魔王の種
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「ほんとに?」
言いながら主人の腕の力が強くなる。身体が密着して、彼の匂いを吸い込んだ。いつもより薬草とインクの匂いが強いけれど、この世で最も愛しい香りだ。またざわつく魔力を何とか制御しながら、私もそっと腕を回す。細くなった身体が痛い。
それを生み出したのが私の失態だったことを思い出して、また怒りが頭の奥を焼いた。
「申し訳ありません」
「え?やっぱり抱きしめるじゃダメそう?魔力溢れちゃう?」
「いえ、そちらはもう問題ありません。……魔王の種の話です」
「本当に?よかった」
主人の腕の力が抜ける。ただ、私の腕が避けられることはなかった。
「そうだ、整理しよう。……この体勢で進めたほうがいいのか?」
「お願いします」
「なんか変な感じたけど、まあいいか」
主人の手がまた私の背中を軽く叩く。目頭の熱が引かないのは私がどこまでも愚かだからだ。
「まず、僕が知りたいのはオスカーの身体とか心が魔王になったことで傷ついたり無理をしていないかなんだけど……」
大丈夫?と問う声は優しい。いっそ断罪してくださればよいのに、と願う一方で私の欲望は正直で強欲だ。
「肉体は強化され、病にも強くなりました。腕の一本位ならすぐに治りますし、首を落としてもおそらく死なないのではないかと。……試したことはありませんが」
「おまえそれ、腕なら経験あるわけじゃないよな」
「……今試されますか?」
「腕が落ちるような状況になるなって意味なの、分かってるよな」
低くなった声と肩口に擦り付けられた頭の感触に心が震える。緩む口元を噛み殺して申し訳ありませんと口にする。
「でもどうせ領地のためなんだろ。ありがとな」
穏やかな声の甘さに目眩がした。こんな風に彼と話すのはどれくらいぶりだろう。
「当然のことをしたまでです」
「当然では、ないんだよ」
彼の手が、確認するように私の肩口に触れる。腕の存在を確認しているのだろう。私の腕の1本や2本、戻らなくとも大した価値はないが、今ならは本当に瞬き一つも満たぬ間に修復する程度のものだ。それでも、労られるのがうれしくてたまらない。
「なあ、オスカー」
主人の声が真剣味を帯びた。身体が硬直する。
「なんで、魔王の種がお前のもとに現れたかわかるか」
言葉に詰まる。
答えを知らないからではない。答えは分かっている。分からぬはずがない。
魔王の種はまず私に問うたのだ。
『お前の欲望は何だ』
それは主人が学園に行って少しして、初めての長期休暇を終えた後だった。主人が何かに危機感を抱いていたことを知った私は少しでも負担を減らそうと日々の仕事に没頭していた。普段より仕事を増やし、どうにか王都の情報を探れないかと奔走した。そんな中で一度、私は魔の森に入ったのだ。数日雨が続き、魔物の様子がおかしいという報告が入ったからだ。
本来は近辺の領兵や狩人、冒険者といった者が近辺の集落の代表者と連携を取って調査を行い、我々はその報告を元に差配をする。しかし、その日は丁度別の場所でも魔物の被害が報告されていた。だからそもそも調査その物に同行するほうが都合が良いと判断したのだ。幸い、森の民の血を引く私は魔法適性が高い。主人と共に育ったことで一通りの教育を受けていたし、かつヘンリー様と同様の鍛錬をした私は領内でも上位の戦闘力がある。
私は自ら志願して、調査に赴いた。主人の慌て方を思えば、領内で何か異変が起こるのは自然なことであると思っていた。
そして森に入ると私たちはすぐにその異変を理解した。凶暴化した魔獣が次から次に襲ってくる。一匹一匹は対応可能だが、彼らは何かに追い立てられるようにして執拗に我々を襲った。私たちは当然戦った。切り伏せ、貫き、魔法で刻み、そして焼いた。それでも魔物は次から次に湧いてきた。気づけば私は一人になっていた。凶暴化したワーウルフを切り伏せたところで、上空から高音の奇声が空気を刻み、そのまま突風が私を切り裂いた。ごとりと自分の腕が地面に落ちるのが見えた。
