はローブの余ったスペースに置いておいた干し肉をつまみ上げる。うっとおしいほどにあった干し肉も、これで最後の一枚だった。

 あの男も、もう彼女に何かを届けることはなかった。別に森が燃えているからとかではなく、少し前からそうだった。少女はその理由について深く考えず、どうせ飽きてしまったのだろうくらいに考えていた。

 オレンジの光にてらてらと照らされながら、彼女は地面に手をかざして一本の木の枝を呼び出し、折り取った。軽く土を払ったそれに肉を刺し、周りを囲む火で肉を炙る。適当なタイミングで口に運んだそれを、彼女はハフハフとやりながら咀嚼し始めた。

 すると、彼女の口の中にこれまでの干し肉にはなかった豊かな風味が広がっていく。周囲の状況なんてお構いなしに、最初からこうしていればよかったかもしれないなどと、彼女は考えていた。

 彼女は自分に迫る死など、感じてはいなかったのだ。正確には、死を脅威と感じていなかった。

 わざわざ栄養管理なんてしていたのは、栄養失調による死の苦しさ、かったるさを知っていたからだ。このままでいて訪れる死は、生きるのよりはるかに楽かもしれない。そんな考えが、彼女の頭の中にはあるのだ。

 肉を食べ終えた彼女に、もはやすることなど煩わしい呼吸くらい。空気の熱い今では、それもなおさら煩わしい。

 彼女は何となしに、赤に丸く切り取られた曇り空を見上げていた。慌てて逃げていく数羽の鳥が、彼女に影を落とす。


 言うまでもないことだが、森を襲った火はやがて消えた。

 森には緑の衣を失った木々がぽつねんとして立ち並び、中には倒れてしまったものもいる。その表面は黒く、今にもパラパラと崩れてきそうだった。

 それは彼女を囲っていた木の根っこたちも例外ではない。その遺骸の中心で、彼女は一人座っていた。

 彼女は、生きていたのだ。

 彼女は深い嘆息をする。生活の場がなくなってしまったのだ。死んでしまえばよかったなぁ、と、それだけが彼女の頭の中にあった。

 かといって、このままでいるわけにもいかない。


「ほら、もどりなさいよ」


 彼女の発した言葉は、たったそれだけ。たったそれだけで、彼女の過ごした森は鳴動を始める。

 地面から新芽が芽吹き、ぐんぐんと育って、若木になる。若木はぐんぐんと育って、焼け焦げた木を押し倒した。

 押し倒された木はあっさりとその身を崩し、ぱらぱらと地面に降り注ぐ。降り注いだ灰は、するりと土の層の中に入り込み、次の世代の栄養となった。

 先人の遺志を受け、若木はその成長を速めていく。そして、若木は一本の立派な木となった。

 森の各所で同じことが起こり、少女の周りでもそれが起こる。黒ばかりであった彼女の周りには、すでに緑や茶色の彩が戻っていた。彼女の小さな根っこの家も、すっかり元通りだ。

 彼女は背伸びをして、ツタで編まれたベッドに横たわる。彼女だけがすっかり、終わった気になっていた。

 その後、都市からの景色の一部が赤くなったり緑を取り戻したりするようになったのは、家に籠りがちな住民たちの間でも有名な話である。


 あれから何度も森は燃えた。森が燃えるたび、森は甦った。その頻度は回を増すごとに短くなって、今では蘇ったすぐ後にはどこかで煙が立ち上っていた。

 そんな中、彼女は都市に出ていた。やはり、肉は入用なのだ。

 季節に合わせてちゃんと長袖にした植物性のワンピースを着て、手にはバスケットを下げている。そこに入るのは、いつかと変わらず果物である。季節の変化に合わせ、中身は暑くなり始めたころにとれる紫色の拳大の果実だ。

 大きめのそれが、歩むに合わせてゴロゴロとバスケットの中を右往左往する。彼女の歩みは遅いから、傷つくほどではないのが救いだ。

 そんなことを露ほども考えていないであろう彼女を咎める者はいない。なぜかと言えば、通りに人通りがないのだから。雲に隠れて太陽は見えないが、間違いなく昼の時間帯である。だというのに、通りに人はいない。誰も彼も、家の二階の窓から彼女を見下ろしたりしている。

 彼女はそんなことに気づくはずもなく、ゆっくりと目的地に向かっていた。

 やがて、久しぶりの八百屋に着く。そこには以前ほどの品ぞろえはなく、ぽつりぽつりと底の木の板の見えている棚がある。


「……おはよう」

「ん……? あぁ、嬢ちゃんか」


 男の声に、以前の張りはない。店の奥から出てくる気配もないので、彼女は仕方なく入っていく。バスケットが棚に当たるのが非常にうっとうしそうであった。


「よろしく」


 彼女はそう言って、男のいるカウンターにバスケットを置いた。男はそれを横目にとらえ、仕方なくといった風に口を開く。


「悪いが、帰ってくんな」

「どうして」


 彼の口から呆れが吐息となって滑り落ちた。


「俺みたいなおっさんの身は可愛くないけどな、妻や子供は可愛いんだ。許してくれや」

「……そう」


 彼女は彼の言わんとするところが分かったのではなかった。ただ、彼に事情があると、そう分かった時点で彼女の思考など止まっていた。


「それはあげるわ」

「もらえねぇよ」

「私も、もらえないわ」


 彼女はバスケットを置いて去っていく。今更どこかほかのところで買ってもらうのも面倒だし、売るためだけに育てたものを自分で消費するのも面倒だった。


「……悪いな」


 男の見送りの言葉はそれだけ。こうして、彼女は都市で唯一の理解者も失ったのだ。


 帰り道、石畳の継ぎ目を目で追いながら歩く彼女の前に、一人の少年が立ちふさがった。

 彼は、少女から見ても十分少年である。震える足を一生懸命に石畳に押し付けて、右手にはこれでもかと力強く、石を握りしめていた。


「お、お前が、父ちゃんを殺したんだ!」


 彼のこの叫びがなければ、少女はきっと少年にぶつかっていただろう。彼女はそれ程に、周囲に気を配る手間を省いている。


「どいてくれない」

「いやだ!」

「じゃあ、隣を通るわ」


 ふり絞られた彼の叫びに対して、彼女はいたって淡泊だ。少年の堪忍袋の緒を切るには十分、淡泊だ。


「ふ、ふ、ふざけんなよ!」


 少年は、右手の中の石を投げていた。それを見た少年自身が、ポカンとした顔をしている。

 たいして少女は、変わらぬけだるげな瞳でそれを捉えた。初めての自分への攻撃は、彼女にはやけにゆっくりに見えていた。

 かわすのも面倒だ。痛いのも面倒だ。しかし痛いとは何だろう。

 そんなことをぼんやりと考えている内、彼女は回避の時間を失う。

 少年は当たると思った。咄嗟に目をつむっていた。

 少女も当たると思った。だが目は開いていた。

 だから、それを見たのは彼女だけ。


 少女のぐるりを包んだ淡い緑に光る障壁が、飛来する石をはじき返したのだ。


 彼女が初めて、自分の力の本質を知った瞬間だった。

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