第二話 落飾(七)
椀の中の、華やかに赤いものは猪の肉らしい。青いものは山野の野草、蓬もあるかもしれない。れんには得体の知れない小さな穀類も、ところどころ団子のように固まっていた。
れんは一日、なにも口にしていない。山を縦走したり乗馬したりと、常にはありえぬほど動き回っていたから、緊張のほぐれた今となっては空腹が耐え難いほどだった。しかしそれでも「獣の肉は」と二の足を踏む。
見てしまった猪の頭。それはまさしく死骸だった。
血にまみれ、魂の抜けた屍。毛皮を剥いで、赤々とした肉と脂を削ぎとる。
それがこの椀の中の猪の肉。
あれを口にするのかと思うと、吐き気をぶり返しかける。
とはいえ、いびつな椀からあがる湯気。汁椀のぬくもりも指先そして全身へと伝わり、気がつくと安心しきってほっとしている。その一方、相反する惧れと罪悪も感じている。
(そうよ。肉さえ食べなければ)
れんは汁をすする。
ほのかな甘みと温かさが口にひろがり、胸に流れこんでゆく。
「いかがでしょう」
「……あたたかい」
「それは良うございました」
きよくがうなずいた。
「今日は天女さまがいらっしゃるから、神さまがご用意なさったんじゃなかろうかと思うとるのです」
「神さまが」
「へえ」
なんて穏やかな顔をなさるのだろう。
れんはそう思いながらきよくの言葉に耳をかたむける。
「猪がかかって葉がたくさん採れてこれだけものが食えるようになったのは、天女さまと神さまのおかげです」
「いつもは、どういったものを、食されているのですか」
「この、粟をうすめて煮たもんです」
きよくは椀の中の穀類の固まりをかきまぜた。
「それを、二食」
「へえ。冬の終わりにはそれもなくなりますがねえ」
れんは器の猪肉に視線を落とす。
いつもの食事は――一汁二菜、すなわち汁物におかずが二品ついていたはずだ。それに米の蒸し飯。季節だからといって二食を欠くことはまずなく、たまに一日一食となることがあったのは、継母の意地悪のせいだった。育ち盛りのれんは一食を抜いただけでも辛く思ったものだ。
「それで、足りるのですか」
れんが心配そうに尋ねると、きよくは穏やかにうなずいた。
「足りる足りぬと言うても、ねえときははねえですからね」
「……」
「どんなにひもじくとも、切羽つまってもうだめだというときには、必ず助けてくれなさる。だから今、こうしておれるんですわ」
れんは再び、椀より立ちのぼる湯気を眺める。
(ほんとうに、肉食は悪いことなの?)
戒めや禁令に沿えば確かに悪とされている。
では「神さまがくれたもの」とすすめるきよく親子は悪業を勧める悪人であり、れんが拒んで口にしないのは戒めに従う善行なのか。
いいえ、そんなはずはないと、れんはかぶりを振った。
この人々は粟のかけらで日々ようやく命をつなぎとめている。それが獣の肉を得たのなら、腹をいっぱいに満たしたい、そう思うのは自然なこと。しかも天皇や殿上人、れんのような高貴の者の――殺生だからと獣肉食を禁じることのできる――豊かな暮らしは、租税を収めた残りもので生きている、きよくのような民が支えている。
(食う元手……そうだわ、これが)
気づかず、勝手に獣の肉食を悪と決めつけてきた自分の高慢さ。
(では、どこからが悪で、どこまでがそうでないの?)
再び昨晩を思い起こした。
杉木立の暗闘。かつて仲間として関わった人の命を奪う、春時の姿。
れんは改めて思いをはせる。まぎれもなく自分が「奪わせた」のだ。殺せとは口にしていない。願ってもいない。しかし、こうして自分が生きているのは、数々の命を間接的にしろ、奪ってきた延長にある。
「……るときどの……」
「ほう?」
きよくが心配そうに顔をのぞきこんで問う。
「え」
れんはつくろうようにあわてて微笑んだ。
「ええ、なんでもございませんわ」
そして猪肉を口にしよう、と決意した。
(早く戻ってきてください、春時どの。わたくしは、あなたに謝らなければ。あなたを疑ったこと、ほかにもいろいろ、謝らなければ)
口にした猪肉は、ことのほかさっぱりとして甘かった。