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荷葉の路  作者: 鏑木恵梨
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第二話 落飾(三)

 目の前はただ漆黒。手を伸ばしても何も触れることなく、ただ空を切る。

(これは)

 れんは自分に言いきかせた。

 おかしい、これは(うつつ)のことではない。先程までは昼だった、夜のわけがない。

 春時もいきなり姿を消した。

 そんなわけがない。迷ってはいけない。

 呪詛。

 忌まわしいことばが頭をよぎる。

(こ、こんなときは、流されてはいけないのだわ)

 気をふるい起こして闇のいずこかに焦点を定め、問いかける。

「ど、どなたです。わたくしの、髪を」

 ――髪を切るか。おのれまんまと逃げおおせると思うてか……

 女。

 その声、れんには聞き覚えがあった。

 しかも記憶に新しい。日がな刻まれつづけた記憶に。

 頭が重い。

 れんは半ば無理やり首をかたむけ、後ろを見やる。

「……」

 声が出ない。

 切られようとしている最後の長い一房。それを、白魚のような手がしっかと握っている。

 さらに片手が闇より現われる。れんの首に絡みつく。

 ――いや逃さぬぞ中将内侍。

「は、は……」

 両の腕を包み込むのは艶やかな朱の衣。伽羅(きゃら)の香り芳しいその衣の主は……

継母上(ははうえ)さま!」

 さくり、と最後の一房が落ちた。

「しばらくは我慢願いたい」

 れんはしきりにまばたきした。

 今は昼だ、ちがいない。

(夢からうつつへ、戻って)

 春時が刀をさやに収め、怪訝そうにれんを見ている。

「れん」

「ええ、あ、はい。いいえ」

 れんはあわてて首を横にふった。

「我慢など。すっきりしました。長い髪は動き回るのに難渋します」

「あまり動き回られても困る」

「あっ、そういえば」

 春時はまた、ため息をついた。

「よろしいか。戻るまでの間ここにとどまり、動いて人目につくことのなきよう願います」

「はい」

「それから、人が来てもじっとしていること」

「はい」

「もし見つかっても人を待っているからこのまま待たせて欲しい、と頼むこと。自分のことは決して語らぬこと」

「はい」

 れんは素直にうなずいた。

 不審の目をむける春時だったが、結局は時が惜しいとばかりにさっさと小屋を出て行った。

 去り際に、馬が荒い鼻息を吐いた。

 数刻の間――。

 れんは(むしろ)の上にぽつねんと座ったままでいた。

「まただわ」

 ようやくして、ぽつんとつぶやいことには。

「また、置いてけぼり」

 とはいえ、今度はあまり不安はない。

 昨晩はひどく不安だった。「置いて行かれるのでは」と懸念したし、「置いていかれたらどうしよう」そればかり考えた。真夜中でもあったし、人里はなれた破れ屋にいたためもある。なにより、春時がどんな人間か分からなかった。逃げようと連れ出されたが、本当に逃げているのか、それとも罠なのか。今は信がおける。みずからに害をなすものではないだろう。まだはっきりと人柄をつかんでいないが、悪人ではない、とは信じている。

「わたくしのために、破れた袖とお(ぐし)をたずさえて行ったのですから」

 れんは破れたすそをたぐった。

 髪と同じく、証拠とするために破ったあとだ。

「置いてけぼりじゃなくてお留守番。ことばを間違ってはいけないわ」

 じいっとしていると、昨日の晩が思い出される。

 夜通し奔り抜けた――まさに激動の夜。

 自ずから目を覚ましたら春時の襲撃を受け、かわしたら手をつかまれ、逃げよと誘いかけられた。ふり払うこともできず馬上にあれば、いつの間にやら泊瀬(はつせ)の谷。廃屋を一夜の宿とすることもなく、さらに逃げねばと山中を歩き、八条王とかいう凶漢たちに囲まれる。見知った人々であったろうに躊躇(ちゅうちょ)なく、春時は斬り捨てた。

「思えば春時どのは」

 そういう人なのだ。

「わたくしを、殺しに」

 信じていいのだろうか。本当に……?

 そう考えると不安が身に刻まれた恐怖に変わる。にわかに震えが来、止まらない。

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