第七話 禅師(四)
れんは、はじめその場所がこの世のものとは思えなかった。
暗い小屋の中にはいやな臭いがたちこめ、びっしりと人が横たわっていた。口々に不調を訴える者、すでに意識を失っている者、衣がどす黒いもので染まりうめき声を上げる者。
一緒に来た若い僧は、部屋の隅に座すると、ただちに経をはじめた。
初老の僧は、横たわる病人たちを診ていった。話せない病人の身体に素早く触れては板になにかを書き込む。だが、話のできる者はじっくりと不調の具合を聞いている。
れんはしばらく入り口で立ちつくしていた。
「ここが布施屋」
――人を救いたいという切なる願いがおありなら、ぜひ布施屋をみていただきたい。ここからほど近い、久修園院にあります。
その僧は、春時との言い争いの始終を聞くとその是非には触れず、れんにすすめた。れんが春時に行って良いのかと聞くと、春時は一晩、屋根を借りることができるならと了承したのだった。
道すがら、その僧はれんにたずねた。
「布施屋をご存知ですか」
れんはいいえと首を横にふる。すると若い僧侶が話を継いだ。
「布施屋とは、租税や労役、兵役へとおもむく民が困ったとき、手助けするところです。民が手持ちの食べ物や銭をなくしてしまったとき、食事をお渡しします。病気やけがになれば、一時的にですが治療をほどこします。
今から参りますのは、拙僧の大師である行基大僧正がおつくりになられた布施屋のひとつ、久修園院です。拙僧は師のご引導にて赴くのですが、禅師は偶然、和泉国で道行きになったご縁でともにご来駕くださることになりました」
そして若い僧侶はとなりで微笑む僧侶に対して敬意をあらわした。
禅師――そう呼ばれるからには高位の医僧であるらしい。衣のほころび具合だけなら、まるで若い僧侶のほうが高位に見えるのだが。
「れんどの」
れんははっとして初老の僧のもとに急いだ。
彼が今、診ているのはやせた若い女だった。
「ぜひ診てください」
「わたくしが、ですか」
「はい」
僧は厳しい目で言った。
とまどいながらもれんは女性を見た。けがではなく、病持ちだ。女の手をとって脈をみる。
「お悪いのは、どちらでしょうか」
「おなかが、とても、痛くて」
女は疲れた声でとつとつと答える。
「どんな感じに痛いでしょうか。ええと……刺されるとか、押されるとか」
「ぎゅうぎゅうと、押されるみたいで、あとひきつったりすると、血が」
れんは女が痛みを訴えている下腹部に手をあてた。息をひそめて脈を感じ取り、手を離すと、疲れているのにごめんなさい、と断ってからさらに問いかけを続ける。十ほどの質問を終えると、少し考えてから、禅師に顔を向けた。
「流産なさったとのことで、右下のおなかにひどいお血があります。下焦虚寒から全身まで虚証がおよんでいます」
「なるほど。では、処方はどうお考えですか」
「生姜あと当帰、人参、甘草、それと半夏に麦門冬、もしあるのでしたら、呉茱萸……」
いつの間にか黄衣の若い僧が座っていた。彼はれんの答えた生薬の名を薄い板に書き写していく。答えたままを患者に施すつもりなのだろうか。れんは不安になった。
「あの、禅師さま」
「拙僧も同じ診たてです」
禅師はすりきれた袈裟を直すと、はじめて会ったときの柔和な笑顔を見せた。
(わたくしの診たてが合っていた)
れんは喜びにふるえそうになった。
はじめて会った人の病状を聞き、病の原因を判断し、処方を決める。れんがこれを行うのは、はじめてのことだったのだ。瀬雲にしろ亡き母にしろ、病の原因はあらかじめ聞いていた。原因を知っていて、経過観察した内容を医書を突きあわせながら、処方をくふうしていたにすぎないのだ。
だが、喜びにひたる間もなかった。
「次の方を診ましょう」
たくさんの患者がまだ横たわっている。
何人いるのだろう。
ふしぎと疲れは感じない。ふと気がついたのは、小屋に入ってきたときの不快な臭いを感じなくなったことだ。むしろかぐわしい香りが広がっている。
(どうしてだろう)
理由を探す時はれんには与えられなかった。横たわる男の腕をとり、傷のぐあいを診る。
「これは、ひどく失血したのでは」
「金創です。手当ての方法はわかりますか」
「たしか……」
外傷、全身の虚弱――この小屋には旅のけが人と飢えで衰弱した人が多かった。右大臣の姫を取りまく人々にはみられない症状の人々ばかりだ。それでもれんは、日々眺めていた医書の記述を思い出しては有効な生薬を頭からひねり出し、答えていった。三つにひとつは誤りを指摘されたが、だからといって落ち込む間もなかった。
最後の患者を診終え、禅師が立ち上がる。
と、一緒に来た若い僧と布施屋ではたらく者たちだろう。彼らが禅師に問いかけた。
「近江にゆかれるとか」
「明朝、お発ちになるのですか」
「明朝もう一度うかがってからにします」
「なにか、気にかかることでも」
「鍼をうつとよさそうな方がいましたので」
「ああ、ありがたいことです。内道場の看病禅師さまに、これほどまでにお心遣いいただけるとは」
彼らは一様に深く拝謝した。
禅師も応えて合掌し、礼をとった。
そして彼らははじめに陣取った小屋のすみにゆき、誦経を再開する。その声はまるで軽やかに唄うようで、文机にあった箸を持つと、なめし皮を広げた上に置いた小さな陶皿に粉にした薬草を落としていた。今、小屋を満たしている心やすまる芳香は、その器でいぶされている香であった。
小屋をあとにした禅師のあとをれんはついて歩く。
とても豊富な医術の知識をもつ、高位の禅師。内道場の看病禅師といえば、宮廷でみかどのために祈祷を行う方ではないか。その方は春時を知っていて、彼を『まはる』と呼んだ。春時はその名を呼ばれて困惑し、そして『今は』春時と名乗っていると、れんの目の前で答えたのだ。
(この禅師さまと春時どのとは、どのようなご縁がおありなのでしょう)
れんがその疑問を頭の中でくり返し考えていると、
「そういえば!」
大声をあげて彼はふりかえった。
れんがすこし驚いて目を丸くした。
すると、この年になって未だにあわて者なのです、と禅師はばつの悪そうな、それでいて愛嬌のある照れ笑いを見せたのだった。
「すっかり名乗りを忘れていましたね。拙僧、道鏡と申します」