episode 26 対価
保健室。
紅葉たちは今日の試合を全て終えてから、ずっとここに入り浸っている。
彼女たちの目の前では苦しそうな表情をしながら一向に目を覚まそうとしない悠希の姿があった。
今は夜七時過ぎ。
もうとっくに生徒がいる時間は過ぎているが、横にいる姉、理事長である波風一葉のおかげで保健室にいることを許可されている。
だがこの場では礼を言う者も居らず、またそれが必要とされる場面でもなかった。
「……紅葉、何個か質問いいか?」
「……なに?」
そんな中、沈黙を破ったのは小学校から腐れ縁のライラだった。だが、その顔にはいつもの人懐っこい笑みは無く、暗い表情でこちらに目を向けずに聞いてきた。
「悠希の最後のあれ……あれは伝説武器だろ?もしかしてあれのせいじゃねーのか?」
「それは……」
肩を震わせながら問うライラに、思わず自分が知る全てのことを話しそうになり、慌てて口をつぐむ。そんな紅葉の態度を見て掴みかかるほどライラは子供ではなかった。
「それは無いわ」
いきなり隣から返事を返された。驚いて振り向くと、そこにはいつものように明るい表情の一葉がライラを見つめていた。そのいつもと変わらない笑みに唖然とする。
「じゃああれは――!!」
「確かにあれは伝説武器よ。けどそれ以上は駄目。これは他人が軽々しく話していいものじゃないの」
怒鳴りかけたライラの言葉を遮って一葉はさっきとは一変、真剣見を帯びた瞳で睨むように彼を見据えていた。
そんな彼女にそれ以上何も言えなくなったライラは唇を噛み締めて目を逸らしてしまう。
場に再び沈黙が流れる。だが先程よりも空気が重いと感じるのは気のせいではないだろう。それに耐えきれなくなったようにおずおずと手を上げる綾芽。
「じゃ、じゃあどうして悠希さんは起きないんでしょうか?和彦君や先生が言ったように、異常はどこにもないんでしょう?」
もっともな意見だ。この場にいる全員が同じことを思っているだろう。
あれから色々と調べてみたが、和彦の言ったとおり異常はどこにも見つからなかったらしい。それなのに未だに悠希は目覚めない。まるで意識を閉じ込められたようにずっと眠り続けているのだ。
だが、そこであることがよぎった。
「姉さん、もしかして“転生継承の儀式”なんじゃ……」
その疑問にニコラと一葉、それと桜以外が一斉に首を傾げる。この単語は一部の人間しか知られていないことなのだから無理も無いだろう。
「えっと――」
「それはありません」
苦笑いしながら答えようとする一葉を遮ってニコラが口を開いた。それにやや驚いたが、本人は相変わらずの無表情で続けた。
「悠希さんは“血液系”です。それに“転生継承の儀式”で長時間の眠りについた事例は今までにありません」
簡潔に言い切ったニコラに、概ね同意見といった様子で頷く一葉。そのやりとりを意味分からず聞いていたであろう他の三人の内、しびれを切らした和彦が口を開いた。
「えっと、その転生継承の儀式?それっていったい……」
おずおずと言った様子で聞いてくる彼の疑問を全員持っているのだろう。全員が聞く体勢に入っている。
一葉は「一応これも機密事項なんだけどね」と前置きしながら苦笑いしている。
「みんなは伝説武器ってどうやって所有者の下に行くか知ってる?」
「え?えっと、適合者が見つかり次第、国際委員会の使者から直々に譲渡される、ですよね?」
何を今更、といった風に答える和彦。
そう、伝説武器はその特殊性のため取引での受け渡しができない。だがそれでも手に入れようとするものもいるために世界各国の伝説武器は一度『国際委員会』に保管され、適合者が見つかれば渡すといったシステムがとられている。
それは常識となっていることであり、この場で知らない者はいないと言っていいだろう。
