episode 39 恐怖の淵
しばらくして轟音が治まると、レイは大剣を担いでこちらに向かってきた。その顔に罪悪感は感じられない。
人を殺したことは無いが、それでもこんな風に飄々とした態度をとるレイに、紅葉は微かな戦慄を覚えた。
だが顔には浮かべない。
そんなことを思うのは自分が子供だからだ。
レイはただこの都市を守るためのことをやっただけなのだから。
無理矢理自分を納得させ、近寄ってくるレイに声をかけた。
「お疲れ様。まさか本当に一人でやっちゃうとはね」
「そうか?多分あんたでもできるんじゃないか?」
何を言っているのだろう、コイツは……。
キョトンとしながらそう言うレイに紅葉は呆れて溜め息を吐く。
「それにしても……」
「ん?」
そう区切りをつけ、問い返すように首を傾げるレイに対して応えるでもなく、周りを見回す。
それにつられた彼も、周りに広がる光景を見て「ああ」と納得顔を浮かべた。
「……ここどうしよう」
改めて周りの光景を見ると、なんというか凄いことになっていた。
コンクリートは捲れ、木は薙ぎ倒され、辺りは土で塗り固められている。
あれだけ大きな魔法を使ったのだ。周りに被害が及ばない方が可笑しい。
幸い、校舎とは少し距離があるため校舎そのものに被害は無いと思うのだが、この近辺全ての修繕費は馬鹿にならない額だろう。
そんなことを考えていると、今更のように冷や汗が出てきた。
後で請求書とか届かないよね?
そんな紅葉の心情を知ってか知らずか、レイは「大丈夫だ」と答えた。
「あいつらをこのまま放っといたらもっと被害でてただろうし、どのみち正当防衛だ」
めんどくさそうにそう告げるレイに、「それもそうか」と納得する。
少し時間を食ったが、早くライラの下へ向かうためにアリーナの方角へ向き直り、足を進めようとした。
パキッ
そんなときだ。
不意に後ろから何かがひび割れるような音が鳴った。
訝しく思って振り向くが、そこにはレイが作り上げた土山しか無い。
パキバキッ
再び音が聞こえる。
今度ははっきりとした音だ。
ここにきてようやくわかった。
音源はこの土山なのだと。
ボコッ
最後にそう聞こえた瞬間、何かが土山から飛び出した。
「あん?」
レイが怪訝そうな顔で見守る。それはそうだろう。紅葉もあそこから誰かが出てくるなど思いもよらなかったのだから。
飛び出してきた人物はそのまま土山に着地し、確認するように辺りを見回す。
こちらに気がついた男は、一瞬ニヤリと口元を歪めた。
「いやー、まさかこんな所でレア持ちに出くわすとはね。予想外だったよ」
男はいきなりフレンドリーな声音でそんなことを言い出し、あろうことか拍手までもしだした。
そんな男を不快そうな目で睨みつけるレイは唐突に口を開いた。
「あんたもレア持ちだろ?武器はその槍か」
事もなさげにそう言うレイに対して紅葉は驚愕に目を見開く。
再び男を見る。白に近い黄色の髪、体系は細めの長身だが、不思議と痩せているとは思えない。顔には飄々とした笑みを浮かべ、レイの言うとおり、男の手には銀色の槍が握られていた。
男はより一層笑みを深める。
「よくわかったね。そうさ、これが僕の伝説武器“神槍ゲイ・ボルグ”」
まるで親しい人間とでも話しているように飄々としている男に、隣で不機嫌オーラを放ちまくるレイ。だが、男は気にした風でもなく、寧ろ楽しそうに言葉を続ける。
「いやー、それにしても若いのに凄いね。よかったらうちに来ない?それなりの地位は保証するよ?」
何故か勧誘をし出した男に、紅葉は意表を突かれたように惚ける。しかし、レイは違ったようで、鼻を鳴らして目を鋭くした。
「はっ。ロシアの軍人さんが何言ってんだよ」
「―――え?」
――――ロシア?
