第二話 落飾(六)
れんは、自分のおなかをじっと見つめた。次いで女を見た。
女はどこか陶然とした目でれんを眺めている。彼女の目はきらきら輝き潤んでいた。
れんは全く当惑し途方にくれるばかり。
(ど、どうなっているの)
邸にいたころの中将の姫としてなら納得もしよう。よく手入れされた長いぬばたまの髪を結い上げ、華やかな単衣を重ねてまとった姿なら。
だが今は、髪をばさりと短く切ったあられもない姿。
(どうして、こんなことをおっしゃるのかしら)
それゆえか、
「おなかが空いておるんですか」
「はい」
反射的に答えてしまった。
(ああ、なぜ答えてしまうの!)
れんは自分のまぬけさ加減に頭をかかえたくなった。
「さようでしたらわが家においでくだされ」
「そ、それは」
困ります、とも言い難かった。
(断ったら、きっとひどく落胆なさるわ)
もとより好意を袖にするのはあまり気が進まない。断り方も知らない。
一方で、去りぎわの春時が残していった言いつけが、幾度となく頭の中でくり返される。
――人が来てもじっとしていること。
(無理!)
れんは必死にいいわけを探した。
(ええ、大丈夫。よこしまな考えをもつ方ではなさそう、ですもの)
根拠無しだが。
ただ、目の前の人から受ける印象、それは素朴で穏やかで清々しい心地よさだった。
この人は疑うべくもない方だ、とれんは思った。
というより、この期に及んで疑いたくなかった。
「お尋ねしてよろしいですか」
「へい」
「あなたさまの館は、ここから遠くはございませんか」
「いいええ、すぐそこ、林を抜けてすぐです」
「さようですか」
それならちょっと行って帰ってくるだけ。ちょっとくらいなら。
「では、お連れくださいませ」
女の顔に無邪気なよろこびがあらわれた。
断らなくてよかった、とれんは微笑んだ。
荷を下ろした室からまた杉林を入り、坂を下りてゆくと、小さな集落があらわれた。そこは狭隘な谷間で、北側にあたる山の中腹にできた狭い台地に数戸の集落が身をよせあっている。女はその集落を迂回し、さらに道を下る。
「ここは、なんと申すところですか」
先を歩く女の背にたずねた。
「吉隠の里です」
「ここが……」
吉隠とは歌に聞く里。
そして幾人もの皇子、皇女たちが葬られし岡。
降る雪はあわにな降りそ吉隠の猪養の岡の寒からまくに
やがて冬を向かえればこの山々に守られた里は、雪化粧に彩られるのだろうか。
記憶にあるというだけで、どこか不安も少なくなる。不思議なものだ。
「あなたはなんとお呼びすればよいでしょう」
「きよく」
れんは名乗り返そうとしたが、聞かれるまではと思い直した。
――自分のことは決して語らぬこと。