第一話
顔をベタベタとした何かが触れている。俺は飛び起きて目を開けば、真っ赤な舌が名残惜しそうに大きな口の中に戻って行く。
『これをお食べ、愛しい子よ』
大きな口は動いていないのに、俺の頭には確かに女性の声が響いた。
俺の前に、2m程ある何か赤黒い物が差し出される。鼻を擽る血の香りに、俺は動物の死骸だと察した。
そして同時に何故か、条件反射の如く俺はゴクリと唾を飲み込んだ。まるで、高級な食事が運ばれてきた時みたいに。
腹が空いているのだと途端に気付き、赤黒い物から目が離せなくなった。
嘘だろ…旨そうだなんて、どうしてたんだよ俺は!?
「ぎゃう、ぎぃううう!!!(違う、嘘だ!!)」
首を振って、考えを頭から追い出そうとしても駄目だ。視線は離れず、唾液は口に溜まるばかりだった。
食べない俺に焦れたのか、大きな口を持つ何かは死骸を寄せて来た。
香ってくる血の匂いに、ますます唾液の分泌は酷くなる。体がふらふらと一人でに動き、赤黒い死骸に近寄ってしまう。
「っ!!!(駄目だ駄目だ、止めろっ、我慢しろ、違うだろそれは!嘘だ、止まれよ!!)」
―――――ペチャ、リ
舌が赤黒い血を舐めた。口に拡がる芳醇な味に俺は我を忘れ、死骸に食らい付いていた。
グチャ、バキッ、ハグハグ…
死骸から肉を食い千切り、邪魔な骨を歯で噛み潰す。内臓を啜り、血を舐めとる。皮を剥ぎ、脂肪の少ない死骸の食べれそうな部位を探し、鼻先を突っ込み牙で繊維を噛みきって呑み込んだ。
「(上手い…上手い、なんだ、すげぇ!!こんなに上手いの初めて食べた!!)」
俺は夢中で2mはあった大きめの動物の死骸を貪った。夢中過ぎて、辺りに血と細かい破片を飛ばしながら食い尽くした。
有り得ないことに、大きな動物を丸ごと食べたというのにお腹はまだ減っていた。
『……ほう、まだ食べたいか。さすが我が愛しい子ぞ!!』
また、頭に響く女性の声に俺は周りを見渡すが人間の陰はない。
骨と皮だけになった動物らしき死骸から目を反らし、この空間で唯一俺以外で動く何かを見上げた。
それは、俺が食い散らかした死骸を口にくわえ、全身に銀色に輝く鱗を纏った本当に巨大な存在だった…。
銀色の鱗が、躯を動かすごとに色を乱反射させているのか様々な色に姿を変えた。
また、背中から生えた一対の翼はその巨体を支えうるに適した又も巨大なものだった。
口から覗く鋭い牙が鈍く光りくわえていた死骸を軽く噛みきり飲み込んだ。指先から生えた太い爪は、赤黒く汚れていた気がした。
全長なんて首が痛くなってみることが出来ない。
そして一番恐ろしいのは、真っ赤な切れ長の瞳の中に縦に伸びた瞳孔が恐怖を煽る。
知性を帯びた瞳は、残虐性も潜んでいるように見えて俺は戦慄した。
『待っておいで愛しい子、獲物をとってくるから』
ズシズシッと地響きを起こしながら、洞窟らしきこの場から銀色の巨体が遠ざかって行く。
洞窟を抜けた銀色の巨体は、陽の光に当たりさらに躯を輝かせた。
翼が数回羽ばたき、太く強靭な脚に力が入った。
ドンッと地面が揺れ、巨体が一瞬にして空へと舞い上がり視界から消えた。