第2話 レジスタンス
「ここよ、電気やガス、水道は止まっているけど井戸水があるから多少の不自由は我慢して」
「ああ、生きているだけ儲けもんだと思っているよ」
命の恩人である彼女の案内で俺は彼女のアジトである一件の廃屋へと足を踏み入れる。
二階建てのその家は庭先が荒れ放題となっており、閉めきった雨戸の他に建具のあちこちが痛んでいることからパッと見てもここに人が住んでいるようには見えないだろう。
彼女は玄関ではなく、勝手口の方に回りコンコンと一定間隔で合図を送ると鍵の開く音がする。
「先生、無事で良かった」
「ええ、頼もしい人も連れてきたわ」
中から現れたのはセーラー服を着た中学生くらいの女の子であったが、その手には出刃包丁が握られており、俺の姿を見た途端に警戒心を露わにし始める。
「男の人?」
「大丈夫、彼は乗っ取られていないわ」
女の子の不安を余所に、俺は先生と呼ばれた彼女に引っ張られる形で中へと案内される。 室内には女の子の他に10人ほどの子供達が蝋燭の明かりを中心に集まっており、皆どこかやつれた顔をして座り込んでいる。
「そういえばお互い自己紹介がまだだったわね、私の名前は宮橋夏美、市内の小学校で先生をやってたわ」
「俺は浅間悟、さっき車に牽かれて殺された鶴見の友人であいつに助けを求められてお昼前にここに駆けつけたんだ」
「どうやらあとをつけられたみたいね。 私は鶴見君が一人で出歩いてるのを見かけて彼を仲間に誘おうと思ってあそこに行ってたんだけど手遅れだったわね」
「家族の行方を探していたらしい、あいつの話だとある程度目星はついてたみたいだけど」
「そう......ここにいる子供達は両親が奴らの仲間になった影響で逃げてきたのよ」
「やはり若い女性や子供達が監禁されているって話は本当だったんだな」
「ええ、キッカケは二週間前に遡るわ」
宮橋はそう言いながら俺にことの詳細を説明し始める。
二週間前、夏休みに入ったばかりの学校で彼女は他の教員と共に、新学期に向けた授業の計画を立てていたときに一人の女子児童が駆けつけてきたことによりそれは起こった。
児童は身を震わせて訳の分からない言葉を口にしていたため、教師達は呆然としていたのだが暴徒のような集団の乱入で事態が一変してしまう。 教師達は児童を守ろうと椅子やサスマタ、シールドなどで必死で防戦したものの多勢にはかなわずに一人、また一人と床に倒されてしまい、彼女を始めとした女性教師達は女子児童を庇う形で脱出したが、外で待ちかまえていた暴徒に次々と捕まってしまい彼女だけ児童の体を抱えていたところをたまたま車で通りかかった富岡に助けられる。
富岡は彼女から事態のあらましを聞いた後、警察署に向かうもそこも既に暴徒に占拠されており、道路も封鎖されていたことから仕方なく彼の家に匿ってもらうことにしたという。
「あっと言う間だった、富岡君の家族と一緒に隠れてたんだけどその日の夜に一斉に襲われちゃって...襲ってきた人の中には私を逃がしてくれた先生達の姿があったの。 富岡君は家族や私達を守るために一人で立ち向かってくれてね、私は彼の奥さんと一緒に無我夢中で車を運転して脱出したんだけど途中で奴らの乗る車に追突されて川に転落してしまったのよ」
「じゃあ富岡の奥さんは?」
「亡くなったわ、川に転落した衝撃でね」
「くそ!!」
俺は悔しさの余り畳の上に拳をぶつけてしまう。 5年も顔を出さなかった故郷に一体何が起こったんだって言うんだ。
「見ての通り、奴らに体を乗っ取られた人々に救いの道は残されていないわ。 記憶は多少受け継いでいるみたいだけど中身は全然違う人間よ」
「どのくらい広まってるんだ?」
「分からない、少なくとも市役所や警察署のあるこの付近一帯は完全に奴らの支配下であると間違いないわ」
