表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
荷葉の路  作者: 鏑木恵梨
32/52

第五話 神南(三)

 春時は目を細めた。

 川岸に打ち上げられている、黒い姿に気づいたのだ。

「人、か」

 れんではない。黒衣ならば。

 春時はそれに速足で近づいた。

 なんでもいい、てがかりが要る。闇雲にれんを探すよりはましだ。

 足元は泥まみれで、走ることさえままならない。速足もひと苦労で、下手を踏むとぬかるみに足を取られ、川に転落しかねない。背負う剣を杖がわりに、慎重に、しかし急いで、岸に身をよせた。

 黒い姿は剃髪(ていはつ)の僧形一人だった。

 ぐったりと体を横たえ、意識は失っている。

 春時は僧の胸元に手と耳をあてた。

 息づかいがほとんどない。しかし胸の鼓動はしっかりとある。

 胸を何度か圧迫した。

 僧が息をふきかえした。苦しげにあえぐ。

 川上から流されてきたらしい。着衣はさほど乱れていない。つい今しがた川に流れつき、運よくすぐに助かったところだろうか。

 そういえば室屋を出るまえ、社殿のある方角に(しょう)の音を聞いた。治水祈願でも行う練行僧が打ち鳴らしていたのだろう。だが今はその音もやんでいる。ということは呪法は終わったのか。それもこの川の流れだ。結果は失敗に。

 とすれば、この御仁は。

「しっかり」

「は……」

 僧があえいだ。

 春時が背中をたたくと、僧は少し水を吐いた。

「上の社で」

 僧はときおり咳をまじえつつ、息を整えゆっくり話した。

「聖上の御勅により、龍田の川を治める祈願を」

「人を見ませんでしたか」

 春時には天皇の勅願などどうでもよい話だ。

「人を」

「童子頭の女子です」

「い、いや」

 僧は幾度となくかぶりをふった。

「我らは朝から川下の、水びだしの里からここへ登り着いたが、道途もそのような者は、見かけなかった」

「確かですか」

「確かだ」

 春時はひとたび黙した。

(一体どこへ行ったのだ、れん)

「若者よ。その童子とやらはそなたの」

「血縁の者」

「然様か……残念だが流されてしもうたのでは」

(そんなことはとっくに考えたさ)

 といらつく春時だったが、

 ――助けて。

「えっ」

 と、とっさに身をこわばらせた。

「いかがした」

 僧がけげんそうに春時を見る。

 春時はすぐ冷静さをとりもどした。

「いえ、なにも」

 僧には聞こえなかったのだろうか。では先ほどのは空耳か。

(いや、今、是非を問うのは早計)

 空耳か否か。よく見きわめて……


 ――助けてください。


 今度こそ春時は確信した。

 夢で泣き叫んだ母親だ。春時にとりすがった女だ。

 確信するだけではない。彼はさらに推測を深めた。

(もし、れんが聞いたのと同じ者ならば)

 れんもさがし回っているのではないか。

 闇夜の中でさえ飛び出して行かんばかりだったのだ。いてもたってもいられず、朝一番で室屋を出たのかもしれない。ものおじせず、後先も考えず動く姫のことだから。毎度、迷惑な行動だと思うが、もうどうでもいい。

 それならば。

 世間知らずの姫にしつこく「助けよ」と告げた、いっそうはた迷惑な願主とやらをさがし出せばいい。れんも同時に見つかるかもしれない。

 ほかに手がかりもない。だめで元々だ。

(もっと呼びかけてくれないだろうか)

 春時は神経をとぎ澄ませた。

 やがて、か細くすすり泣くかのような嘆きを受けとめる。

 ――わが子が、流されてしまう。

「もっと上に」

 春時は即、ぬかるむ坂を登りはじめた。

「上は行けぬぞ、危なすぎる」

 僧が忠告したが春時は聞く耳を持たなかった。

(あんたは黙っててくれ)

 うつつの声は聞き取りの邪魔となる。夢とおぼしき声のみが頼みの綱。その綱をたぐり寄せながら、追いかけ、進む。

 ――春時どの。

「れん」

 春時は心高ぶったが、落ちつけと自らに言いきかせた。かすかな希望に期待が過剰に高ぶり、無意味に空回りせぬように。

「待ちたまえ!」

 僧もまた、春時の背を追ってあやうい足取りで泥道を登ってゆく。

 やがて彼らは川面に人ひとりの姿を認めた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