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荷葉の路  作者: 鏑木恵梨
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第八話 勢多(三)

「すいませーん」

 白い首巻を巻いた、男が二人。

 造石山寺画工司所の戸を叩く。

 画工司所、といっても掘立小屋が幾分ましになった程度。大きな窓で明るいだけが取り柄の狭い工房は散乱放題である。

 背を丸めて板に向かう画工が六人。ものを取りに歩く一人は、転がったままの壷につまづいて転んだ。自慢の大きな窓があるのに、中は彩色に使う鉱物特有の金気臭が漂っている。

「す、すいませ……ん」

「聞こえてるよ」

 奥から怒鳴り声があがった。

 早く用向きを言え、と恐喝まがいに告げたのは工房の奥にいた、薄汚れたひげの男だった。その手にある刷毛(はけ)は仕事を続けたままだ。訪問者を歓迎する気持ちは微塵も感じられない。

 戸口につっ立っている、長身の男がまず切り出した。 

「本日から役につきます。中工画師の黄文国人(きふみのくにひと)、到着しました」

「下工の黄文日向(きふみのひむか)といいます」

 背の低いほうも挨拶する。

 すると、ひげ男の刷毛が止まり。

 そして、わっと歓声が上がった。

 先ほどのひげの男、勢いよく立ち上がるやずかずかと戸口に向かう。態度も表情も先ほどとは豹変。全身で歓迎ぶりをあらわしていた。

「待ちわびていたぞ。とにかく上がってくれ」

 そして画工たちは一様に、口々に喜びをあらわしていた。

 やった、助かった、と。

 さもあらん。定められた期日はあと三日。求められる成果は二室八面三十二枚からなる板敷への仏画。無茶だ、ありえない。そんな絶望感が先ほどまで工房には蔓延していたのだ。

 さて、さきほどからのひげ男、二人の前に立った。

「吾は画工司の上工、秦楯万呂(はたのたてまろ)だ。こなたら、山城の黄文氏なのか」

 そうだと答える長身の国人。腕に自負があるのか、ずいぶん落ち着きがある。

 一方、かたわらの日向は国人とは対照的な小心ぶりで、

「わたしは修行中でして、あまり期待は」

「するに決まっている」

 楯万呂は日向の背をはたいた。日向の背中に朱の手形がいくつかついた。

 仕事の状況と今後の流れを手短に説明、担当の題材と今日明日やることを確認しあう。

 新たに来た国人・日向の二人は飲み込みが早い。楯麻呂と他の画工たちは安堵し、同時に二人への期待を高めた。二人が板敷の前に座った瞬間、画工たちはわずかな希望が見えたとばかりに、一様に胸をなでおろした。

 その期待を背負って作業に入った日向だったが、ふと顔を上げ、窓の外を見る。

 窓の外を小柄な人が横切ったのだ。凛々しい童子、そして腕白そうな童子が包みをかかえて、どこかへ急いで走っていった。

 あのお、と日向が隣の画工をのぞきこむ。

「さっき走ってった、場違いっぽい童たち。なに者でしょうか」

 聞かれた画工は思わず吹き出した。

「場違いって、なんぞ」

「いやいや確かに」

 唐突でしかも的確すぎる問いかけだ。周囲の画工は妙に納得していた。うなずく者もあれば、黙ってにやりと笑う者もあり。作業の手を止めさせられたのに、怒る者はなぜかいない。

「あれは、れんぎょう丸さまと従者の童だ」

「どこかのさる名族の御子息らしい」

 ここでは有名な童のようだ。

 会話がはずみはじめた。逸話を話し聞かせたい者は一人だけではないらしい。

「急な病や怪我と聞いたら途端にすっ飛んできて、薬をくれるのさ」

 ひとりの言を他の者も継いで、

「それがよく効くったら、なあ」

「吾も腹が痛いとき助かったわ」

「わしもじゃ」

「吾も」

 いずれの評も概ね好意的であった。

「へえ、すごいんだね」

 日向は感心して相づちをうつ。

「世話にはなりたくないけど、顔は見てみたいなあ」

 そして彼は、話題の『れんぎょう丸さま』を目撃した窓の外を眺めた。

 駆けていった先は河原の方角だった。あのあたりは人足小屋が立ち並んでいる。小屋でひと騒動でも起こったか。

 では『れんぎょう丸』たちはここから走って来たのか。坂の上から駆け下りてきたには相違ない。勢多に入ってすぐ工房を訪れたゆえに不案内だが、おそらく石山寺の寺堂のひとつから走ってきたのだろう。今まさに工房の工人だちが取り掛かっている絵を納めるべき場所だ。

(さる名族の子、寺の(ひさし)の下で遇居を認められるほどの)

