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荷葉の路  作者: 鏑木恵梨
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第七話 禅師(二)

「なにか、忘れている気がしております。なにかわからないのですが」

 れんは馬上で首をかしげた。

 しかも未だ心ここにあらざる面持ちである。

「きっと、大事なことのはずですが」

「忘れるようなら大事でもないだろう」

「春時どのは、あげ足とりばかり」

 文句を述べたあと、れんは再び思い悩む。

 逃げることで頭がいっぱいだった。今でも無事に落ち延びることばかりだ。それで、大事なことを忘れてしまった。思い出せなくとも大事なこと。それはただの勘違いでは?

 ひとたび迷いが生じると、すべて自分の思い込みではと疑わしくなる。

「わたくしは、ほんとうになにか忘れているのでしょうか」

「そのうち思い出すさ。あまり考えすぎるとまた落馬しかける」

「しかけません」

 言い切った。そのくせ、落馬しない自信もない。春時のからかい……ではなく忠告のどおり、深刻にならずほどほどに考えることにした。

 津にはたくさんの船が並んでいたが、春時は大きめの船に近づいていった。船の曳き手らしき男になにかをたずね、次に違う男のところへゆく。

「船頭」

 ひと声かけた先、男がふりかえる。

 春時が手振りで一行全員をさし示し、外つ国の言葉で話しはじめた。

 彼らの言葉は唐のものだ。れんは話せないが、音読はできた。宮廷への出仕には『論語』『孝経』といくつかの経伝が素養として求められるからだ。ゆえに、れんには彼らの会話をつまびらかにはうかがい知れない。しかし、断片的に推察はできた。江を渡るための交渉だろう、と。

 にしても春時の交渉は場慣れしている。

(やはり商い人であったのかしら)

 たずねてみたいが嫌がりそうで、もどかしい。

「半刻もなく出帆するそうだ」

 春時が急いた。

 渡し板から船上に乗ると船尾にゆけとのこと。主屋形より後方にある、小さな艫屋形(ともやかた)の軒下に陣取った。少し興奮気味のあおを春時がおさえる。

 佐久は水ぎらいなわりに船は気に入ったらしい。あちこち歩き回って、さっそく話を聞きつけてきた。

「あおが暴れたら即、船からたたき落とすって言われたよ」

「まあ、それは大変」

 れんが見たところ、あおはまだ落ち着きがない。

「たたき落される前に他の乗員を道連れにするがね」

 春時は好戦的なことを言いだした。

 だが、二、三人ばかり道連れにしたところで状況が好転するでもないので、

「あおは姫さまにお任せしたら」

「それがいい。あおが暴れたらだれよりも真っ先に川の中だ」

「わたくしが入水するときは、春時どのが、どなたかを道連れにしてからです」

「非道いな」

「姫さまこわい」

「それで、わたくしは、あおの心が安まるよう、声をおかけすればよろしいのですね」

 あおをなだめることが肝要と結論づけられ、それはれんの役目となった。れんが幾度か大丈夫と声をかけると、あおは落ち着きを取りもどし、端然と起立した。

 空中で大声が飛び交っている。おそらくこれも唐の言葉だ。

「帆を開くんだって」

 見上げると空を横切るかのような帆桁に、二人ほどが座っていた。彼らは落ちないように帆桁に足をからませて座り、器用に網代帆と帆桁を縄で結った。やがて結い終わると、するすると主柱を降りる。風を受けて帆が弓なりになった。

 銅鑼が鳴り響き、船が揺れた。

 あまりの大音量にれんの顔がこわばる。

「だ、大丈夫よ」

 あおをなだめるも、当のあおはすっかり平然とすました顔で起立していた。

 船の揺れは最初だけだった。水をかき分けなめらかに進む。潮流や波のほとんどない江をゆき、主に網代帆で受けた風の力で航行しているため、あまり船体は揺れがこない。海洋や、逆風のとき、水の底に棹差して進むようになると、船がぎこちなく動いて揺れを感じやすくなるという。これも佐久が聞いてきた知識だった。

 佐久の好奇心はとどまることを知らない。

「春時ってさ、外の国から来た人?」

 れんは佐久の遠慮なさにむしろ感謝しつつ、春時を見た。

「酒家でも唐人の話にふつうに応じてたしさ」

 春時が面倒くさそうに言う。

「おまえくらいの年かっこうの頃には自然と覚えていた」

「自然と覚えるって、どうしたらそうなるのさ」

「そういう者たちが来るところにいれば」

「どんなとこ?」

「難波みたいな」 

 面倒くさい、というよりはまともに答える気がなさそうだ。 

「難波にいたの?」

「さっきまでいただろ」

「じゃなくてさ」

 やはり答えをはぐらかされる。

「それよりもな佐久」

「なに?」

「俺とお前が父子という設定はどうしても認められんな」

「なぜだい。酒家ではごく自然だったでしょ」

 世間が認めるよ、と言う佐久。そこまで年を重ねてないと主張する春時。彼らは設定を偽親子とするか偽兄弟とするかで論争をはじめだした。

 れんは、あおをなだめるふりをしつづけた。意見を求められては困る。どちらかの肩を持たねばならないからだ。ただしれんは性格がら、まじめに意見は考えていた――養い子なら父子でもまったく不自然ではない。商い人ならなおさら。そもそも春時どの、そうおっしゃるからにはおいくつなんですか。

 かくしてあおはれんの逃避行動のダシにされた。大丈夫とくり返しつぶやかれるのを聞き流し、ため息ならぬ鼻息をひと吹きさせていた。

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