第八話 勢多(一)
「勢多」は万葉集等の表記で現代は「瀬田」と書きます。
湖は光っていた。
朝の凛と澄んだ空気をはらんで風が通りぬける。風のかよい道には綾のようなさざ波がたち、冷たく銀色に輝いていた。
「見て。どおりで寒いはずさ」
佐久は遠くを指さした。
れんが顔をあげると、白い吐息が黒髪をかすめて消えた。
「はつ雪」
ひろびろと開けた湖面に、霧かすむ水平のはるか向こう、うっすらと雪を装った峰々が早暁の朝陽を浴びて黄金色に輝いている。胸のすくような眺めであった。
琵琶湖――はじめて訪れたのは雨の日だったろうか。
岸辺に立ち水面を望んだとき、海だと思った。この地が名にしおう『勢多』と耳にせぬままなれば、疑いなく波穏やかな内海と思いこんでいたろう。眼前の水平が『淡水』。はじめて知ったときの感銘そのままを、れんは思い出せた。
滞在することおよそ、ひと月。
明けやらぬ朝の湖水の、身に染み入る冷たさにも慣れてきた。
「これだけとれれば文句もないだろ」
佐久が籠を揺らすと、ざらざらと音をたてた。れんはうなずいた。
れんは白い足をぬぐうと、手作りのいびつな下沓を履いて土手へとあがる。勢多の唐橋の下ではまだ多くの民が漁を続けていた。一足お先に、とれんが一声かけると、女がまた明日と手を振った。
まだ朝は早い。それでも唐橋を行きかう人は多い。
人なみに流されぬよう立ち止まって、れんたちはきょろきょろと知る顔を捜す。さほどの苦もなく、いたよと佐久が声をあげた。れんはすでに見つけ出していて、橋のたもとへと歩みをすすめた。あおを曳いた春時が黄金に染まる銀杏の木にもたれて休んでいた。
裸足のままの佐久は駆け出してれんを追い抜くと、
「見て、大漁だよ」
「今日はしじみ汁か。これはいいな」
籠をのぞきこんだ春時は佐久の頭をなでた。
佐久ははみかみながらも意地悪そうに返す。
「また銀杏をあてに酒呑むわけなの」
橋を渡った対岸はのぼる朝日を背に仏塔が影をつくり、鮮やかな甍が煌いていた。百余年もの昔、壬申の乱を機に大津京が廃されたのち、大いに栄えたのは琵琶湖の南岸、勢多の地である。近江の国衙に国分寺が軒を連ね、建部大社の杜がこの地を鎮めている。
れんたちは輝きに目を奪われつつ、川沿いの土手を南へと歩んでいった。
琵琶の湖水が穏やかな流れとなる勢多の川をたどると、右岸に低山がある。そのふもとには白色に輝く巨岩が座しており、石山寺はその上に伽藍をひろげていた。
いや、正確にはひろげる最中であった、というべきだろうか。
石山寺はもとは如意輪観音像を覆うだけの草庵であった。それが造石山寺所なる役所のもと、堂宇の拡張、伽藍の整備がはじめられたのはまさに、れんたちが訪れたその年からである。
税がわりに建設に従事する人足たちが勢多の地に集まり、河原は猥雑ながら活況を呈していた。造寺の作業は夜明けから日没まで。寒風に荒れた昨日とはうって変わっての快晴である。喧騒が聞こえはじめてすでに久しい。
れんは春時とともに葦葺きの小屋に向かった。
そこは賄所といい、作業をする人足たちの食事を用意するための小屋だった。れんは今朝採ったしじみ籠に、昨日煎じた薬、春時の購った薬種もたずさえて小屋の中に入る。
「朝採ったしじみです。夕餉に」
「れんぎょう丸さま、いつもすみませぬな」
年老いた婢がしわがれた男のような声を出した。
れんぎょう丸と呼ばれたれんはにっこり笑って、
「広虫さんの腹下しはよくなっていましたか」
「朝餉をがっついてたくらいだよ」
「黒主さんのあかぎれは」
「水につけても痛がらなくなったね」
「よかった」