「日向」

「わっ」

 楯万呂の怒鳴り声に日向が身をすくめた。

「仕事しろ」

「は、はい」

「それとその顔巻きと化した首巻き、とっとと取れ。こっちが暑苦しい」

「わかりましたっ」

 日向はあわてて顔を覆う布をはずした。

 すると、ひゅう、と横から口笛。しかも何人からも。

「なんだ、痘痕(あばた)でも隠しているのかと思ったら、白面童顔じゃないか」

 その白面をたちまち真っ赤にした日向、あわてて筆をとりあげる。

「だめです。からかわないでください。そうだみなさん、手が止まってますよ」

「なにいってんだ」

「おまえが言うな」

 作業が止まった原因は日向だ。しかも全く関係のない雑談で。至極もっともである。

 が、日向は果敢に反論する。

「わたしは、今から励むのです」

「今からかっ」

「はい」もはや彼は開き直った、「仕事しましょう、みなさん。がんばれば必ず期日に間にあいますから」

「そうだぞ」

 楯麻呂がつよい口調でみなを叱咤(しった)した。今日、追い込むぞ。

 彼が場をひき締めると、画工所はもとの静けさを取り戻した。



 二人の来訪前と後。画工所の雰囲気は明らかに異なっていた。

 寸刻前の彼らの顔には、目前の期日に追い詰められた悲壮感がはりついていた。それが今はどうだ。悲壮感はすっかり消え失せ、和やかな空気に包まれて、余裕の色すら漂わせているのだ。

(すっかり溶けこんでいる)

 国人は黙々と仕事に励みながらも感服していた。隣で筆をあやつる若者に、だ。

 黄文日向。

 それは国人の伯父の名。半年前に亡くなった。その絵の腕前を『上工』と認許された、国人にとって尊敬すべき伯父だった。

 若者は寧良(なら)平城京の界隈でたまたま出会った、もとは赤の他人にすぎぬ。

 都で東大寺の造作で都にいた折の、確か酒盃の縁だったろうか。何度か顔をあわせると意気投合した。いや、いつの間にだろう、旧知の、そして無二の友とさえ思うようになっていた。

 彼はさるやんごとなき家の門番だという。

 なのに折に触れては絵のことを話すうち、いつしか彼に画に関する話が通じるようになっていた。下手な下工人よりよほど話せる。利害ない相手の気安さもあって、よく悩みを吐露した。彼の親身の励ましは国人の心の支えとなった。

 不思議なことがある。

 彼が最後に「きっと解決します」「必ずできます」と断言する。と、本当に上手くいくのだ。いつしか国人は彼の口上にその言葉が登場するのを、期待するようになっていた。

 そんな折――いや十日ほど前のことだ。

 国人は召集の辞令を受けた。石山画工司である。

 その日のうちに彼と酒盃を交わして都を離れると告げた。すると思いがけず、彼は人なつこい顔で突拍子もないことを尋ねた。

「石山の画工司、ついてっていいですか」

 ついて来てなにをするつもりかと聞くと、学んだ画の仕事をしてみたいと言い出した。

 現場は混乱していると聞く。そ知らぬふりをすれば難なく紛れこめるだろう。

「司に登録がないのだから(ふう)は出ない、ただ働きだぞ」

「私は素人ですよ。職封なんてもらえません」

「しかし何十日も離れて、本当の勤め先はいいのか」

 彼は軽やかに笑って答えた。

「現地をつぶさに観て報告して、あるじより褒美を出させます」

 混迷する造作をこの目で見るのは大変な価値がある。彼は自信たっぷりに答えた。

 国人にはその価値とやらが分からなかった。しかしこの童顔の門番は、その自称する役目と顔つきの割には時々ひとかどの人物と思わせる。今日も彼の役目である「門番」の真偽は聞かず、彼の言い分のみを信じることにする。

「伯父上の名を使えばごまかせるかな」

「国人どのありがとうございます。では十日の間、貴殿の伯父上の名前をお借りしますね」

 そして今、『日向』はいかにも楽しそうに筆を滑らせている。その筆の動きに乱れは見られない。門番ゆえ絵筆を扱う心得もなかったはずが、とあまりに意外。いや、信じられないくらいだ。

 やはり只者にあらず、端倪(たんげい)すべき人物と、国人は舌を巻く。

 さらには彼は、断言した。

(『がんばれば必ず期日に間にあいます』そして『必ず』と)

 国人がいつも期待する言の葉が、彼の口からこぼれたのだ。

 ならば必ず上手くいくはずだ。彼――横佩大臣の邸の「門番」嘉都良(かつら)がそう口にしたからには。

 石山での突貫仕事が俄然、面白くなってきたのだった。

すみません。「嘉都良」は思うところあって名前を変えました。初登場は第六話(六)です。

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