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芽吹き出づるは七色の花  作者: 浜能来
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一章 緑の国 その二

 緑の髪の少女がいつのまにか『いた』都市は、その名をヤープといった。それはそのまま国の名であって、つまりはそこがヤープという法治国家の首都である。彼女の自然あふれる家から見えるお城とは、国の政治の中枢であったりした。

 このことは、彼女にとって未知のことだ。もしも彼女が疑問を少しでもさしはさんだなら気づいたのかもしれないが、そんなことすら彼女には面倒なことでしかない。

 そんなものぐさの極みに立ったような彼女の家には、真っ黒の衣服だけが残されていた。それは緩い曲面になった家の壁から真横に突き出た木の枝に、ぞんざいに引っ掛けてあった。では、家の主はどこへ行ったのか。

 答えは単純で、都市に出ているのである。


 石畳の上を歩いているのに、少女の足音はほとんどない。あったとしても周囲の足音に紛れて目立つことはないだろうが、植物のつたで編んだ靴を履く彼女の足音は特別目立たないのだ。

 逆に、彼女の風体は最初に現れた時と同じように特別目立つものであった。いや、それ以上に目立っているだろうか。

 なぜなら、植物のつたで編まれたのは何も靴だけでなく、その衣服のすべてにまで至るのだから。

 涼しげなワンピースの形をとったその衣服は、わずかな隙間から白い肌がのぞいていたり、葉っぱが肩のところから生えていたりする。

 彼女が通り過ぎるたびに、道行く人々は顔をしかめたり、目をみはったり、時折鼻の下を伸ばしたりする。対する彼女の表情は微動だにせず、じっとりした目は進行方向に固定されていた。

 彼女はこれまた植物製のバスケットをだらりと片手に下げ、ゆっくりと歩いていく。


「……おはよう」

「おう、嬢ちゃん。毎朝毎朝ありがとうな」


 彼女の辿り着いたのは、道の脇に立ち並ぶ商店のうちの一つ。野菜や果物をずらりと陳列した、八百屋というやつである。

 彼女の小さな挨拶を、そこの店主は聞き逃さなかった。のっそりと店の奥から出てきて彼女をねぎらう。

 彼はいかにも中年らしい顔をしていて、その体型からはあまり生活には困っておらず、あるいは余裕があるのではないかということが読み取れる。とはいっても、店の奥にずっと座っているからではないかと言われれば否定の要素は少ないのだが。

 そんな彼は横だけではなく縦でも緑の少女より頭一つ分は大きいので、彼が前に立つと彼女は余計に小さく見えた。当然、彼女がバスケットを彼に差し出そうとすれば、それをわざわざ持ち上げねばならない。


「今日もみずみずしいな」

「そう……?」

「そうだよ。どうやってこの季節にこいつを採ってきてるのか、教えてほしいもんだ。ほら、今日の駄賃だ」

「ん」


 そう、少女がバスケットいっぱいに入れていたのは、果物だ。小振りながらも赤々として、つやのある表面をしたそれは、本来寒い時期にその実を付けるのだ。けして今のような、天高くに太陽のどっしりと構えた季節にとれるものではない。

 彼女はその貴重品の山を男に渡し、代わりに男の手から数枚の硬貨をもらう。


「もう帰るのかい」

「だって、何も買わないもの」

「ま、だろうな」


 八百屋に果物を売り渡しに来ては、そのまま帰っていく。これはここ最近の日常風景である。男は彼女がほかの八百屋で買い物をしているのであれば不満を持ちもしただろうが、そうは思っていなかった。こんな貴重なものを持ってくるのだから、きっと必要な作物は自分でとれているのではないかと予想しているのだ。

 だから、彼は彼女を一片の曇りのない笑顔で見送る。重荷の消えた分、来た時より少し早い歩調で歩く彼女は、すぐに人ごみの中に埋もれて彼には見えなくなった。

 彼は手に持ったバスケットの中の赤を一つとって口に入れる。歯の圧力に弾ける心地よい感触。同時に彼の口の中に爽やかな酸味が広がり、わずかな甘みがそれをちょうどいい塩梅に整えていた。彼は満足そうに一つ頷いて、ニヒルな笑みを浮かべながら言う。


「あの子にも、こんぐらいの甘味だけでもありゃあな」


 結局、彼女はこの男に対してもけだるげであった。


 茶色い家の、緑のカーテンが開かれる。入ってきたのは、当然家主たる緑の髪の少女である。

 彼女は家に入るなり、両手に抱えた干し肉をローブの隣にかけていく。毎日一日分より少し多く買ってきているので、壁にかかる干し肉は増殖の一途をたどっていた。買わなければいいのだが、彼女にはお金をどこかにためておくのが面倒であった。かといってほかに欲しいものはないから、彼女はいつも肉屋にその日の硬貨をすべて渡し、「買えるだけ頂戴」と言っているのだ。

 彼女は干し肉をかけ終えると、また家を出る。何も都市に再び出向くのではない。家の裏手に用があるのだ。

 そこには、森の中だというのに不思議と木々の姿はなかった。大人の男が十人は寝そべれるかという半径を持つ、暖かな陽光の降り注ぐ円形のスペースだ。陽ざしを受けるのは、季節感もなく並べられた様々な野菜たち。葉を幾層にも丸めたものや、豆、根っこを食すもの、奥には果実も実っている。


 そのどれもが、食べごろを迎えている。


 彼女はその中から今日の分を気の向くままに選び取っていく。

 彼女が葉の塊に手をかければ、それはおのずと茎を折ってその身を差し出す。手をかざせば豆を吐き出し、根っこは惜しげなくその姿をさらす。

 その全てを回収して去る彼女の後ろには、まるで時を巻き戻したかのように彼女の来る前と変わらぬ菜園が広がっていた。

 家に戻った彼女に、家が椅子を用意する。地面からせり出したそれに座れば、目の前には木の枝を張り巡らせた机。彼女はその上に取ってきた野菜と差し出された干し肉を並べ、調理もそこそこに食事をとる。

 彼女の食事は、生きるための義務のようなものだ。楽しみも何もない。干し肉だって、栄養を取るために買ってきているに過ぎない。面倒この上ないが、栄養失調に苦しんで生きるよりも楽だ。彼女は経験から、そう結論付けていた。

 蛇口のように机から生えていた木の根から、水がしみ出す。彼女はその水を手で受けて、食事を流し込む。ほっと一息つくと、彼女といえど多少の思考も自然としたりする。

 結局自分が何者か、一か月たった彼女には今もわからない。疑問を持つこの一瞬でさえ、疑問を持つにとどまってしまうのだから当たり前のことだった。

 頭には、菜園を除いていた少年の一団のこともよぎる。興味もないので無視していたが、ここに人が訪れたのは彼女の知る限り初めてであった。それに思い当たってもなお、彼女には思考の意欲がわかない。

 天井をぼーっと眺めた時間が少し増えただけで、彼女は後ろに編みあがっていた寝床に身を横たえる。木の枝のごつごつした感触、先っちょのチクチクした感触、どちらも彼女の慣れ親しんだ感覚。引っかかった髪の引っ張られる痛みにはまだ慣れないようだが、真昼間だというのに彼女は惰眠をむさぼり始めた。

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