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本来の物語

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次回、最終話。0時更新です。

「魔王の種は、私の欲望を求めて現れました」

これは言うまでもなく懺悔だ。分不相応な望み。だからこそ私は欲し、希求し、種を育てた。種は際限のない私の欲を吸い、すくすくと育っている。今もまた、活き活きと鼓動しているのがわかる。

「……やっぱり」

主人は種のことを知っているのだ。当たり前のことを確認しながら、私は主人の香りを吸い込んだ。もしかするとこれが最後かもしれない。

「あのさ。お前の欲望って、何だったんだ?」

問いかけに固まる。言える筈がない。体が強張る。こんなに苛烈な欲望を向けられたと知った時、主人は今度こそ私を拒絶するかもしれない。

脳裏に扉が浮かぶ。

先ほどまで私を阻んでいた扉。その冷淡な質感が私を苛む。この型の腕の中から私を追い出し、断絶する扉。

それでも、主人の体温が、呼吸が、心音が求めている。私に問いの回答を促している。

求められているのだと思うと、恥知らずな私の口は勝手に息を吸う。

「貴方に……」

言葉と呼ぶには微かな音だった。だめだと私の中で何かが叫ぶ。吐いた言葉は戻らない。埋まった種も、芽吹いた芽も、育った欲も戻らない。

「愛されることを」

それでも言葉は転がり落ちた。私の理性を踏み越えて、私を魔王にするほど強い欲が望んでいる。今の私の肉体のように、ただこの方に抱かれることを。

「……え」

驚きの音が、主人の口からこぼれた。私の心臓が冷える。頭の奥が凍り付く。

わかっていた癖に。身の程知らずと知っていた癖に。どうして私はこんなに愚かで惨めなのだろう。

ふと、冷え切った私の心に言葉ではなく鼓動が響いた。凍り付いた私の心臓ではない。もっと温かい鼓動。しかしいつもより速度を増して、力強い音が私の受容器を震わせ包む。凍ったはずの心臓が、期待に震える。

「それだけ?」

身体が離される。温もりが去っていくのが切なくて、また欲が回る。しかし、それを塞ぐように主人の手のひらに頬が包まれる。再び主人の瞳に私が映る。その瞳には心配と、それから疑念。いつの間にか涙はおさまっていたけれど、意識が定まらない。

「お前が僕に愛されるなんて、当たり前のことで魔王の種が芽吹いたの?」

言葉の意味が分からずに、呆然とした。

主人は心底不思議そうな顔をしている。しかし私の顔を覗き込んだ彼は、しばらくそうしているうちになにか折り合いがつけたらしく、その目元に笑みが滲ませた。私はといえば、この人に覗き込まれている間、体の制御を失ってしまった。指先まで熱がまわり、じん、と痺れている。彼の言葉の意味さえまだ咀嚼できていないのに、ただ与えられる彼の温もりに酩酊してしまうのだ。勘違いをしてしまいそうだ。あまりにも都合の良い理解で、彼の言葉を解釈してしまいそうになっている。このまま暫く、まともな思考は出来そうにない。

そんな私の混乱をよそに、彼の手が私の頬を優しく擦り、額を撫でる。穏やかな手つきだった。

「魔王の種ってさ、人の欲望を糧に育つんだ」

知っている。どうにか理性で彼の言葉をくみ取ろうと、意識を集中させた。

「それで、世界に魔力を供給する。この世界にいきわたらせる。しかし、魔力は力で、魔力の薄まった世界では急激な魔力の供給によって凶暴さを増す」

主人の指が私の髪を梳く。思案気にその指に私の髪を絡ませながら言葉を続ける。

「対する勇者の種は信念を糧に育つ。信念は世界のバランスを強固にする。めぐる魔力に秩序をもたらす。それがこの世界に発生する均衡、らしい」

断定的な言葉を最後、あいまいに揺らして主人は笑った。いつもの彼らしい微笑みだ。何故か肩の力が抜けた。

「魔王の種にとって必要な土壌は、種自身が選ぶ。その世界で最も飢えたものが種に選ばれ、力を与えられる。魔力、筋力、回復力、全てが人を超える。それが魔王になるということだ。魔王は力を得ることで自らの望みを叶えようとする。叶えたところで満足は出来ない。もともと世界で一番欲深い人間だからね。欲望は際限なく増幅し、そして増長する。その欲望の果て無さがあるからこそ、世界に必要な魔力がいきわたるのだから当然だ。しかして魔王は悪となり、世界を危機に陥らせる」

