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荷葉の路  作者: 鏑木恵梨
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第六話 難波(七)

 れんはあおにしがみついてもう一度「お願い」と言った。

 あおはそのささやきだけで、れんと佐久を目的の地まで運んできた。足取りに迷いはなく、命ぜられることなしに足は止まり、

「着いたのね」

 と、れんがたずねるとかるく鼻を鳴らした。

 頭上を見上げると十八夜の月。その光は欠けゆく途とはいえ、未だ明るい。れんは神経をとぎすまし、周りを観た。

 まず、耳にするのは虫たちの声。多すぎてむしろ騒がしい。目の前には大きな丸太がいくつも積まれており、右手方向へと多数の小山をなしていた。丸太山の山脈の山すそには小屋があるようだ。左手はというと長いすすきや葦が茂り、正面は丸太の山のその先に大きな湖が広がっている。あおに乗りながらわずかに前のめりになっているのは、湖までに傾斜があるせいだろう。

 湖……いや、難波は唐ゆきの(みなと)がある場所だ。それなら、

「海でしょうか」

「川だそうですよ」

 背後で佐久が答えた。

「あんなにも広くて大きいのに、川なのですか」

「ええ、川だそうです」

「海ではなく」

「春時が『この川岸で』どうこうって言っていましたから。おいらも驚いたんだけど」

「わたくしも、たいへん驚きました」

 たくさんの水をたたえる――川の対岸は暗闇にとけ込んでいる。寧良(なら)の都の東を流れる佐保川(さほかわ)は、漆黒に包まれる新月や陰り夜でもないかぎり、向こう岸はじゅうぶん見えた。だが、目の前に横たわる「川」は水平線さえわからない。

「ところで、春時どのは『この川岸でどうこう』なんとおおせでしたか」

「待つ間は材木の陰にひそんでいるようにと」

 確かに隠れるにはうってつけだ。

「わかりました」

 れんはあおの背中から下りた。すると、足が少し沈みこんだ。ぎょっとして足を上げ、そろりとまた地面に足を置く。

(こんな地面ははじめて)

 妙にざらりとした感触でいて、やわらかく、湿り気を帯びている。削った氷に蜜をかけたような感じだ。しかし、泥の中のように足の上げ下げに難もなく歩けそうだ、と感じたれんは、手綱を腕に巻きつけた。

「岸へ、行きましょう」

「岸へですか」

 佐久は不安そうに言った。

「あおに、お水を差し上げようと思います。たくさん走っていただいたのですから」

 佐久は迷う。川は怖い。濁流に流されかけたのは一昨日の話だ。

「佐久どのはここにいらして」

「でも材木の陰に」

「あおが満足なさったら、すぐに戻りますから」

 しばらく悩んだ佐久だったが、

「すぐに戻ってくるって言ってるんだしね」

 言い訳がましく姫さまの言うことだから、と独り言をくりかえしながら、丸太にどんと腰を下ろした。

 かたやれんは、川岸まであおと歩きながら、あおのおしりの両横に下がる荷袋が気になった。春時を待つ間は、荷をおろしておけばあおも楽ではないだろうか。そう思って、袋どうしを結ぶ縄に指をのばした。結び目は固く、川岸に着いてゆっくりほどこうとしても難しそうだ。

「やっぱり」

 否、と首を横にふったれんは手をひっこめる。

「春時どのが載せた荷ですし、春時どのにほどいていただいたほうがいいかも」

 今一度、両手をのばし、荷を下から支えてみる。麻袋は目が粗く、持つと手指が痛くなりそうなさわり心地だが、中身は柔らかな感触の品のようだ。袋そのものはさほど重くはない。

「あお。申し訳ないけれど、もう少し、負ったままでいていただけますか」

 そんなのどちらでもいいよ、といわんばかりにあおは適当に首をゆらした。

「あお、ありがとう」

 川岸に近づくと、右手のすすきと葦の茂みがなくなり、視界が開けた。眼前に広がる川の大きさへの驚嘆もさることながら、茂みに隠れていたその風景に、れんは息をのんだ。

「きれい……」

 上流、といっても今立っているところからはほど近い場所だろう。何十もの光が闇の中、静かに舞っている。

 川岸にはかがり火が等間隔に並び、そのあかりが川面にも映っていた。地上には高床の建物が並び、川には数隻の大きな船と、数えるのを途中で断念してしまうほど多くの小船が停泊している。それらがすべて黄色い炎で暁色に染まっていて、まるでこの世のものとは思えない壮麗な光景に見えた。

「祭礼、かしら。あんなに大掛かりなのは、見たことがないわ」

 大きな川。無数の燈火。

 なにを奉る祭礼だろう。間違った名を呼んでは失礼だろうし、拝趨せずにただ眺めているだけも無礼だろうし、どうしたものか。そうだ、ここを「川」と知っている春時に聞けば分かるだろうか。あの火を捧げるべきが仏か神か。御名をなんと唱えるべきか。

「春時どの」

 その名を口にすると、思い出した。

 最後に聞いたことば。茶化す口調までもそのままで。


 ――ひとりでは、こわいか?


 あのときはからかわれたようで、くやしかった。でも今は、

「……怖い」

 が、正直な気持ち。

「春時どのと離れ、ここまで来るのは、怖くありませんでした。でもこうして待つのは、とても怖い」

 今、ひとりになって、気づく。

「もしも……春時どのが、来なかったら。わたくしはどうしたらよいのでしょう。都にも帰れない。難波にもいられない。これが川で、あの火がなにで、右や左になにがあるかさえも分からない……なのに、春時どのおひとりを渦中に置いて逃げてくるなんて、なんの意味があったというの……」

 あおが荒く息を吐く。

 れんははっと我にかえった。

「そうね、あお」

 れんは白い手のひらをあおの首によせた。

「きっとご無事ね。そして今、こちらへ向かっていらっしゃるに違いないわ」

 あおに導かれてれんは砂の上をゆっくり歩んだ。再び、闇の中に広がる炎の宴はれんの視界から消えてゆく。虫の声は岸辺から遠ざかるほどに大きくなっていった。

 が、その声がにわかに途切れた。

 丸太の山と山の谷間でれんとあおは立ち止まる。

「佐久どの」

 違う。大人だ。

「春時どの」

 違う。人影はみっつだ。

 背後で、じゃり、と小石をこすりあわせる音がした。ふりかえると影がもうふたつ。影の足元でぎらりと銅光が鈍く光る。光る抜き身の刃のその先は砂にまみれていた。

 何者かとたずねる間もなく人影がれんに飛びかかった。

 あおがいななき、れんは大地をけり上げた。湿った砂がはじけた。目の前の二人がひるんだすきに、横から小さな影が飛びかかった。

「佐久どの!」

「うわあっ……逃げて、姫さま!」

 人影の肩にしがみついた佐久がふりまわされている。助けたい、れんは思った。しかし、いざとなったら佐久は小枝になって身を隠せるのだと思いいたる。

(今、わたくしがやらないといけないことは、逃げること)

 れんはあおの手綱をつかんだ。あおは鼻息荒く地団太を踏んでいる。

「あお」

 そして手綱を腕にからみつけて、乗った。あおが暴れだした。

「あお、逃げるのよ」

 れんはあおの首にしがみついて命じた。あおは一人けり倒し、さらに興奮して前脚を何度も上げると、どこともなく駆けた。ふり落とされないよう、れんは渾身の力をしてしがみついていたが、いったいどこへ向かっているかもわからない。

(どこへ行くの)

 手綱をからめた腕が痛む。

(どこへ逃げたらよいの)

 たてがみをにぎる手がすべる。

(分からないわ!)

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