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その背中を押さない、  作者: MilkLover
そして彼と彼女は変わる
3/5

決意

 きのう、親友が死んだ。肺がんだと聞いた。弟を頼むと言われた。

 その弟が、病院の屋上で死のうとしていた。止めた。涙が出た。彼も泣いていた。今日も彼は死のうとした。睡眠薬をいっぱい飲んだって聞いた。悲しかった。明日も死のうとするかもしれない。でも、死んでほしくない。もう、死なれるのは懲り懲りだ。奉仕の気持ちになんて、なれないよ。ねぇ、わたしは、

「誰に助けてもらえばいいの。」

 茶色く変色した左手首にまた赤い絵の具を上塗りした。


「おはよう、みなとくん。」

「なんでありす先輩がうちで朝ごはん食べてるんですか。」

「そんなことは些細なことだよ。早く食べないと遅刻しちゃうよ。」

「いいですよ、別に。学校なんて行かなくったって。」

「駄目だよ。」

 お母さんとおばさんにいっぱい頼みこんだ。みなとくんを助けたいって言った。おばさんはいい人だ。お母さんはわたしのことがどうでもいいみたいだった。そういうわけで、わたしは海優の部屋に住むことになった。できるだけ海優を薄らがせるために。

「行ってきます。」

「いってらっしゃい。」

 いってらっしゃい、なんていつぶりに聞いただろう。わたしは少し、いい気分だった。

「いってきます。」

「いってらっしゃい。」

 少し遅れて、みなとくんもいってきますをする。

「これからは一緒に登校しようね。」

「なんで……。」

 みなとくんが呟くように言う。

「どうかした?」

「……独り言です。行きましょう。」

 そのことが気になって一日中授業は上の空だった。気が付けばノートには数式じゃなくてみなとくんの顔が書かれていた。

「みなとくん。」

 ふと、口に出しているのに気が付いて顔が火照る。いかんいかんと頭を振る。

「わたしは海優の代わりに、みなとくんのお姉ちゃんになるのだ。」

 決意表明を叫んだ。

「有栖川宮、ちょっと廊下に出てくれないか。」

 数学の授業中だということをすっかり忘れて。


 放課後、西側の校舎にある二架は西日に照らされてオレンジ色に染まる。カーテンすらない劣悪な環境は本の大敵だ。

 西日で文字が読みづらい中、わたしとみなとくんは本を読んでいた。文化祭で、読書レポートをまとめた冊子を出すことになったのだ。活動らしい活動は、海優がいたときを含めてもはじめてかもしれない。

「ありす先輩。」

 ふいに、みなとくんがわたしを呼ぶ。

「何?」

 わたしは、本に目を向けたまま、返事をした。

「ありす先輩は、どうしてリストカットなんてしてるんですか。」

「え?」

 思わず、椅子から転げ落ちそうになった。

「なんで、知ってるの?」

「そのリストバンド。ずっと外さないな、とは思ってたんですが。やっぱりですか。」

 はったりだったようだ。でも、もう遅い。

「どうしてですか。」

 みなとくんが真剣な顔でわたしを見る。わたしはちらっとみなとくんを見て、目をそらすように本に視線を落とした。

「こっちを見てください。」

 冷たい声だ、とわたしは思った。はじめてあったときみたいな声。しばらく沈黙が流れ、私が本を読み進めても、その声の温度が耳に残っているようだった。

 冷たい、冷たい声。死にかけで、実際死のうとして、この世のすべてを、海優を奪った世界を呪うように中原中也の『春日狂想』を呪文のように唱えていたあのときと同じだ。

「こっちを見ろ!」

 バン、と机が強く叩かれる音がした。みなとくんがわたしの座っている机の天板を叩いた音だ。いつの間にか、他の机は教室の端に倒れていた。いつの間にどかしたんだろう、とわたしはそんなどうでもいいことを考ながら俯いていた。