だが、それは大きな誤りなのだ。
「表向きはそうです。けど本当は違います」
それに答えたのは桜だった。含みのある言葉にライラ、綾芽、和彦が首を傾げる。
「結論から言うと国際委員会にはそんな仕事は無いわ。ううん、そもそもそのシステムすら存在しないのよ」
「「「えっ!?」」」
桜から引き継いだ一葉の言葉に全員の驚愕が重なる。まぁこの話をされて驚かない人の方がどうかしているだろう。
だが、そんなことなど無視して一葉は続ける。
「伝説武器は適合者しか使えないっていうのは知ってるわね?もっと言うと伝説武器は適合者が触れる、もしくは魔力を流し続けてないと具現化さえできない。つまり所持者のある程度近くに無いと具現化できないというわけ」
「え!?じ、じゃあ――」
恐らく続きは「どうやって保持者たちは伝説武器を手に入れたのか?」といったものだろう。だろうというのは一葉がその続きを遮ったからだ。
「保持者たちが伝説武器を手に入れられた理由は簡単よ。武器そのものが適合者の下に現れるから」
「へ?」
驚愕に絶句した和彦と綾芽。そんな中でも素っ頓狂な声をあげたライラに失笑してしまう紅葉。だが、それにも気にした様子を見せず、一葉が再び話を続ける。
「けど無償で現れるわけじゃないの。適合者は対価を払わなければならない。それも強制的に」
「い、一体何を……?」
もう聞きたくない、けど聞かなければならない。そんな複雑な表情を浮かべながら和彦は尋ねる。
だが、今度は少しの間を置いて明るかった表情を少し暗くさせてから口を開いた。それに全員が息を飲む。
「……大きく分けて3つ。一つ目は“細胞系”。これは身体の一部を代償にするパターン。二つ目は“痛覚系”。全身の痛覚が刺激されたような痛みを代償を払うパターン。そして最後が“血液系”。全身の血管から血液が噴き出されることを代償にするパターン。適合者は各個人の性質によってこの三つの内の一つに当てはまるの。で、それらが起こって武器が具現化するまでを“転生継承の儀式”というの」
全員が沈黙。何度聞いても背筋が凍える程の辛さ。それが伝説武器、最強の兵器の実態である。知らないライラたちは全員が顔を青くさせている。
「で、でもそれって――!!」
「ええ、死ぬ可能性もあるわね。特に“血液系”の場合は血液不足が確定のようなものだから一番危険が高いの」
それがここで寝ている少年の一つの顔。力を手にしようとして何度も死にかけた男。
そんな感慨にふけっていると、再び一葉が話し始める。
「けどね、それでもこの子が負った心の傷に比べれば些細なことなの」
そう言う一葉の顔にはどこか影があった。紅葉は悠希の過去については何も知らない。知っているのは一部の秘密だけなのだ。だがこの一葉だけは知っているのだ、悠希にかつて何があったのかを。
そう思うと心がチクリと痛んだ。そんな感傷を振り払い、一葉の言葉を一字一句聞き逃さないように耳を傾けた。
「それは私の口からでは言えない。それにこれを私が言うのもあれだけど……」
言葉を区切り、再びいつものような笑顔を向ける。
「……悠希のこと、これからも支えてあげてね」
そう言って頭を下げた一葉を見て。全員の気持ちを代表してライラが口を開いた。
「へっ、何を今更そんなこと言ってるんですか。そんなの言われなくてもわかってますよ」
照れくさそうなライラの言葉に全員が力強く頷く。紅葉は一つ、一葉に「心配いらないよ」とだけ声をかけ、それからこの暗い話は終わりとなった。
それから夜8時を回ってから明日の試合に備えて早く寝なさいと言う一葉の意向で全員寮へ戻ることとなった。
悠希のためにも絶対トーナメントを勝ち抜いて見せる。満点の星空を見ながら強く心に焼き付けた紅葉だった。