第3話 食料調達
「うし、予想通り誰もいないな」
「奴らの大半が街の機能の維持管理や見張りにまわされているみたいだからここはノーマークだったみたいね」
「ああ、あとはターゲットが生きていることを願うしかないな」
夜明け時を狙い、俺は夏美と3人の子供達を従えて先日鶴見との待ち合わせに利用した小学校の敷地に忍び込んでいる。 目的はただ一つ、学校が所有する動物小屋だ。
「猪を飼ってるって言ってたよな」
「ええ、母親とはぐれたところを学校で保護することにしたのよ。 幼い頃から人と接していたこともあってとっても愛くるしいわよ」
「なら始末しやすいな」
「桃ちゃん殺しちゃうの?」
俺の言葉に対し、セーラー服を身にまとう少女が口を開く。 彼女の名前は高山理恵、弟とともに夏美に保護されており、子供達の中で纏め役として夏美のいない間はアジトを守ってくれている。 今回は出来るだけ多くの食料を持ってくるために俺は一番の年長者である彼女の同行を頼み、代わりに彼女の弟をアジトの見張りにつかせている。
「こうでもしないと私達は飢え死んじゃうわよ」
「でも」
「人間はな、食べなくても水さえあれば3日は平気で生きていられるって言うけどな、実際は体力の減少に対して人間の感覚が鈍くなるだけだ。 登山家達も食料をケチるって行為は避けてるんだぜ」
食料の減少で最も恐るべきことは士気の低下だ。 相手が子供達であろうとも食糧のないひもじい生活が続けば3日も持たずに音を上げてしまうだろう。 それが心に傷を持った者なら尚更であり、早く食糧情勢を改善しないことにはこれからの行動に支障が出てしまうことは目に見えている。
「牡丹鍋を思い浮かべろ、あれは滅多に口に出来ない高級鍋だぞ」
「一週間ぶりのお肉......」
「食べたい......」
理恵を除く二人の少年達は涎を垂らしながら大きくお腹を鳴らしてしまう。
「ついでにそこのユリも引っこ抜いていくか」
鑑賞用に植えられたであろうこのユリ科の植物もまた、貴重な栄養源にもなる。
ユリに含まれる硫化物が肉や魚のタンパク質と結びつくと臭みを消す効果があり、ユリ根は甘く芋のような食感がある。 カルシウムや食物繊維、ビタミンC等も豊富だから栄養補助の面でも最適だろう。
特にタンパク質が原因となる生臭さは人間から食欲を無くす天敵だしな。
俺は夏美に見張りを頼むと同時に工具を使って猪小屋の鍵を壊し、ドアを開けた瞬間に中から毛深い生き物が飛び出してきた。
「ごへ!?」
「桃ちゃん!!」
久しぶりに人に会えたためか、桃ちゃんと呼ばれた猪は理恵の元に近づいて甘え始める。 無理もない、二週間も閉じこめられてしまっては元野生動物である彼女も辛くなってしまったのであろう。
「ブヒブヒブヒ!!」
「寂しかったんだね......」
去年までこの学校の生き物係として彼女の世話をしていた理恵の口から涙がこぼれてしまう。
猪の方も彼女に会えて嬉しかったのかしきりに鼻を擦らせて愛情表現をしている。
「どうする?」
「殺すしかないだろ」
人と猪の涙ぐましい再会はともかく今の俺達に必要なのは当面の食糧だ。 理恵には悪いがここは心を鬼にしてこの猪をかっさばくしかないだろう。
「桃ちゃんは殺させない!!」
「へ!?」
俺の心情を察知したためか、理恵は護身用の出刃包丁を片手に立ちふさがる。 おいおい、人間様と猪の命を天秤に掛けちゃダメだろ!!
「桃ちゃん逃げて!!」
「ブヒ!!」
「おい、何やってんだ!?」
理恵の言葉を合図に猪は明後日の方向へと逃げだしてしまう。
「これであの子はもう自由......」
「いやいやいや、優斗と隆が口から涎を垂らして追いかけてったから!!」
二人の少年達の目には最早猪肉のことしか頭になかったらしく、鍋やお玉を片手に猪を追いかけ始めている。 このままではかなりマズい、俺は夏美と一緒に二人を追いかけることにするも、建物の角を曲がった時点で最も会いたくない奴に見つかってしまう。
「人間...若い女...」
「や、やばい見つかった!?」
「逃げないと!!」
赤い目をし、右手には拳銃を持つ二人組の警官。 どうやら定期的に見回りに来ていたようだ。
「待てえ!!」
「待てと言われて待つ奴がどこにいる!!」
猟銃を持ってきてはいたが、正直言って構える前に警察に撃たれるのが目に見えている。
富岡にしろどうして俺の出会う「亡者」達は銃を持ってやがるんだ。 銃刀法のあるこの国ではかなり珍しい事態だぞこいつは。
「く、追いつめられたか」
壁際に追いつかれ、振り返ると拳銃を構えた二人の警官。 正直言って万事休すだ。
「死にたくなければ武器を置け」
俺と夏美は命令に従って猟銃と金属バットを地面の上に置く。
「良い女じゃないか、上人さまも喜ばれるな」
「この男もなかなか良い体をしている。 手ゴマとしては使えそうだな」
赤い瞳の奥に灯る欲望。 亡者となってもある程度の欲求はあるみたいだな。
