第七話 禅師(一)
これまでの話中のうち、れんの父藤原豊成の官職を『右大臣』から『前の右大臣』やニックネーム的な『横佩大臣』、単に『大臣』などの表現に修正しました。最新更新分から読まれる方は戸惑うかもしれませんが、ご容赦ください。
今回は古代難波トラベルガイドです。
春時は川に足をひたして、糸をたれていた。
「このあたりは堀江と呼んでいる」
そして岸辺にならぶ高床の建物郡を空いた左手で指さした。
「堀江の館の倉だ。
倉は船で運んできた荷物を荷揚げして、保管する。やがて別の小船に載せかえて川瀬をゆくか、荷車に載せかえて街道を進んで、都へと運びこむ」
水際かられんは北の方角をながめた。
高床の倉を見下ろすように大きな館が築かれている。それを堀江の館といい、官吏たちが詰めており、ときには外つ国からの賓客が滞在した。
一方、川岸には小船、大船とりまぜて密集しているが、八丈にもなる大船が十ほども並んでいる。その光景はなかなか圧巻であった。
「では、昨夜見たたくさんの火は」
「倉の警固のためだな」
川岸と川面を覆いつくしていた昨晩の無数の燈火は、祭礼ではなく、都へ向かう貴重な荷を守るための灯りだった。祈りをささげなかったことをれんは悔やんでいたが、その後悔は不要だったようだ。
「春時どのは、お詳しいですね」
「そうでもない」
「春時どのは市人だったのですか」
「盗人だ」
「盗人だから、お詳しいのですか」
「満載のお宝を売りさばくうちにな」
春時のはぐらかすような応答もさることながら、表情が一瞬こわばったのをれんは見逃さなかった。身の上話に踏み込まれることを明らかに拒んでいた。だから、れんもそれ以上はたずねない。
「でも今は、盗まないで商いをおこなってます」
「でもついこの前は、流浪人さ。お、またひっかかった。佐久」
「いいかげんにしろよう……」
佐久はだらだらと魚籠を抱えて、川に入ってゆく。
「おいら、川は大嫌いなんだって言ってるだろ」
「大嫌いってほどでよかったな。慣れただろう」
そりゃそうだろうけど春時はやっぱり横暴だ、と佐久はぶつぶつ不平をこぼした。れんもそうね春時どのはとっても横暴ですわ、とつづけた。あおは静かに立っている……どうも寝ているらしい。そして、春時はため息をついて言った。
「姫さまにうまいハゼを献上する手伝いを頼んでいるだけだ。どこが横暴なんだ」
佐久はぶうぶう言いながら春時の釣った魚を魚籠に入れる。
朝の食事はさばきたてのハゼの刺身。酢とれんが持ち出した醤で堪能する。
ちなみに食するのは人たるれんと春時のみ。佐久は桜の小枝なので、水を飲むだけだ。だから佐久は不満たらたらだったわけだが。ただ、れんが、
「こんなおいしいものはじめて」
と喜んで佐久にお礼をくり返すうち、佐久の機嫌もすっかりよくなった。
食事をとり終えると、れんの旅装もおおかた乾いていた。
釣りすぎた分は丸太山のはしの小屋まで行き、干しハゼと交換した。削って湯に浸すと味がでるので旅の保存食にする。余った分は山村に持ってゆけばよい取引ができるだろう。
そんな算段をしている春時は、やはり市人かその周囲の人だったのではないか。そのようにれんは想像するのだった。
「では行くか」
あおの背にはれん。男物の旅装束だが、それなりの身分の子どもに見えた。
あおのわきには頭には頭巾、白衣に黄褐色の袍をまとう春時。
麻の貫頭衣に勾玉を下げた佐久。
やや目立つ。逃げるのにはふさわしくないとれんは言ったが、春時はその方がよいと返した。かえって目立つくらいのほうが、街道筋の駅役人の目にとまって不審に思われないだろうし、市での購いも信用されやすいというのだった。
(でも、わたくしたち、どこに行こうとしているのでしょうか)
都にも戻りがたく、難波にも居場所がない。ほかに行く場所を知らない。
春時が知る土地にでも行く? 春時は身の上を詮索されることを嫌っているのに?