「ねぇ、どうして。」

 目の前の机が取り払われて、すごい音がした。窓ガラスが割れていないといいんだけど。みなとくんの手が肩にのっかる。やがてわたしの体は揺さぶられる。

「どうして、僕の周りにいる人はこんなに弱いんですか。これじゃあ誰にも頼れない。本当に死ぬほかないじゃないか。」

 みなとくんが地面に膝をつく。肩に手がのったままだったので、わたしはそのまま下に押し付けられる形になって、椅子から滑り落ちた。

「ごめんね、海優。わたし、みなとくんのお姉ちゃんにはなれそうもないや。」


 わたしは、誰からも必要とされていなかった。いないもののように扱われ、わたしは、わたしが本当に存在しているのか、不安になった。カッターで手首を切るたびに、痛みが走って、血が流れた。それがわたしのいる証拠だった。

 そんなわたしを海優だけは気にかけてくれた。大丈夫だよって抱きしめてくれた。大丈夫だよ、そばにいるよって。

 だから、わたしはカッターを捨てた。なのに、海優は嘘つきだ。大丈夫じゃなかった。そばにいられなくなった。海優が入院してから、わたしは毎日お見舞いに行った。そこで、みなとくんの話を沢山聞いた。正直、引くくらいブラコンだと思ったけど、海優の話すみなとくんは、とても愛らしくて、時々かっこよくて、優しくて。

いつの間にか、一度も会ったことがないのに、みなとくんが大好きになってしまった。

 お医者さんから、もうほとんど海優の助かる見込みがないと聞いとき、わたしは本当に不安になった。海優がいなくなったら、誰がわたしを確かめてくれる? 誰がわたしを必要としてくれる? わたしはまた、カッターを握っていた。


                ***


「最初にあったとき、病院の屋上で。」

 二架の床は熱を帯びていた。足がぐっしょりと濡れているのを感じる。先輩の声が吹奏楽部の演奏の音に混じって聞こえる。大会が近いのだろう。いつもより大きな音だ。いつもより音楽室が近いだけかもしれない。教室棟と違って、二架は特別教室棟にあるから。

「わたし、死のうとしてたんだ。」

 先輩は震え声で、僕に必死に伝えようとしてくれる。彼女の心の闇を。

「海優がさ、言ったんだ。大丈夫だって。そばにいるって。でもさ、海優がほんとにそれを言いたかった相手は、みなとくんだって分かったから、死のうとする君を止めたんだ。わたしを必要としてくれたたったひとりのために。多分、自己満足なんだと思う。……それか嫉妬かな。業が深くて死ねないわたしの、愛するものが死んだときに躊躇なく死ねるみなとくんへの。」

 先輩はやっと起き上がって、僕に手を差し伸べた。

「強くなるから。」

 先輩の声は、もう震えていなかった。

「強くなって、みなとくんを守るから。」

 僕はスフィンクスみたいな体制のまま、彼女の手をとった。まるで、お手みたいで、カッコ悪いし、みっともないポーズだった。掴んだ手から先輩の温度を感じる。あたたかい。夏なのに、暑いとは、感じなかった。

「だから、わたしが死んだときは」

 死んでね、と言いかけて先輩は

「やっぱり死んじゃ駄目だよっ」

 とおどけた調子で言い直して、僕の手を引っ張った。

 僕はやっとこさ立ち上がって先輩の目を見た。

「もう、死にません。」

 先輩の手を離す。

「ありす先輩が、生きるためにもがいたように、僕も精一杯足掻いてみます。」

 僕は笑った。『つらい時ほど笑っていなくちゃ。』

「僕が『卯月先輩』を守りますよ。男が守られてちゃ、カッコ悪いから。」

「でも、後出しだよ。」

 先輩は泣いていた。

 僕は笑っていた。

 西日に照らされた第二図書開架室で、僕たちは、生きることと向き合った。







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