それはスローモーションのようで、同時に突然世界の位相がずれたような感覚に陥る。そして急に周囲の魔物の気配が掻き消えて、私だけがそこに残された。
音がしない。直前まで満ちていた殺気は一つも残っていない。それどころか蠢いていた生命の気配さえ、何もかも消えていた。跨っている馬の鼓動や息遣いさえ聞こえない。ただ私の鼓動と息遣い私という存在が発する音以外のすべての音が何かによってのみ込まれたのである。
私は状況を理解できないまま、落ちた腕を眺めていた。利き腕だった。主人のための書類仕事をするにも、共に戦うにも必要な腕である。私の治療魔法では治らないだろう。保存魔法で保管して帰還すれば、魔法で治せるだろうか。そんなことを考えていた。
『お前の欲望は何だ』
突然頭に響いたそれを音として認識するには少し時間がかかった。
「なんだ、これは」
『お前の望みは何だ』
言葉を変えて再び問われる。直感としてそれに答える他はないのだと理解した。
「この領地の安寧だ!」
声を張る。まるで冒険譚の騎士のようだと思った。何故か主人と呼んだ本のことを思い出していた。本の重みを思い出す。本どころか、それを持っていた腕がない。
『違う』
声は私の回答を否定した。
『お前の望むものを言え』
唇を舐める。何故か鼓動が早まるのを感じる。
「私の主人の安寧だ!」
『それはお前の欲ではない』
望みを言えと言ったのではないか、と頭の中で反論をする。言葉にできなかったのは、妙な危機感が胸を占め、言葉をせき止めたからだ。
『お前の欲を言え』
咽喉が詰まる。鼓動が五月蠅い。頭の中でぐるぐると何かが回っている。胸の奥で駆けずり回っている。やめろと私の何かが叫ぶ。恐らくこれは理性だ。
分かっているのに、鼓動が押し出す。身の内に溜めたものをどくどくと押し出して、押し流して、荒れ狂う。
『欲を言え』
声が理性の緒をを切り裂いた。
「あの方の、愛が……」
ここでまた、咽喉が詰まる。溢れたものが大きすぎる。頭の奥で何かが弾けて光っている。流れ込み、あふれ出る。燃え上がり、破裂する。
口が空を食んだ。それでもゆっくり、言葉がまるで質量を持ったようにずるりと喉奥から這いずり出る。
「リチャード様の愛が、欲しい」
生まれ出でた欲は、どうしようもない重みを伴って私の前に突き付けられた。
『権力でなく、名声でなく、富でなく、命でなく、力でなく、破壊でなく、愛を望むか』
声が問う。意味は解らなかった。目の前にある私の欲に私は立ち尽くしていた。
「他に価値のあるものなどありはしない」
唇が勝手にそう答えた。それはあまりにも簡単な事実だった。
他の何物にも価値はない。
『なるほど土壌にふさわしい』
声と共に何かが飛んでくる。
それは光だった。
これが種だと何故か理解する。逃げることはできなかった。ただそれは私に突き刺さり、埋まったのだ。
『お前の欲望が私を育てる』
声は続く。
『私は力。私は秩序。私は源。私はお前の欲に根差し、芽吹き、育つ』
私の中で、魔力が溢れるのを感じた。同時に何かが流れ込んでくる。歴史、知識、摂理、万物を凝縮した情報。そして、肩口に熱が集まっていく。
『それを使うのはお前だ。お前の欲望こそがお前を王とする』
言葉が情報に飽和した私の意識に刺さる。熱が蠢いて何かを象っている。
『お前はお前自身の欲の王だ』
私の欲は、ただ一つ。情報が飽和しても、歴史が過去の因果で私を焼こうとも、私の望みはやはり一つなのだ。
気付けば私は自らの手のひらを見つめていた。主と共に本を読んだ時、その本を持っていた手だ。
この手があれば、私はこれからも主に仕えることができる。体に溢れた力が巡る。知識が状況を整理する。道筋を照らす。それはきっと主人の役に立つための力なのだと、その時私は理解した。
ただそれは、酷く傲慢な喜びだった。




