episode 48 よく解らない感情
ひとしきり笑った後、震える腹と口を押さえ込みながら、俺は口を開いた。
「そういうことだ。結界は張ったが、何かあったときはレイを馬車馬のようにこき使っていいからな」
「おい、悠希ッ!!」
「約束は?」
「ぐっ……!」
「こき使っいい」という点で詰め寄ってきたレイだったが、約束のことを持ち出した瞬間には口を噤んだ。
いやはや、本当にに面白い。
手を握りしめながら震えているレイを見て、口元がつり上がるのがわかる。
今まで散々追い回してきてくれちゃった少年が唇を噛みながら俺の言うことを聞く。こんな面白い光景がどこにあろうか。
既に喉の辺りまで笑いがでかかっているが、いつまでも笑っていては話が進まないので我慢することにして俺は言葉を紡いだ。
「じゃあ、ちょっと紅葉たち探してくる」
そう言って身を翻し、さっさと紅葉たちを連れ帰ることにした。
レイが来てから大分時間が経っている。いくらなんでもそろそろ近くまで来ている頃だろう。
しかし、もし万が一何かあったときのために探すつもりではある。
そしてその後はこの事件に終止符を打つ。つまり、敵勢力を根絶やしにするつもりだ。
全身に魔力を流し、予定を頭の中で確認しながら俺は風のようにアリーナの出口を駆け抜けた。
☆☆☆☆☆
「言っちゃいましたね……」
綾芽のこの言葉は、この場の全員の思いを代弁していた。
さっき来たかと思えば、またすぐにどこかへ行ってしまった悠希。
まるで嵐が通り過ぎたように感じ、なぜだか脱力してしまう。
現在は遥と一葉がそれぞれ和彦とライラに一人で付いている。自分を含めたこの三人の中で、自分の治癒魔法の技術が劣っていることは明らかなので、ここで出しゃばったりしない。そこまで自分は子供じゃないと自覚している。
治癒の魔法はその名の通り傷を癒やす魔法。怪我の程度にもよるが、だいたいの怪我はすぐに治すことができる。ライラの傷も、少し時間はかかるだろうが、治らないわけではない。
しかし、それも万能ではない。腕が両断されていればくっつけるなんてできないし、もちろん生やしたりすることもできない。
設備が整った病院に行けば、現代医学ならば腕をくっつけることも簡単だ。
だが、今現在の状況を考えれば病院に運ぶなどという悠長なことを言っていられない。
なぜならば、悠希の言ったことが本当であれば、悠希が張り直した(性格には制限を付け加えた)この結界の中が一番安全だからだ。
それならばここに籠城するしかない。だが、問題はある。
「さて、じゃあ俺は人命救助でもしてくるか……」
明らかに気怠そうな声を言いながら学年一位、レイ・ケイフォードは歩き出した。
―――人命救助をなんだと思っているのだろうか。
そう、問題とはこのアリーナで観戦していた何人もの観客。それをレイ一人で運ばなくてはならないのだ。
さらに、運ばれてきた観客を綾芽たち三人で治療しなければならない。これは容易なことではないのだ。
治癒系統の魔法を使える人間がこの場に三人もいることが奇跡のようなものなのだが、如何せん観客を救助する人間が一人だけと言うのはあまりにも少なすぎる。
救助が遅れたばかりに多くの人が死んでしまうというのが、綾芽には堪らなく怖いのだ。
『―――綾芽さん?』
「ッ!?」
そんなとき、いきなり脳内に声が響きわたった。
聞き覚えのある声。それが念話によるものだと気づいたのは、声の主が解ったときだった。
『ゆうき……さん?』
『おお!よかった。念話知らなかったらどうしようかと……』
声の主は、先程アリーナから出たはずの華瀬悠希だった。脳内に響く彼の声に、安堵の色が窺えたため、何故か解らないが笑ってしまう。
だが、いきなり笑い出した綾芽に、周りのみんなは訝しげな視線を向けてきたことに気づき、慌てて表情を戻した。
『ど、どうしたんですか?それと、いくら私でも念話ぐらいなら知ってます!』
『そ、そうか、すまん』
何故だか、後から自分がバカにされたような気がしてきたため、つい語調が強くなってしまった。
いつもと違って強気な綾芽に多少驚いた様子だったが、気を取り直した悠希の次の言葉を待つ。
『綾芽さん、大丈夫か?』
『え?』
だが、聞こえてきたのはまったく意味のわからない問いだった。
わけがわからず首を傾げる。
『いや、なんだかいつもと違う気がしたから』
あー。
これでようやく解った。悠希は自分を心配してくれていたのだ。
普段はボーっとしているように見えて、案外周りをよく見ている。
そう思うと、心が満たされていくような不思議な感覚が胸に広がってきた。
(あれ……?)
未体験の感覚に、思わず首を捻った。
心配されて嬉しいのだろうか?いや、誰にだって心配されるのは嬉しい。では、この感覚は?
