第四話 蓬粥(四)
龍田杜の室屋は龍田川ぞいの川下に建てられている。数十人ほどは収容できる大きさではあったが、板葺きで、ひとたび強風が襲えば吹き飛ぶような粗末さでもあった。
龍田川の濁流によって、下流では何カ所も岸がえぐり取られていた。室屋の下の地盤は無事ではあったが、この先まったく無事という保証もなかった。
室堂を仮の宿りとした旅人は、春時とれんだけだった。川が氾濫しているうわさを聞き付けてか、行き交う旅人は元よりいない。
日も落ちきった今は底冷えがした。
春時が土間の薪に火を灯した。
闇の中だった室屋の中が、ほのかな温かみを帯びた、黄色い光に満たされる。
「なにかを食べて体を暖めて眠るか」
春時の提案に、れんははりきって絹袋から中身を取り出した。
「これ、昨日摘んだのです」
「蓬」
「ゆでると美味しいとうかがい……」
両手にのせた山盛りの蓬はしなびていた。
お世辞にも美味しそうに見えない。れんは自分で差し出しながらそう思って、しかし出した手を引っ込めることもできず、口ごもった。
「食べたことはない、か」
「はい。ゆでるって、どのようにしたらよろしいのか、わからなくて」
「ゆでるとか以前に、湯の沸かし方に火のおこし方は」
れんはさらにばつが悪くなる。
「いいえ、存じません」
「見ておくといい」
「はい」
「あ、火うち石がないな。いきなり難問か」
と、春時は棒どうしを組み合わせた道具を用意した。
「もっとも、難波津へゆけば火をおこす機会などないかもしれないが」
れんは少しさみしげな顔をし、春時の手際を見とどけた。
手にした道具で互いをこすり合わせて火だねをおこし、わらしべ、炭とかけあわせて大きな火に育て上げる。一方で土鍋に水を入れ、かまどにかけた。水が沸いたところで米、そしてちぎった蓬を投入する。
れんは目の前の手順をはじめは座って見ていたが、
「春時どの、そちらに参ってよろしいですか」
肩越しにのぞき込み、または身を乗りだし、
「わあ、それはなんですか」
「もたれかかるな、危ない」
作業中に口を出し、質問を投げかけ、
「なにをなさっているんですか」
「それは?」
さらには手をも出し、
「やけどするぞ!」
結局、最後には邪険にされたのだった。
「見ておけとおっしゃったのは春時どのでしょう」
「見ておけばいいとは言ったが、邪魔しろとは言ってない」
「邪魔なんてしておりません」
春時の言行不一致と理屈っぽさには、れんもさすがに気を悪くした。
が、あたたかな蓬粥は確かにできあがっていた。
れん自身は嫌なことはとっとと忘れる得な性分らしい。継母の意地悪を受けても忍耐強い、というより気にとめないで過ごしてきたからだろう。
春時が粥を器によそおい、皿に塩を持ってよこすと、
「わあ!」
とはしゃいで不機嫌さもどこへやら、器からあがる湯気に顔を近づけて笑った。
「あたたかいですわ」
「これで体も温まる」
「はい」
粥のなかの蓬は湯にひたされ、かぐわしい。
平たい棒でひとすくい、口にすると口の中に香りが広がる。
「美味しい。たいへん、美味しいです」
あんなにしわくちゃだったのに。蓬さんがおっしゃったことは正しかったわ――れんはうれしさでひときわ美味しさも増すように思えるのだった。
ふと、春時に目をやる。
春時もまんざらではなさそう。勢いよく食べている。
れんは春時をまねして器を口につけ粥をかきこんだ。
「あつつ!」
「慣れないまねをするから」
「ああ、舌がぴりりとします」
れんははじけるように笑いながら、目に涙を浮かべた。
「あたたかいものは、慣れておりませんもの」
邸では冷たいものしか食べなかった。蒸したものも冷えていた。あわびに鮭、祝いの日には蘇――素材は贅を尽くしても味気ない。寒い中ならよほどこのあたたかな粥の方が美味しいのだ。はじめて知った。
難波津にゆき、そして都にもどればもう、このような食事もいただけないのだろう。れんは再び、ひとすくいずつ、惜しむように味わった。
蘇の読みは「そ」。
飛鳥・奈良時代のチーズといわれています。
話中で解説するとテンポが悪いのでルビにチーズと書いてしまいました。