第一話 琴韻(七)
払暁。
黒装束は普通の衣に着替えていた。
中将の姫は驚いた。
(継兄上たちよりもお若いかも)
彼は痩身で、目もとの涼しげな白晰の青年だった。どこか唐国の人めいた風情もなくもない。なにより中将の姫を驚かせたのは、想像よりもはるかに若いことだった。
(ともすれば、二十にも満たないのでは)
一見、幾人もの刺客を倒す武人には見えない。身なりから鑑みるに、宮人ではなさそうに思える。それでは家人。にしては、姫には見覚えがない。
「おうかがいしてよろしいですか」
男は無言で聡明な姫を見かえした。
「害せよと命ぜられたは、本当に父なのですか」
「黒幕はご想像の方」
「……継母上、でしょうか」
男の無言こそ証明していた。
父の命にあらず。継母・照日御前の命令なり、と。
「嫌われていることは存じています。でも、わたくしは女の身ですから、お家を継ぐでもなし、命まではと思っていました」
「事実、闇に葬るよう頼まれた」
中将の姫はことばなくうつむいた。
「ああ、正確には殺せとは聞いてない。山に棄てて来い、そういう命令だったが」
「……同じことですわ」
父の、中将の姫の実母・紫御前への寵愛と労りは、ことのほか深かった。からだの弱い紫御前は縁を結んで以来、長らく子宝に恵まれなかったが、長谷寺の観音菩薩に百日参り、ようやく授かったのが中将の姫である。このことは昨晩、姫みずから男に語ったとおりだ。
そのとき、みかどにも吉兆があったとして「従三位」の位と「中将内侍」の職とを与えられた。これより人は、姫を「中将の姫」と呼ぶようになった。
中将の姫の母が亡くなったのは五年前のこと。寄る辺ない姫は、父・豊成の別の妻に引き取られることになった。姫の先々をおもんばかり、もっとも暮らしに不自由のない妻――前の左大臣・橘諸兄という人のむすめのもとへ。その人こそくだんの継母、照日御前である。
父は紫御前のただひとつの忘れ形見、中将の姫をとくに溺愛した。一方で、照日御前との子である豊寿丸は、あまりかえりみられることはなかったようだ。それを恨んで継母が中将の姫につらくあたることは、日常のことだった。豊寿丸が不慮の出来事で亡くなってからは激しさをまし、中将の姫にずぶ濡れの衣が用意されたり、食事が運ばれなかったり、唐櫃に干からびたねずみが入っていたり、そんなささいな嫌がらせはいつものことだった。着物を盗んだと言われ、雪の日に松の木に縛られ折檻されそのままにされたことだってある。
「少しくらいのことでは動じない、そのつもりでした。ですが」
「……」
「ついに今度は、命まで」
中将の姫は暗澹たる心地だった。
「どうしてわたくしを、そこまで」
事実は受け入れよう、しかし一方では納得がゆかなかった。
なぜ、事ここに至ったのだろう。知らぬうちになにかをしでかし、継母の逆鱗に触れてしまったのだろうか。
ふと、男は昔を思い起こすようにつぶやいた。
「美しい琴の手だった」
中将の姫は、答えの意味がつかめず首をかしげる。
「このまえ、みかどの御前にて琴を奏されたとか」
「はい、仲秋の日に」
男はゆっくりうなずいた。
「あの日のことを御前はおおせになっていた」
「あの日……」
姫は愁眉をよせつつ、記憶をたぐりよせた。
中将の姫の父・右大臣藤原豊成は出仕停止、右大臣を免ぜられ、そして九州は太宰府への左遷を命じられていた。橘奈良麻呂という人が起こした、天下を揺るがす乱の報告を遅らしたとして、かの乱に加担したとされたのだ。そのうわさの元は豊成の弟で政敵でもある、左大臣藤原仲麻呂。中将の姫からすると叔父にあたる。その仲麻呂におとしめられたことで、豊成は謹慎せざるを得なくなった。手痛く、なにより業腹な処分であった。
豊成は病と称して難波津にとどまり、太宰府下向を拒否、難波の別業での毎日を悶々と過ごしていた。豊成はこの機に弟の仲麻呂が勢力拡張に励んでいるかと思うと、気が気でならなかったろう。中将の姫でさえ、父の不安、いらだちは手にとるように理解できたし、実際、気鬱な表情を隠さぬすがたを覚えてもいる。
そんな中である。仲秋の宴にてみかどの御前で演奏を行うべしと、中将の姫が命ぜられたのは。中将の姫の琴の音こそ望月にふさわしいと、みかどが望んだという。
四年前、十歳のころには同じくみかどの前で奏し、幼くも琴の手の素晴らしさは語り尽くせぬと評されてはいた。位が「従三位」から今の「三位」となり、玉簪を与えられたのは、この琴の褒美だったのである。
前の右大臣に味方する一派が策動し、呼び戻すきっかけをと、宴にかこつけたのか。
ともあれ、この好機をものにせぬ道理はない。
「決してみかどの気を損ねぬようにな」
と、異母兄の縄麻呂はその日、中将の姫の邸にまで出向いて来、強く申しつけて送り出したのだった。
必ず、成功させねばならなかった。
出仕かなわず、憂き目にある父のために。