もしかして。もしかして―――――
『綾芽さん?どうかした?』
『い、いえ!なんでもないです!』
心配気な声が頭に響くことによって、再び綾芽は現実に引き戻された。
最初はただの好奇心で近付いただけだった。
第11高校一年の中で最強である紅葉を倒した転校生。その名前が日本で有名な英雄『華瀬悠希』と同姓同名であること。
別に、悠希が英雄と同一人物だなどと思っているわけではない。自分の英雄のイメージと、悠希とはかけ離れているからだ。だから、最初は好奇心と、僅かに自分を強くしてくれるかもしれないという可能性信じての行動だった。
結果は、予想以上だった。
悠希のお陰で、学年順位はかなり上位の方まで行けた。それに彼自身の力は底知れない物だと感じた。
単純に凄いと思った。
彼はどれだけ自分を磨き続けたのか解らないほど洗練されている。
華瀬悠希は凄い。
ただ、今はそれとは別の感情が心に入り浸っている。
いつから?
そんなものは解らない。
ただ、そこにあるということだけは自分にも解った。
これは、この感情は、きっと――――
『綾芽さん?本当に大丈夫か?』
そこまでで思考は中断させられた。またも悠希の声で、だ。
だが、言葉の意味とは別に、今の綾芽には気になることがあった。
『悠希さん?今更ですけどなんで私だけ“さん”付けなんですか?春日野さんだって呼び捨てなのに……』
実際に頬を膨らまし、拗ねたような表情を作った。不機嫌オーラを含みながら、やんわりと問いただす。しかし、言葉に込められた怒りはしっかり悠希へと伝わったようだ。
慌てた言い訳が聞こえてくる。
『べ、別に遥の友達が社交的なやつだったから、下の名前で呼ぶようにって決められたんだよ、うん。だから、これは不可抗力なんだ。な?』
『悠希さん。言い訳はそれでおしまいですか?』
『……釈明の余地もございません』
浮気がバレた夫のような言い訳に、綾芽の気分は少し和らいだ。これを狙っていたのだとしたらこの男の子は相当女の子の扱いに慣れているな。
―――まあ、そんなわけないだろうけど。
心の中でそう結論付け、意識を会話へと集中させていく。
『……許して欲しいですか?』
『は、はい!』
『では条件があります!』
高らかにそう宣言し、綾芽はその条件を頭の中で言い放つ。
『……私のことも名前で呼んでください』
『へ?』
『名前で呼んでください!』
まるで何を言われたか解らないような声が返ってきた。自分でも恥ずかしかったので、反射的に復唱した。
『えっ……と、今そんなこと言ってる場合じゃ―――』
『春日野さんは良くて、私はダメなんですか?やっぱり悠希さんは私のこと嫌いなんだ……』
『え、いや!そんなことはないぞ!?』
『じゃあいいじゃないですか!!』
悠希の狼狽しきった顔が目に浮かぶ。でも、何故だか今は感情的になってしまっている。
―――やっぱり私、変だ。
自分でも無茶苦茶なことを言っている自覚はある。しかし、今は考えるより口に出してしまうのだ。自分の意志に反して言葉を紡いでしまう。
いや、もしかしてこの言葉自体が綾芽自身の心を映しているのかもしれない。
『はあ、わかったよ』
やがて、諦めたような悠希の声が返ってきた。
ドキリと心が揺れる。
こんなときだと言うのに自分の名前が呼ばれることを心待ちにしている自分がいる。
そして、呼ばれた。
『じゃあ、“綾芽”』
呼ばれた瞬間、心の中に何かがストンと落ちた。そして、なんだか良く解らない感情が沸き上がってくる。
ただ、それが何か解らなくても、この気持ちが自分にとって心地良い物だと言うことは解った。
『はいっ!悠希さん♪』
知らず知らずのうちに声が弾んでしまう。抑えようにも抑えられない。
いきなり機嫌が良くなったことを訝しく思ったのか、悠希の心配気な声が届く。
それがまた嬉しくて、けど心配させないように『大丈夫です』だけ応えておいた。
『それじゃあ、また後で』
『はいっ♪』
最後にそう応え、繋がっていた糸が切れるような感覚と共に、悠希の声が聞こえなくなった。
名残惜しいとは思う。だが、仕方がないがない。今は非常時なのだ。
しかし、それ以前に自分の胸に溢れるこの感情のお陰か、少し寂しいと思うだけで済んでいることもまた事実。
先程まで浮かんでいた“怖い”という感情さえも塗りつぶしてしまった別の感情を抱きながら、ふと、視界の端にレイの姿を捉えた。
観客席を充満する煙の中に飛び込んだレイを見て、自分もがんばらなくてはという思いが浮かび上がる。
がんばれば悠希に褒めてもらえるかもしれない。
俄然やる気がでてきた綾芽は、これから起こることなど露ほども知らずに、ただ無邪気な笑顔を振りまくだけだった。