丘陵を登りきると、東には広い湖が見えた。
「湖は草香江という」
草香江から流れ出す川は、堀江をとおり東西へ横切っている。一方で、堀江には北側からもうひとつの川筋が合流していた。
南に視線を転じると、草香江の南側から四、五本ほどの川が南へと川筋を作っている。そのひとつはやがて方角を東に変え、一昨日越えて来た生駒の山々へと伸びていた。山の端から昇りきった太陽の輝きがまぶしい。
今度は左手……西方に目をうつす。と、おびただしい数の礫洲による島があり、島々のむこうに海がひろがっていた。
れんは空想の中で目の前のすべてを黄金に染め、その美しさにひたる。
難波の海に夕日が海に沈みゆくころの絶佳な美景は、幾人もの歌枕に詠まれ、世に知られていた。
「思ったより船の便は多そうだな」
れんは北へ伸びる堀川へと視線をもどす。
瀬戸内海から難波津へ入り、ほかの湊をめぐる航路は定まっているらしい。北の川筋からやってきた船は堀江へと入り、堀江を出てゆく船は草香江を周回する。
「江を回遊する渡し船で東岸の江へゆこう。幸いにも資銭は潤沢にあるしな」
「船を降りたあとは」
「東岸から北へ向かい、淀川に沿って歩いてゆく」
「その淀川という川は、船に乗ってはいくこと、はできないのですか」
「その便もあるが、遅いし、あおもいるなら乗らないほうが賢明だな」
「あおがいると?」
「あおを乗せられるくらいだと、それなりの大船に乗らねばな。渡しだけならよいが、その先は悠長な船旅になるよ」
難波津より先、川の航行は櫓をこぐのではなく、小船で棹を差して進むものだった。あまりに浅いところは船の舳先に麻綱をつけ、船を下りた水主たちが岸から麻綱を曳いて動かしていた。
夏の夜は道たづたづし船に乗り
川の瀬ごとに棹さしのぼれ
ましてや、大船は喫水が下がるために、川に入ると航行が困難になる。水量の少ない時期は澪標を見逃して航路を逸れると、川底に船がついて座礁してしまう危険性があった。それに、川の流れに逆らって川を上るのは、櫓をこいでも容易には進まない。航行は西風を利用していたから、風の助けがないときは立ち往生も同然に、ほとんど動かなくなるのだった。
難渋する航行のようすは和歌にも歌われている。
堀江よりみをびきしつつ御船さす
しづ男の伴は川の瀬申せ
「遅いとは、どれほどですか」
「堀江から山崎湊まで四日。対岸まで渡し船、そこから歩きなら二日もかからない」
「歩くほうがよほどましだね」
佐久が笑ってそういうと、
「おまえは水辺に近づきたくないだけだろう」
と春時がつっこんだ。
ただ、佐久の言うとおりにはちがいない。あえて川の瀬を上る船に乗る用途といえば、至急ならざる公用、資材の運搬、それに貴人の川遊びくらいのものだった。
「ちょっと待った」
春時があおの腹を軽くたたいて止める。
「どうしました」
「荷台がずれている」
春時はあおの左側に回りこみ、れんのすぐ後ろの荷物かごを上げた。荷台とかごをつないでいる縄がほどけかけている。縄の両端をひっぱり、しっかり結びなおした。
「まあ、こんなもんでいいだろう」
春時は納得するのだが、れんは少し不審に思った。若干慣れない手つきだったからだ。商いのことには詳しいが生業としているようには見えない。盗人にしても盗んだ荷物を運ぶ機会はあろう。
れんは沈鬱にうつむいて考える。
詮索はしたくない。けれども、一度ふに落ちないと感じた疑問は、簡単には振り払えない。せめて、どこに向かうつもりかだけでも知りたい。
「春時どの」
れんは意を決してたずねた。
「これよりわたくしたち、どちらへ参るのでしょう」
「美濃に決まってる」
れんははっと息をのんだ。
春時は当たり前だというように、淡々とつづける。
「良くしてくれた人がいたんだろう、なにも聞かずに。なんの見返りも求めず、親切にしてくれた人が。その人のために、美濃へゆくんじゃなかったか?」
ええ、とれんは大きくうなずいて笑った。
「堀江よりみをびきしつつ御船さすしづ男の伴は川の瀬申せ」(「万葉集」巻18 4061)
「夏の夜は道たづたづし船に乗り川の瀬ごとに棹さしのぼれ」(「万葉集」巻18 4062)