彼の手が私の首をなぞり、肩の形を確かめた。

「故に世界の防衛機構として勇者の種が現れる。種は信念を糧に育つ。世界の破壊を止めるために、人は心に信念を抱くからね。互いにぶつかり合うことで、欲望も信念も強くなる。すると世界は拮抗し、最後に源泉は役目を終える」

なるほど、と腑に落ちた。確かに私の欲を吸った魔力は私の力となるだけではなく、どこかに流れている感覚があった。最近は豊作が続いているのも、森で魔物が飢えなくなったことも、最近は知性ある魔物が増えたことも、私の欲を源泉にした魔力の供給によるのだと考えれば自然だ。

「……本来の僕の人生はさ、酷いもんだったんだ」

そう切り出すと、主人は私から離れてソファに座った。

「僕が生まれたころの冷害で、領地は酷く痩せていた。精強な領民も満足に食事も得られないままなら魔物に太刀打ちできない。父上がどんなに強くとも、食わなきゃ人は生きられない」

知っていた。自分たちの幼いころ、この領地は飢え、人々は苦しんでいた。領主が畑を耕し、魔物を狩り、どうにか生き繋いでいた。その状況を少しずつ打開したのが私の主人だ。

「まず、伝染病。これで人がたくさん死んだ。母上も死ぬはずだった」

覚えがあった。私たちが四つになるかならないかのころだろう。領内の村で謎の病が流行り始めた。主人がネズミを殺し、井戸の水を一度煮沸するようにとエドガー様を通じて助言をされてから、感染は落ち着いた。勿論、大奥様は健在だ。

「母上を失った父上は嘆き、苦しみ、進んで戦場に身を置いた。そして、魔物に食われて死んだ」

主人が唇を舐めるのを見て、茶器を取り出す。主人の好む紅茶に魔蜂のはちみつをたっぷり入れてローテーブルに置いた。主人が小さくありがとうと言って茶器を口に運ぶ。

「父の死によって、エドガー兄上は突然に領主となった。まだ学園を卒業してさえいない少年だ。当然経験も知識も足りていない。そもそもあの人は臆病で、その上責任感の強い人だろ。剣の才能はヘンリー兄上に及ばない。魔力量は僕に及ばない。そして、父はあの通り人望のある偉大な人だ。兄上は疑心暗鬼になりながら、それでも孤立無援で必死に領地を支えようとした」

主人が紅茶を飲んでくださったことに安心して、今度はティースタンドを取り出す。そこに軽食と甘味を乗せると主人が苦笑した。

「魔物暴走、飢饉、疫病、次から次に不幸は領地を襲った。それに兄上は対応しきれなかった。当たり前だ。ヘンリー兄上があまり考えずに言葉を発するのも良くなかった。おかげで兄弟仲は最悪になる」

