第三話 散華(二)
春時は早朝の都大路を急いでいた。
ふところには堅虫より手に入れた上等の絹。東国の金を一袋。
さすが右大臣家の家政を預かるだけのことはある。これで一生涯、寝て暮らせるというもの。
(このまま雲隠れしてやろうか)
なんて思うと、その次にはれんの顔を思い出す。
ほがらかで無垢な笑顔を。
「……ふん」
なんて人のいい奴だろうおれは、と春時は自嘲した。
腹蔵はあった。
ただ、堅虫に伝えるのはためらわる、そんな策だったからだ。
目指すは「ヒトヤノツカサ」。
知る人があそこにはいる。しかし知る人がいることを堅虫に知られたくない――。
それもまた、策を語らず邸を出た理由のひとつであった。
都の左京、人どおりの少ない寂しげなところに「ヒトヤノツカサ」はあった。刑部省の管轄で、奈良の都における犯罪の刑罰をつかさどる役所だ。
門の前には栴檀の木が落葉後というのに、実をつけたままだった。門柱に掲げられた看板には「囚獄司」とある。薄汚れた門柱はところどころ腐食し、金具には緑青の錆が浮いている。そのくせ扉は幾重にも閉じられており、厳重に内外の行き来をさえぎっていた。
春時は懐刀を取り出した。
金色のさやに無骨な革張りの握り手。異様な風格を持つ逸品である。
春時は複雑な表情で、手の中のそれを見下ろしていた。
(どこの馬の骨、とあしらわれるよりは)
門番に懐刀を見せ、素早く口上を述べる。
門番が走り、やがて入れ替わりに初老の男がゆっくりと戻ってきた。
「ご案内します」
無表情で告げた初老の男のあとを追った。
朝は早かったが、竹簡の束を抱えた数人の仕丁とすれ違った。その束の多さは、この「ヒトヤノツカサ」で扱われるべき刑の執行数をあらわしている。もしくは執行後、処分すべきモノ・ヒトの数。あの竹簡にある名のうちいずれかは、夕刻になれば門外の栴檀に首がさらされるのかもしれない。
石造りの獄舎へとつづく暗い廊下を横目に、春時は奥へと歩く。つきあたりの房に案内されるまま入った春時をむかえたのは、中年の、顔の丸い男だ。机の上の竹簡を持ったまま、顔を上げて春時に声をかけた。
「ああ、なつかしい」
「お久しぶりです。善永さま」
「東大寺の大仏開眼の儀以来かな。あれから数年、あんなことがあってどうしているのか気にはかけていたのだよ。面差しは変わらぬが、すっかり大きくなり……」
囚獄大令史・善永は言葉は丁寧だが、態度は横柄だった。
(後ろ盾を失った若造には礼儀さえも惜しい、か)
春時はただ慇懃にあいさつを返した。
「諸国を回遊し見聞を深めておりました。無沙汰をおわび申し上げます」
「それで突然、しかもこんな朝早くどうしたというのかね」
「かつて亡主のもとに貴殿がいらっしゃったことを思い出し、わらをもすがる思いで参りました」
「罪人の知り合いでもいる、という話かね。でも判決の後だとどうしようもできないよ。もう竹簡を削り終えてしまっているならなおさら」
「いいえ、そうではありません。このことは内密に願いたいのですが……どうかお譲り願えないかと頼みにきたのです。罪人のしかばねを。それも身元知れぬ若い、できれば見目のよい少女を」
善永は薄気味悪そうに春時を眺めた。
「どういう」
「東国の土産です」
春時は懐から親指ほどの袋を取り出し、善永の目の前に置いた。
さくり、と耳さわりのよい音がした。
「これは」
「大仏の年に献上されたものと同じ」
天平勝宝元年の東大寺での毘慮遮那仏開眼供養、これと同じ年に、陸奥より黄金が献上されている。ありがたい大仏の開眼を演出するこのめでたい話は、世に広く知られ、ましてや都の役人なら末端まで知ってしかるべきであった。
(これ以上説明させるなよ)
春時は無言で訴えた。
小役人が砂金袋など、まともに働きつづけたところで一生に一度拝めるものではない。
こんな物を持ちこんだ背後には、いずこの権門がついているか、もしくはもっと別の何か、があるはず。すこし目端の利く役人ならば、そう勘ぐるところだろう。
善永ののどが動く。ちらと春時を見やる。
春時は「手早く黙って受け取れ」と念じつつ、だめ押しを述べた。
「司の物部のみなさまにぜひおとりなしを」
「了解した」
善永は袋をさっと袖口に隠し、
「ほかでもない、我が身にこの職を世話してくれた、亡き大将軍さまへの恩返しのつもりで引き受けよう」
と細かく何度もうなずくと、部下の物部を呼びつけた。
ほどなく現れたのは、門からここまで案内した初老の男だ。彼に案内されるままついてゆくと、牢獄の裏手の広場に出た。広場の真ん中には石畳があり、おんぼろの台がすえられている。落葉した木陰の裏に肉塊がのぞく。
刑場だ。
春時が物憂げに木陰に目をむけていると、一抱えある麻の包みを手渡された。初老の男は終始無言だった。春時も口を閉ざし、頭のみ深く下げた。
その足ですぐ、右大臣邸に向かった。
(堅虫どのに)
報告は必要だろう。
(いや、事後報告でいいか。なにより時間が惜しい)
すっかり日輪が中空に輝いていた。れんを右大臣家の屋敷よりさらった、三日目の朝のことである。