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その背中を押さない、  作者: MilkLover
そして彼は彼女と出会う
1/5

誘引

姉さんが死んだ。肺がんだった。冷たくなった姉さんの、安らかな表情を見て、僕は心にぽっかりと穴が開いたのを感じた。

「死のう。」

 病院の屋上は、夏だというのに涼しかった。風が吹いているからだろうか。それとも、僕が汗でぐしゃぐしゃになっているからだろうか。フェンスの隙間から、下を覗く。

 コンクリートの地面が広がる駐車場だ。ここから飛び降りれば、確実に姉のもとへ行くことができるだろう。今度はもっと先のほうを見渡す。もう夜も深いのに、馴染みある街の風景をくっきりと見ることができた。幻かもしれない。その幻に目を凝らす。

 小さい頃、よく姉さんと遊びに行った公園、毎年夏になると姉さんに連れられて行った市民プール。どこもかしこも、姉さんとの思い出が詰まった場所だった。この街は、姉さんの面影が強すぎる。

 僕はフェンスに背を向け、背面からもたれかかって中原中也『春日狂想』の一節を呟いた。

「愛するものが死んだ時には、自殺しなけあなりません。愛するものが死んだ時には、それより他に、方法がない。」

 僕は、意を決して、フェンスによじ登る。意外にもフェンスは高い。内側へ向かって返しのついている部分があり、体勢がきつくなる。一番上の部分を右手が掴んだ刹那、僕の体は落ちていた。

 フェンスの内側に。

「けれどもそれでも(ごふ)が深くて、なおもながらうことともなったら、」

『春日狂想』の次の節が聞こえてくる。それは、少女の声だった。

 消灯時間も面会時間もとっくに終わっているはずなのに、僕と同じ高校の制服を着た少女が僕のすぐ後ろにいた。僕が彼女の顔を地面に寝っ転がったまま見上げると、暗くてよくわからないが、泣いているようだった。その時、僕は理解した。僕が死に損なったのは、この少女が自分の足を引っ張ったからだと。

「奉仕の気持ちになることなんです。」

 少女は続きを暗唱する。

「奉仕の気持ちに、なること、なん、です。」

 続きを(そら)んじながら、何となしに頬を拭うと、濡れていた。僕は泣いているのだ。


 これは、屋上の少女――有栖川宮(ありすがわのみや)卯月(うづき)と、全国で三十一番目に多い名字を持つ僕――石井(いしい)(みなと)の、何もはじまらない物語だ。

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