「レイ……今なんて……?」
「こいつらはロシアの軍人、だ」
繰り返すレイに動揺の響きは無い。
「ウソで―――」
「こんなんで嘘ついてどうなるんだ?」
言葉を遮り断言する。
その瞬間、記憶の底から恐怖が沸き起こってきた。
足が震え、歯がガタガタ鳴り、頭の中が恐怖という感情で埋め尽くされる。
「おい!どうした!?」
真横で聞こえる筈のレイの声がやけに遠く感じる。
このとき思った、
―――ああ、まだ五年前のことが怖いのだ、と。
☆☆☆☆☆
レイ・ケイフォードは困惑していた。
普段の彼を知っている人間ならばこんな光景に出会うと、目を見開き、「あ、夢か」などと言ってその場を後にするだろう。
だが実際に今の彼は困惑していた。
理由は彼の隣にあった。
何故かいきなり震え初め、顔を真っ青ににして怯えきっている人物、波風紅葉がまさしくそれだ。
別に彼女のことを知っていた訳ではない(実際にはレイが覚えてないだけなのだが)。それでもこの状況にはさすがのレイでも動揺してしまう。そして一つの疑問が頭を過ぎる。
彼女は何に怯えているのか、と。
そこまで考えると、何か嫌な気配を感じた。勘に任せ、紅葉を庇うように右手に持つ“クレイモア”を構える。
と、同時に先ほどからウザイと思っていた男が目の前に現れた。
薙払う槍の軌道に合わせ、大剣で受け止める。
「僕がいるのに余所見してちゃだめじゃないか?」
うざったらしい表情でうざったらしい事を言い出すこいつにつくづく腹が立つ。
眼前に迫る男の顔はこの状況でも笑みを崩すことは無く、寧ろ先ほどより笑みが深くなっている気がする。それがまた気に食わない。
学校では問題を起こしたことのないレイだが、別に気が長い訳ではないのだ。というより短気と言っていい。
周りの連中の陰口なんかでもイラついたりするし、教師に対してもムカついたりする。それでも問題を起こさないのは―――。
考えている間に相手の攻撃が激しさを増し始めた。槍という武器の特性上、近接戦では薙払い、または突きしかできない筈なのだが、それでも男の槍捌きは卓越したものだった。
久しぶりに満足がいく程の相手。
レイの中にくすぶる欲求が湧き上がる。
この男で日頃の鬱憤を晴らしたい。
しかし、それはできない。
レイの背後では紅葉が未だに怯えて動けないでいる。彼女を庇いながらでは全力を出せない。
彼女は何に怖がっている?
再び心の中で問う。
俺が人を殺したからか?
いや、その時は少し動揺していただけの筈だ。
ではあの男と知り合いなのか?
いや、そうでは無いだろう。そもそもそんな反応は無かった。
ならば一体…………。
自問自答。
しかし、考えても答えは出ない。ただ振るわれ続ける槍を受け止め、弾き、再び受け止めるを繰り返す。
心は強敵との交錯で歓喜の声を上げるが、状況が状況なだけにそんな余裕も無い。
「おいッ!!いい加減起きろッ!!」
イライラが溜まりだしたレイは後ろにいる紅葉へと怒鳴りつける。
しかし、ビクッ、と体を震わせた動きだけが伝わってくるだけで、相変わらず他に反応が無い。
時間と共に増していく焦り。それを自覚しながら目の前の男を睨みつける。
だが、肝心のレイは冷や汗が背中に流し、表情にも険しさが滲み出しているのが自分でもわかる。
平和ボケしていた。
身体を走る魔力も、大剣を振るう腕も、何もかもが鈍っている。
いや、実際には変わらないのかもしれない。しかし、長いこと実戦―――戦場に足を踏み入れていないために動きにキレがない。
実のところ学校の実戦ゴッコなどで満足していたのかもしれない。そう思わせるほど今の自分の動きを苛立たしく思った。
幸いなのは土山に呑まれた男たちが他には出てこないというところか。
死んだか、それても機会を図っているのかだが、どちらにせよ今の状況で加勢に入られるとレイだけでは紅葉を守りきれる保証は無い。
(せめてコイツがどこかへ行けば……)
舌打ちをしながらその考えを否定する。実際に紅葉が動こうとしないのだから希望的観測に過ぎない。
憎々しげに男を睨みつける。だが、目の前の男は余計に笑みを深めるだけだ。
その瞳にはレイと同じ、獲物を見定めたような強い眼光を宿していた。