「上人って誰だ?」
「貴様ごときが気安く呼ぶではない!!」
警官の一人が警棒で俺のみぞおちを殴りつけ、俺は痛みの余り地面に倒れてしまう。
「悟!!」
夏美の言葉を余所に警官達は俺の体を蹴飛ばして弄ぶ。
「人間如きが我らに逆らうとは片腹痛いわ」
「さっさと仲間になればいいものを」
夏美が人質に取られている手前、こちらからは手が出せない。
悔しさを必死で耐える俺であったが、突然の乱入者の登場によって救われることになる。
「ブヒ!!」
「ぎゃあ!?」
先ほどまで二人の少年に追われていた筈の猪が俺を蹴りとばしていた警官に体当たりしてしまう。
「こいつ!!」
もう一人の警官が猪に銃口を向けようとするも背後から近づく少女によってそれは叶わなかった。
「桃ちゃんは殺させない!!」
「ぎゃああああ!!」
理恵は恐ろしい形相で警官の背後から飛びかかり、奴の頭部を出刃包丁でかち割る。
「人間の勝手が彼女たちの生態系をあらしてしまうのよ!!」
どこぞの環境保護団体の叫ぶような言葉を発しながらも返り血を浴びるのとはお構いなしに、彼女は瞬く間に二人の警官の体を何度も切りつける。 その光景に後から駆けつけてきた二人の少年達は身をこわばらせてしまい、夏美もまた呆然としてしまう。
「自然環境を破壊する奴らは死ねば良いのよ!!」
一通り警官達を切りつけて満足したのか理恵は俺達に対してニッコリと微笑んだ後口を開く。
「桃ちゃんを食べないでね♪」
俺達はガクガクと震えながらも頷くしかなかった。
「結局食糧はユリしか手には入らなかったか」
目的であった猪を殺すことは叶わず俺達はこれ以上いる理由もなかったために小学校を出ることにする。 先頭を行く理恵は猪と仲良く歩いており、二人の少年は収穫したユリを持ちつつもブツブツと何やら呟いている。
「新しい武器が手に入ったからいいんじゃない?」
夏美の手には警官から奪った拳銃が握られており、今まで金属バットで戦ってきた彼女にとって心強い物になっている。
「せっかく肉を食わせてやろうと思ったのになあ」
「またチャンスはあるわよ」
そんな俺達の会話を余所に、突然猪が立ち止まったかと思うと休耕となっていた畑の茂みに向かって走り始める。
「桃ちゃん!!」
「理恵、どこに行くんだ!?」
俺は猪を追いかけていった理恵を追いかけて茂みの中へと入っていく。
「はあ、はあ、お前等......」
「シ、あれを見て」
猪と一緒に茂みの中に潜んでいた理恵の指さす先には牧場から逃げたであろう一頭の牛の姿があった。
逃げ出して疲れていたためか、奴は茂みの中で座り込み、クチャクチャと草をはんでいる。
「殺れる?」
理恵の言葉に対し、俺は静かに答える。
「問題ない」
俺は猟銃に弾を込め、銃口を牛の頭部に向けて息を少し吐いた後で呟く。
「目標、前方の美味そうな牛」
茂みに響く甲高い銃声、幸いにもその音は亡者共の耳に入ることはなく、俺は夏美と一緒に手早く牛を解体すると大量の肉を猪の背中にも乗せてアジトへと向かうことにする。
「美味い」
「美味しい」
「お代わり!!」
閉め切った室内であったが、久しぶりのご馳走に子供達は大はしゃぎであり、それぞれが満面の笑みを浮かべている。
「桃ちゃんに感謝してね」
「桃ちゃんありがとー」
「ブヒ!!」
子供達の感謝に答えるかのごとく猪は牛肉を食べつつも鼻を鳴らす。
何がともあれこの猪を連れ帰ったことにより子供達は笑顔を見せるようになった。 当分はこのアジトも何とか維持できるだろう。
「怪我は大丈夫?」
「ああ、こう見えても俺の体は頑丈なんだ」
「ちょっと体を見せて」
夏美に強引に引っ張られる形で俺は風呂場へと連れてかれてしまう。
「やっぱり痣が出来てるじゃない」
「唾付けときゃ治るさ」
「馬鹿言わないの、骨折してたらどうするの?」
彼女はそう言いながら俺の体のあちこちを確認しつつ手当をし始める。 その健気な姿を見つつ俺はある疑問を投げかけてみる。
「失礼かもしれないけど結婚はしたの?」
「......一回だけね、すぐに別れたけど」
「原因は?」
「彼、組合の幹部でね、私との生活よりも組合の活動を優先するもんだからケンカ別れしちゃったの」
「そうか」
「優しくて顔が良かったから惹かれちゃったんだけど実際は大した男じゃなかったわよ」
彼女はそう言うと俺の隣に座り、そっと頭をもたれて口を開く。
「こんな世界でもみんな精一杯生きてるよね」
「ああ」
「ねえ、このままあの子達と一緒に脱出してどこか静かなところで生活しない?」
「無人島なら大歓迎さ、だけどその前に鶴見の家族を助け出さないと」
「ふふふ、怖じ気付いてなくて安心したわ」
夏美はそう言いながら俺に口付けする。
「このまま押し倒して良いかな?」
「子供達が寝てからよ」
地獄のような世界に取り残されつつも俺達は少しづつであったが、お互いに対する愛を育て始めていた。