第二話 落飾(一)
街道わきの山道を馬の背にゆられる男女。
女はまだ齢若年で色白く可憐さを残す。しかし可憐ながら堂々とし、典雅な雰囲気が漂う。
男もまだ年若かったが落ち着いており、凛々しい顔立ちで物腰に粗野な振舞いはみられない。
「では、忍坂の山中に、わたくしを捨てるつもりだったと」
女――れんの尋ねに、男――春時は短く答えた。
「そうです」
「それだけでよかったのでしょうか、捨てるだけで」
「尊貴の方はおれのような奴とは違って、いろいろ大変だから」
春時は皮肉っぽく笑った。
「と、申しますと」
「殺すと怨霊になってしまわれる。恐ろしいものです」
れんはさも恐ろしい、とばかりに身ぶるいした。
「え、ええ、そ、そうですわね」
「さらに怖いことには祟られた上、首謀者が分かってしまう」
「それも、そうですわ……ですが」
れんは口元に袖をあて、考えこんだ。
「なにか疑問でも」
「もし……もしもですよ。忍坂でわたくしを捨てて、命を絶たないままでしたら、山の辺の道をかよって、都に戻ることだってできるかもしれません。わたくしがどうにかして、都に帰りついたとしたら、継母上たちは、どうするおつもりだったのでしょう」
「悪口雑言を並べたてておけばよい」
「……それだけで?」
「厳しくあたった御前はまこと正しかった。邸に戻ってもこなた様に同情する者は誰もなく、さぞかし肩身のせまい思いをするでしょうな」
「悪口雑言とは、どういった」
春時は少し考えるようすを見せると、にわかに苦笑いを見せた。
「春時どの。なにをお笑いなのですか」
「男とできて家を出た、といった」
「えっ……ええ? あのっ」
れんは頬を赤らめた。
「もしかして、ええと、あの、はた目から見て、春時どのとわたくしとは、その……いまもそのように見えるのではないですか」
「それはお答えできませんね」
「ど、どうしましょう……」
「なにが」
「だって、それは」
れんはこれ以上となく真っ赤になり、春時の顔を見るだけで精一杯だ。
「ご、ご迷惑なのでは」
「仕方ない、お答えしましょう。こなた様をどう眺めたって色恋の雰囲気はありません」
「それは……どういう意味でしょうか」
れんと春時は同じ馬にまたがり、山道をゆく。
道々話をしてゆくうち、急速にうち解けつつあった。
不思議なくらいに自然に、お互い知己であったとさえ思える。
(中将の姫――れんがそうさせたのだ)
れんは刺客である春時に臆することなく話しかけてくる。春時はそれを無視するわけにはゆかなかった。相手をするうち、いつしか垣根は低くなっていた。
れんの警戒心のなさは驚きに値した。れんに人並み以上の度胸と胆力があるのは間違いない。しかし、深窓の姫らしい世間知らずが、怖いもの知らずのふるまいに輪をかけているのではないだろうか。
(追いはぎに「来い」と言われて、ばか正直にのこのこついて行きかねないな)
春時は不安を覚える。
あの山の破れ屋でもそうだ。中将の姫はただ心の赴くまま琴を奏でた。
(あの妙なる調べは人に恍惚の光を与え、鬼神さえも心震わせる。……おれも一時、心奪われた)
だがその美しさが徒となるはずだ。嫋々たる余韻も去り、人の心が闇を取り戻すとき、かの奏者こそは中将の姫よと気づくだろう。
現にそれは起こった。
琴をやめさせすぐに逃げようとしたが、ほどなく追いつめられた。八条王に命じられた遺棄場所は忍坂。その忍坂よりさらに東、泊瀬に向かい、都から追尾する八条王の一党を振り切ったはずであったのに、集団で待ちかまえられていたのだ。琴の音のせい、と考えざるを得ない。
八条王配下の関わる者は、おおかた息の根を止めたはず。首領の八条王もおそらく死んだ。だが確実ではない。八条王以外の手先の存在も考えておく方がよい。この姫はまだ狙われているかもしれない。
春時は思慮を重ねながらも迷いが去らない。
泊瀬からほとんど離れていない場所に、姫をひとり残してゆくのは危険極まりない。とはいえ、今後を考えるなら――。
「まあ、村に出ましたのね」
れんが無邪気に喜んでいた。
確かに林がとぎれると、畦道があらわれた。秋の田は刈取りを終えて久しく、稲を刈った株以外なにもない。すべての用が済んださびしげな田のさまを眺めつ、馬の背にゆられ行くと、目の前を赤とんぼが飛んでいった。あっ、と小さく声を上げたれんは、追いかけるように手を伸ばした。すると体が傾きそのまま落馬……寸前で、脇を抱えて引き上げたのは春時である。
「あ、あの」
春時はただ、ため息をついた。心配の種は尽きそうにない。
小屋が見える。
そこまでゆっくりと背に揺られ、軒下に馬をつないだ。