「110番にかけたのか?」
「残念ながらコールセンターは警察署の傍よ。 完全に奴らの支配下になっているわ」
「そういやここにきてから携帯電話の電波が入らないのって......」
「奴らに基地局を操作されてるに違いないわ。 恐らく鶴見君があなたに送ったメールも奇跡的に通じたからでしょうね」
「何てこった、これじゃあ陸の孤島じゃないか」
「奴らは恐ろしいほど知恵が回るわ。 まるで誰かに操られているみたいにね、私は何とかこの隠れ家を見つけて同じような体験をした子供達を匿って過ごすことにしたんだけどそろそろ限界に近くなってきたわ」
彼女はそう言うと蝋燭を持って台所の方へと案内する。 そこには古ぼけた鍋やヤカンが転がっており、カセットコンロがあることからここで食事をとっていることが伺える。
「私しか外を出歩けないもんだから食料が残り乏しいのよ」
台所の下の開き戸を開くとそこには僅か数個のカップラーメンと幾つかのお菓子袋、キャンディ缶やカ○リーメイトの箱が転がるのみであり、食べ盛りの子供達には少々物足りなさを感じてしまう。
「ここにある食料だけでは明日一杯が限度よ」
「スーパーやコンビニは?」
「ダメ、奴らが張り付いていて入れそうもないわ。 現に閉じこもるのに限界を感じて何人かが強引に取りに行こうとしたけど皆、奴らに捕まるか殺されてしまったわ」
「畑から盗むとかは?」
「無理よ、手頃な畑は全て処分されてしまった挙げ句に残りの畑は奴らの監視付きよ。 現に同じことを考えていた人が何人も捕まってしまったわ」
「ふう、何か色々ありすぎて疲れてきたよ」
「今日はもう休みましょう、このままジタバタしても埒があかないし」
宮橋はそう言うと子供達に二階に行くように伝え、俺に体を拭くように勧める。
俺は彼女から水の入ったバケツとタオルを受け取り、言われるがままに風呂場で上半身裸になって体についた血を拭うことにする。
「どうしてこんな事態になっても平気でいられるんだ?」
「教師が生徒の安全を守るのは当然でしょ、それよりもあなたの方こそあの状況でよく冷静に武器を奪おうとするわね」
「ああ、職業病に近いかな」
「警察官?」
「いや、自衛官だよ」
男である俺が見ているにも関わらず、彼女もまた下着姿になって体についた富岡の血を拭っている。 豊満なバストに反し、彼女は教師とは思えない鍛えられた体つきをしており俺は思わず見とれてしまう。
しかし、そんな俺の思いとは裏腹に彼女は俺に対し口を開く。
「ならあの時の行動には納得できるわ、死体から銃を奪うなんて普通の人には出来ないことだし」
「期待しないでくれ」
「自衛隊がくれば奴らを一掃できるのにね」
「無茶言うな、治安出動なんて項目はあるけどこれはあくまでも暴徒に対するものであって銃火器の使用は認められてないんだぞ」
「その前に政治家の先生方が認めないでしょうね」
「俺に政治的発言は勘弁してくれ」
久しく体験していなかった女性との会話。 ここまでじっくりお互いのことを話し合うようになったのは以前つきあっていた女性と別れることになった日から考えると3年ぶりだろうか。
「そういや気になってたんだけど、鶴見や富岡のことを君付けで呼んでたけど知り合いだったのか?」
「まだ気づいてないんだ......」
「え?」
彼女はそう言いながら、両手を使ってショートヘアの髪を左右に掴んでホッペタを膨らませる。
その瞬間、俺の記憶の中にある女の姿を思い出してしまう。
「藤村か!!」
「当ったり~」
中学校卒業以来、会うことのなかった同級生の姿に俺は思わず声を上げてしまう。 名字だけでなく、あの時の彼女は今と髪型が違い、ふっくらしていたので全く気づくことが出来なかったのだ。
「いやあ、まさかあの浅野君がこんなに立派な体格の自衛官になってたとわね」
