episode 36 始まりの福音
ドガアアァァンッ!!
試合開始の合図と同時に轟音がアリーナに響く。反射的に音源へと振り向くと、紅葉から見て後ろ、つまり校舎の方角から煙が立ち上っていた。
しかし、観客たちはそれに驚愕を受けるでもなく、ただ何が起こったのか理解してないようにざわめき始める。
何か嫌な事が起こった。
自分の直感が警笛を鳴らす。このままだと非常にまずい。
そう思ったと同時にアリーナのアナウンスが鳴った。
『全校生徒に通達ッ!!現在何者かが同時多発的に学園都市内で破壊活動を行使中ッ!!教師陣は事態の収集に、生徒は指定の避難所に移動しなさいッ!!繰り返します――――』
アリーナにいる人間の中で、この放送を瞬時に理解できた者はどれくらいいただろうか。
『尚、これは訓練ではないッ』
最後にそう言い放って放送が途切れた。
やがて、その言葉の意味を理解していくにつれ、呆然は驚愕へ、驚愕は恐怖へと変わっていく。
誰が口火を切ったのだろう、いや、ひょっとしたら全員だったのかもしれない。会場内から悲鳴が上がり、観客がパニックを起こし出した。
我先にと避難所へ逃げようとし出す生徒たち。紅葉の心はその光景のお陰で恐怖に満ち溢れていた。
こんなときにユウがいれば……。
未だに目を覚まさない幼なじみの顔を浮かべながら、あるはずの無い願いが頭を過ぎった。
――――待て。
ユウは今何処にいる?保険室だろう?それも今は意識が無い。
そんな時に襲われたらどうなる?
そう思い至った瞬間、頭の中が真っ白になる。
思考はフリーズし、体が勝手に震えだした。
今のユウが襲われる、それは即ち――――死。
「ユウッ!!」
その単語が浮かび上がる前には、もう紅葉は走り出していた。
頭の中には既に自分が死ぬことへの恐怖が抜け落ちている。ただ、悠希が殺されることだけはなんとしても防がなければならない。
足に力を込め、アリーナを出ようと控え室に走っていく途中、後ろから腕を掴まれた。
反射的に補助武装を呼び出し振り向く。するとそこには学年一位、レイ・ケイフォードの姿があった。
「なに?今急いでるんだけど」
少し苛立たしげなそう言い放つが、レイは気にした素振りも見せず、寧ろ飄々としながら口を開いた。
「あんたどこ行くの?避難所行くわけじゃないんだろ?」
「…………」
図星をつかれて口ごもってしまう。だが、何も言っていないにも関わらず、向こうはそれを肯定と受け取ったらしく、うんうん頷くと同時に不敵な笑みを浮かべた。
「ふ〜ん……。面白そうだから俺もついてく」
「はっ!?」
思わぬ提案に間抜けな声を出してしまった紅葉だが、そんなことすら気にならない程彼の言葉は衝撃的だった。
「え、なんでっ!?ていうかどうしてっ!?」
「『なんで』と『どうして』って意味同じじゃね?まぁいいけど」
指摘されて初めて気がついた。どうやらよっぽど自分は動揺しているらしいことに気づいていたたまれない気持ちになった。
だが、そんな紅葉の態度など無視してレイは続ける。
「別に。ただこのまま逃げるのもあれだし、エネルギー有り余ってるし、暴れ回れる理由が欲しいんだよね」
こ、こいつ……。
どうやらレイ・ケイフォードという人物は自分が思った以上に戦闘狂らしい。というか狂ってると言っても間違いではない気がする。
飄々とした態度を崩さない彼の顔をもう一度見て、大きな溜め息を吐いた。
「……まぁ、こっちとしてはあなたに来てもらえると凄く助かるんだけど……」
「よしっ。じゃあ決まりな」
紅葉がそう言うと、まるでスキップでも仕出しそうな雰囲気を纏ってレイが走っていく。
その背中を多少憂鬱になりながら追いかけていくのだった。
☆☆☆☆☆
「なんだってんだよッ!!」
黒崎ライラは目の前で起こった光景を未だに信じられずにいた。
ライラの全方位を埋め尽くすように煙が立ち上り、所々から火災が生じているのか、僅かな赤色を灯している。
―――アリーナ、それも観客席が爆破された。
魔法の発動による魔力の流れは感じられなかった。とすると実際に爆薬を使ったのだろう。問題は場所だ。
観客席、そこには衝撃減少の結界が張られていない。もともと試合のために使われる結界なために、観客席までその範囲を広げる必要は無いのだ。だが、今回はそれが裏目に出た。
爆破に巻き込まれたものは、衝撃減少の効果が無いまま、爆炎に吹き飛ばされ、ここからでは確認できないが重傷、最悪死亡している可能性が高い。
だが、いくらライラでもその言葉の本当の意味で理解することなどできていない。
いくら対人同士の模擬戦で優秀な成績を取った者でも、所詮は一般人。“死”という言葉を現実的に捉えられることなど、生まれてから一度も“死”と関わったことの無いライラには無理な話だ。
被害の様子を見ると、爆破されたのは観客席だけ。となると控え室にいる和彦たちは無事か。
そのことに僅かながらに安堵しかけるが、周りの光景がそうはさせてくれない。
一旦控え室に戻って和彦たちと合流して生存者を探したほうがいい。そう思ったライラは武器を構えたまま全速力で駆け出そうとする。
だが、それよりも状況が動く方が早かった。
突如、観客席を覆っていた爆煙の中から何かが飛び出した。
本来ならそれはアリーナの結界に阻まれて弾き返される。
――はずだった。
飛び出した“何か”は、結界が作動する地点を悠々と通過し、競技場内へと降り立った。その数、約20。
降り立ったのは全て男たちだった。別に何か統率された服を着ているわけでも無く、それだけみるならば一般人に見えなくもない。
だがここは何処だ?
学園都市スヒィアは最低限の大人しかいない。今日はトーナメントで一般人が入ることを許可されているとはいえ、それも生徒の親族、もしくは各国の官僚が見に来ているというぐらいのものだ。
では何故目の前のこいつらは補助武装を展開したままこちらへ殺気を放っているのか。
頭の中では“逃げろ”という単語が高速で流れていく。明らかにこいつらはヤバい。
しかし、ここでライラが逃げればまだ現実を理解できていない遥が襲われるのは明白。腹を括るしかない。
別に全員倒す必要は無い。こいつらが中に入ってきた時点で衝撃減少の結界は何らかの手段によって解除されていると考えた方がいいだろう。
ならば攻撃を受けないようにしなければならない。一発でもくらえば死にかねないのだから。
それでも時間をを稼がなければならない。そうすれば事態を把握した和彦たちが救援を呼んできてくれるはずだ。
仲間を信じ、迷いを振り払うかのように、ライラは大剣をゆっくり構えた。