第三話 散華(五)
かつて春時は小侍従から聞き出していた。
人に頼んでまで中将の姫を始末する、照日御前の心底とはいかなるものかと。
それはなぜか。
春時は家の内実を知りたかったのだった。
なにが横佩大臣藤原豊成にとって手ひどい打撃か、その中で春時が実現に動くことができるのはなにか。それを見極めたかった。ために、賊徒の首領・八条王にも内密に小侍従に近づいた。
「御前様は以前は宮中に仕えておられ、従四位下、尚侍局づとめでおられたの。ところが右大臣さまの正妻とおなりになって、先妻のご子息らをご覧になると、みな自分と同じか、位がお高くいらっしゃる」
「中将の姫はたしか正三位下」
「ご子息の方々は宮中にお仕えですが、なかんずく姫は、琴を称賛されただけで三位、宮中に仕えもせぬのに尚侍局の中将というのだから、小憎らしいと思われたことでしょう」
「小憎らしい、とはいえ殺意までは覚えまい」
「良く思わない理由は他にもあった。御前さまは男子をお生みになったものの、右大臣さまが豊寿丸さまを可愛がられなかった。中将の姫がいるからよ」
「三人の息子がすでにいたからではないのか。男子はこれ以上必要ないと」
「御前さまはそうお受けとめではなかった。それもこれも、右大臣さまが亡き紫御前さまの面影を中将の姫に見出だしておいでだからよ。紫御前さまは皇孫にあらせられ、御前さまのご実家は橘氏、皇孫とはいえ臣籍だから、御血筋のうえでもかなわない。二重の意味での嫉妬を感じていらっしゃったことでしょう」
「それが原因にしては」
「いいえ、それも遠因ね」
「では何が」
「直接の理由は、姫が豊寿丸さまを殺したこと」
姫はまだ幼いはずだ。
なのに「殺した」とは、尋常のことではない。
「続きを」
「もとはほんの小さな恨みでしかなかった。でもそれが積年のうちに折り重なり、ついに御前さまは中将の姫に毒を盛ろうとお思いになった」
「毒殺を?」
「いえ、死んでしまうとまずいでしょう? 量は加減するの。それにあの変わり者の姫ったら毒や薬には詳しいから自分でなんとかするわ。でも苦しむくらいはするでしょうから、おのが目の前でもがき苦しむのを御前様は見たかったってわけ」
それほど忌避されている中将の姫とはどのような姫なのか。
琴の手は評判だがそれ以外というと、この女の話からは悪印象しかいだけない。
まあ、その方が依頼の遂行――連れ去り遺棄するには、良心がとがめなくてよいが。
「だから御前様は姫を呼びつけて親子ともに甘いものを食すことにした。片方に毒を入れてね。でも企ては成らなかったわ」
小侍従は笑いともため息ともつかぬ、小さな息を吐いた。
「姫が自分の白湯を、毒入りの白湯を、こともあろうに豊寿丸さまに飲ませてしまわれたから。小さな若君にはお命にかかわる量だったのでしょう、その夜昏睡し、翌明け方にはあっけなくこの世より旅立たれてしまった」
「不運というほかないな」
「そうね、不運ね」
姫が豊寿丸を殺したとするのは無理がある。
そのことは小侍従も分かっているようだった。不運、とさらりと言い切ったのだから。しかし、この女は主人である御前の面前では「姫のせい」と憤ってみせるに違いない。
「その非業の日から、御前さまは中将の姫をわが子の仇とお定めになり、生霊におなりになるやもしれないほどの憎しみを抱いたという話よ」
明らかに逆恨みだ。
そう断じる一方で、春時は照日御前の心情も理解できた。
ひとを憎むということは、理屈を越えた話だ。意に染まぬこと、気に食わぬこと、他愛のないこと。それらが氷解することなく幾重にも積みかさなるほど、憎しみは増幅する。やがて膨張しおさえきれなくなった憎悪は、ぶつけるべき対象を手近な者に定めなければ消化しきれない。御前はその矛先を姫に向けたのだ。ほかの誰かのせいにしなければやりきれない悲嘆、それを姫を苦しめることで緩和し、やがて姫の存在そのものを消し去ることを選んだ。
(同情はするさ。だが、知ったことじゃない)
藤原豊成が溺愛する姫を陥れ、そして褒美を得る。
春時の興味はただ、おのれの利得のみ。