想像ができる。ヘンリー様は短絡的にものをとらえて、軽率に口にするところがあるのだ。

「領主一族の兄弟喧嘩ってのはさ、最終的に内乱になるんだ」

自嘲気味に笑って、主人はサンドイッチに手を付けた。

「これ、美味しいな」

「最近品種改良の成果が出たのです。味の濃い野菜が増えたので、シンプルなサンドイッチがお好みかと思いまして」

「うん。好きだ。ありがとう」

その言葉に私は満たされる。これだ、という感覚が私を巡る。

「それで内乱になって、ただでさえ摩耗した土地はさらに消費された。疲弊した領地と領民、そして兄上たちは何を考えたと思う?」

急に問われて、私は顎を撫でた。あまりにも仕方のないこと過ぎて、恨む相手など定められようはずもない。

「世界、でしょうか?」

「なるほど。合理的だ。しかし、実際は違う」

主人がティーカップをソーサーに置き、私を見据えて微笑んだ。

「僕だ」

私は硬直し、言葉の意味を咀嚼した。しかし、思考より早く主人が言葉を続ける。

「混沌の忌み子。不吉の象徴。リチャードこそ不幸の源泉だった」

私の中で魔力が巡る。唐突な怒りが頭を焼いて赤く染まるのが分かった。

「オスカー。これは私が魔王になる道の話だよ」

主人の声が私の内側の奔流を軽く受け止める。

「しかし、理不尽でしょう」

どうしょうもなく滲んだ不平を言葉に乗せれば、主人はなぜか嬉しそうに笑った。

「そう、理不尽だった。しかし彼らもまた、理不尽な目に遭ったんだ。理由が欲しくなったのは仕方がない。どうにか何か理由をこじつけなけりゃ耐えられなかったのさ。彼らにとってリチャード……僕はあまりにもお誂向きだったんだよ」

主人の手が再びサンドイッチに伸びたので、サンドイッチを補充する。起こらなかった過去の話であっても、怒りが体を満たしている。それを誤魔化すためには主人の身の回りのことをするのが一番だ。スープも出そうと空間魔法と転移魔法を同時に使用した。出来るだけ消費魔力の高い行動をするのが良い。でなければ魔力が暴走しそうなのだ。

「ていうか、さらっと何でもありだな、お前」

「意外と何も出来ないのですけどね」

「うそつけ」

嘘ではない。そうでなければ主人がこんなにやつれるような状況を放置するはずがない。主人が素直にポタージュに口を付ける。これなら本格的な食事を用意したほうがいいのかもしれない。

「そうして疎まれたリチャードだったが、彼は逃げ出した。死にたくなかったからな。逃げて、そして魔の森に入り、魔王の種に選ばれた」

主人を選んだ種のことを考えた。主人の欲で育つ種、主人の欲で芽吹き、主人の欲によって世界に満たされる魔力。それは随分贅沢な世界だ。今大気に満ちる魔力も、野菜に蓄積した魔力も、私に流れる魔力さえ源泉が主の欲ということだ。

「そしてリチャードが種に問われて望んだのは、悪意以外の全てだ。力、愛、権力、名声、そしてなにより命。彼は悪意以外の何一つ持っていなかった」

「……私は?」

ふと、問うてしまった。どんな状況になっても、たとえこれまでの主人の功績が何一つなかったとしても、私は主人のものだったはずだ。

「わからない。僕が見たのはリチャードの回想と独白だけだからね。死んでしまったのかも、殺されてしまったのかもしれない。そもそも居たのかだってわからないんだ。……でも、そうだな。お前を失っていたなら、僕は世界で1番飢えていたに違いない」

困ったような笑顔に時が止まった。耳が熱い。まるで熱烈な告白のようだと思うけれど、勘違いも甚だしい。魔王になる時空の主人は何も持っていないから、唯一の持ち物としてたとえを出したに違いない。

「そして、魔王になった僕は当然暴走した。魔の森は魔力に満ち、辺境の民は死に絶えた。エドガー兄上も、ヘンリー兄上も、皆、森に食われた。魔王軍を編成し、僕は大暴れだ。そんなことをしても愛されるわけもないけれど、畏怖はされる。しかし、生きることは許されない。恨まれる。畏れられる。当たり前だけど、それは僕を更に飢えさせたのだろうね。そうして、僕は最悪の魔王となり、勇者に討伐される。そういう物語だった」

言葉と共に、主人はティースタンドにのせられたキッシュを口に放り込んだ。私は握り込んだこぶしに力を込めることしかできない。

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