そんなやりとりをしていると、年増の婢が奥から顔を出した。
「れんぎょう丸さまと春時さま。食べていっておくれよ、雄足さまが馳走を下げてくださったんだよ」
雄足という名をれんはすっかり覚えてしまった。
造石山寺所の別当(長官)安都雄足。彼の来訪を人足たちは大いに歓迎していた。彼は都の東大寺も兼務しており多忙でなかなか顔を出さない。だが、たまに顔を出すと、作業頭たちもにわかにあらたまった態度となり、風通しが良くなるのだ。今日は造作の進捗具合にお褒めがあり、米と珍しい食べ物が与えられたそうだ。
それらはただちに人足たちの夕餉を彩ることになる。かぶの酢の物、からし菜の油いためがいち早く大きな皿に盛られていた。そして、今日の粥は米の割合が常より多くなる、鰯の塩干しをひとり一尾焼くのだと、彼女は嬉々として語った。
れんは遠慮しようとしたが、春時はおかまいなしに皿のひとつからつまむ。
「これはうまい」
れんぎょう丸さまもどうぞ、と春時が差し出した。
醤で煮た蟹だった。赤黒くごつごつした甲羅は見た目は気味が悪かった。だが、春時の食べっぷりがあまりに美味しそうで、真似をする。関節から伸びる白い肉にかぶりつくと、ほんのりと塩味のする甘い汁が口の中にひろがった。
「おいしい」
「うん、うまい」
五、六人ほどの婢が小屋の中に大鍋をかつぎ入れる。
れんたちはすみに寄った。これから数百人ほどの食を賄う、粥やら煮物やらの煮炊きがはじまる。邪魔になってはいけない。
「では薬はここに置いていきますね、いつもどおり」
「膏薬はひびわれ、竹筒には虫下し。いい加減覚えたよ」
婢たちは明るく笑った。
ここは造石山寺所という役所の作業場である。人足は雑徭という労役を払うためにいる。食は役所が与えた分のみ。病や怪我には自らで対処せねばならなかった。
そして石山寺は官寺である。布施屋のように、医なり食なりの実利をして民を救済する僧はいなかった。救いたいとの思いがあったとしても、立場が許さないのだ。
「禅師は午の刻まで勤行です。お待ちください」
下男にそう告げられ、春時は空を見上げた。
陽の傾き、影ののび具合から、もうその時間だと勘違いしていた。近づきつつある冬の時の刻み方に感覚が追いついていない。寺と市を往復するだけの昨今ゆえ、疎くなっているのかもしれない。
れんはいわゆる北東の坊の便所にこもっていた。長々と催しているのではない。僧でない者が寺の一坊を占めるわけにはいかないからだ。それに、そこはひとりで学ぶに最適の場所でもあった。広さは六畳ほどもあり、窓の下には文机もすえてある。後世、比叡山の学僧も同様にして叡山僧の試験ともいうべき法華大会の広学竪義を覚えたというから、特段ひどい扱いというわけでもない。ともあれ、れんはそこで道鏡禅師の蔵する医書をひもとき、暗誦していた。
佐久はれんのそばでのんびり居眠りをしている。
紅葉に光が透けて見える。その美しさは格別のものだ。
その紅葉が風でそよと揺れるのを見届けつつ、春時は考える――今日、市で耳にしたことは驚くべきことだった。だが、勢多のあちこちで行われている造作事業から、春時にもおおよその予想はついていた。
おそらく道鏡禅師には既知のことだろう。
だからこそ確かめたい。
れんに布施屋の僧の真似ごとをさせているのは、れんの人々を救いたい、そして学びたいとのつよい思いを尊重してのこと。そして立場がらみずから動けぬ道鏡自身が満足したいためだ。
だがしかし、それだけなのか。男の童子の形をさせ、この勢多の石山寺にとどめ置くは、他に真意があるのではないか、と。
「やあ、お待たせしましたな」
道鏡禅師が紅葉の中を歩んできた。