「そっちこそどうしたんだ? すっかり見違えちまって」
「ふふ、イメチェンよ、高校に入った途端に両親が離婚したのと胸が膨らんじゃってね、バスケットもやってたから余分な脂肪も取れちゃったのよ」
「普通、体育会系の女子は胸が膨らまないんじゃあ」
「セクハラよ」
同級生の変わりようにお互いの口から笑みがこぼれてしまう。 どうやら彼女、大学を卒業後に念願の教師の夢が叶って故郷に帰ってきたらしい。 少子化で学校の統合が進む中であっても、教師としての使命感に燃えて今まで過ごしてきたらしく、こんな事態にあっても正常な意識を保ってこれたという訳だ。
「鶴見君達のことは残念だけど...」
「いや、まだ終わってない。 あいつと約束したんだ、家族を助けるってな」
「勝ち目はあるの?」
「正直言って全くない、急な事態だったから俺がここに行くことでさえ部隊に知らせていないしね」
「はあ~助けたところで情勢は全く好転しないわね」
「いや、少なくとも食料に関しては解決策を思いついたよ」
「解決策?」
「ああ、少なくとも当面生きる分には苦労しないはずだよ」
「防災食料すら奴らの手元にあるのよ」
「問題ない」
俺はそう言いつつも彼女の肩に手を回し、顔を近づけてこう呟く。
「良い女になったな......」
「ちょっと!?」
「良いじゃないか、ちょうどアドレナリンが高まりすぎちまったし、君もその気があってその姿になったんだろ?」
戦場などにおいて命のやりとりをする際、極端に高まったアドレナリンの行き着く先は性欲に転換されると言われている。 第二次大戦まで、戦場において慰安婦や売春宿が存在する理由もまさに兵士達が持て余した性欲を現地人に対して無作為に発散させないようにするための予防措置に他ならない。
現に戦後のベビーラッシュの背景には戦時下で溜まってしまった性欲が一気に爆発してしまったからだという説まであるほどだ。
余り知られていないが、イラク戦争等においても兵士達の高まったアドレナリンの発散が上手くいってなかった為が故にイスラム圏の女性に対するレイプ事件が多発しているが、幸いにも現在の軍の中には女性も何人かいるため、そこまで大きな規模にはなってはいない(一部からは公的な慰安所が設置できなくなったための苦肉の策と陰口をたたかれていたりもする)。
俺達は久々に会った同級生という間柄であったにも関わらず持て余したアドレナリンを発散するかのごとく、お互いの体を重ね合わせていく。
「ふう......」
「思ってたよりも獣ね」
「君に言われたくないね」
子供達に気づかれぬように、声を押しとどめてこそいたが俺達はお互いの体に引かれ合う形で何度も愛し合ってしまった。 満足感からか俺はふとズボンのポケットから煙草を一本取り出して火を点ける。
「私にも頂戴」
宮橋はそう言うと俺の口から強引に煙草を奪い取って自らの口に含む。
「意外だな」
「そう? 教師の仕事ってストレスが多いから喫煙する人は珍しくないわよ」
「俺の職場じゃ災害派遣なんかで煙草を吸っている光景を見られると印象が悪くなるからって普段から禁煙を勧められているよ」
「でもやめないんだ」
「ああ、喫煙者同士のコミュニティーは侮れないからな」
「なるほどね」
彼女は大きな煙を吐いた後、俺の口にそれを戻して口を開く。
「食料調達の良い案って何?」
「ああ、マリーアントワネットが言ってたろ、「パンがなければバター入りのお菓子を食べればいいじゃない」って」
「意味分かんないけど」
「発送の逆転さ、バターは高カロリー食だから実際は野戦糧食の一つとして用いられた歴史があるんだぜ。 パンよりもクッキーとかの方が日持ちも良いしな」
「小麦でも栽培するつもり?」
あきれる彼女をよそに俺は大きく煙を吐いた後に呟く。
「食料を盗めないのなら狩りをすれば良いのさ」