焦燥と臨界
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あの方の様子が変わったのは、王都の学園に通い始めてからである。貴族の子弟が一定年齢になったら通うように義務付けられる学園は、将来の社交のために必要なパイプ作りがメインだ。そのため、金を持った商家の子供、特異な魔力や能力を持った平民が通うこともある。有望な若者を国に取り込むための場が、学園なのだ。
たしかに主人は初めから学園行きをひどく憂鬱に思っていらした。
この地から王都までは非常に遠い。馬車であれば一カ月、転移魔法陣を経由して一週間はかかるので、寮暮らしとなる。ついていけるのは側仕えが2人。選考にはいずれも主人の家名に相応しい家柄が重視された。厩番の息子で乳兄弟であるだけの自分は当然ついていけない。
「ああ嫌だ。オスカー、お前もそう思うだろ?何が面白くて大した専門性もない授業を能力の違う集団でまとめて受けなきゃいけないんだ。社交が必要なら社交が必要なやつや得意なやつだけを集めればいいのに」
そうこぼして主人は何度もため息をついた。私は内心で主人の言葉に同意しながらも、否定の言葉を伝えた。私の立場ではそれしか赦されないからだ。
「ほんの4年の間でしょう。エドガー様を補佐されるのですから、他家の様子ややり方を学んでこられることも肝要ですよ」
「思っていもいないくせによく言うよ。僕は外交なんか向いてないし、腹の探りあいだって嫌いなんだ。そう言うのは好きなやつに任せれば良い。得意なやつがうちにはちゃんといて、そいつは僕の身代わりだってできるんだから」
なあ、と向けられた視線に首を振る。そいつは身代わり程度にはなれるだろうが、主人の代替になれるはずもない。主人にはこういう自己評価の甘さがある。どちらかといえば、他者への過剰な評価なのかもしれない。しかしそれは彼の美徳であるし、我々が仕える喜びにも繋がるのでそれを否定するものはほとんどいない。私もそうだ。彼に認められること、必要とされることは至上の喜びである。
「貴方自身が学ばなければ意味がありませんよ」
「僕自身が学ぶことに意味がないって話じゃないか」
「ならばいっそ出奔されますか?貴族位がなくなれば、学園に通う必要はありません」
「いいね、旅にでも出ようか」
主人の瞳が輝く。なぜか本当に嬉しそうにいうので私は怖くなる。何もかも放り捨てて出ていってもこの方は生きていけるだろう。
その時、私は連れて行ってもらえるのだろうか。
「リチャード様」
「お前が言い出したんじゃないか」
悲壮感を滲ませてしまった私に、主人は拗ねたみたいに唇を尖らせた。
「あなたが出奔されたらどれだけの事業が止まるのか、わかっているでしょう」
「だからこそ学園なんかに行ってる暇はないって話だよ。オスカー」
「それは私共臣下を信用できないと言う話ですか?」
「……ずるいよ、それは」
「では、ご辛抱なさってください」
こんな会話を何度か繰り返し、主人は学園に入学した。私は致し方ないと主人を見送り、領地に残された主人の研究の定常管理に奔走すること季節2つ分。
出来ることもやり甲斐もたくさんあるが、最も欲しい主人の存在がない。これがあと7回続くと思うと憂鬱だなんて考えながら過ごし、ようやく長期休暇で戻られた主人を勇んで迎えたのである。
そして、出迎えた彼はひどく憔悴していた。
「まずい!まずいまずいまずいまずい!!なんで僕はこんな決定的なことを思い出せずに今日までのほほんと生きてきたんだ!!」
私を追い出した部屋の中で主人が呟く。私がひどく耳が良いのを忘れてしまったらしい。追い出したところで意味はないのに、まだ落ち着かないのかブツブツと呟いている。
「このままじゃ破滅だ。僕も、家族も……この国も!」
とまあ、のっぴきならない様子だった。果たして何がどうなるとこの方々が破滅するなんでことになるか、私にはさっぱりわからない。しかし、主人が言うならばそうなのだろう。
とはいえ、私はほとんど心配をしなかった。13年前の疫病の時も、8年前の魔物暴走の時も、4年前の冷害の時も、通常であればこの領地はその人口を半分以下にしてもおかしくなかったところを私の主人はどうにかしてみせたのである。主人はそういう方なのだ。
どんなに焦っても突破口を見つけて我々を導いて下さる。今は苦悩しても、どうにかするために我々を頼って下さる。
今回もきっと主人は足掻くはずだ。ならば私のすべきことは主人の補佐である。主人が足掻けるように、明晰な頭脳の邪魔をしないように、自らの役割をこなすことが私の存在理由だ。
できる事ならば学園でもそのようにさせてさしあげたかったのだが、学園には手が届かない。
せめて、と情報収集に努めたが、問題は何一つ見つからなかった。懸念となり得る第一王子やその側近と関わることもなく、至って平和な日常を過ごしている。というか、主人は同輩とも教諭とも最低限以上の付き合いを全て拒んでいて、授業以外では言葉を発することさえないようだ。まず私にはこれが不思議だった。
主人が人と話せないとされたのは、この辺りからである。
本来の主人の功績を鑑みれば、王都で数多の社交に呼ばれ、その見識や智性を求められてしかるべきなのだが、彼のもたらした数々の革新的施策はすべてエドガー様の功績だと思われている。結果として主人はまず、誰からも関心を向けられてはいなかった。正当ではない評価は気に入らないが、主人が心を煩わせるような交流を避けられていることは好ましい。
その後も調査を続けたが、主人の心を煩わせる原因は彼の学生生活をいくら掘り起こそうとも影さえ見つからなかった。
そうして、誰からも関わられることも、関わることもなく、主人は4年間の学園生活を終えて領地に帰還された。
しかし、主人は元に戻らない。
始めの半年はまだ良かった。仕事に没頭する様子から無理をされているのが分かったが、それでも軽口はあったし、家族との交流もされていた。しかし、次第に屋敷の中でさえ部屋に引きこもりがちになった。執務室では共に居る事が出来るが、私室に戻られたときは私を壁の向こうに入れてくださらない。
つぶやきは減り、かりかりと紙を引っ掻くペン先の音ばかりが部屋の中に響いている。顔を見るのは食事の時と習慣の鍛錬の時、それから執務室で執務をされる時間くらいだ。最近は仕事を私室に持ち込むことも増えた。ワイルドキラーベリーを使ったパイのお茶会は開催されなかった。
目の下の隈が目立ち、明らかに体の肉が落ちている。
それでも主人は私たちにも、兄君たちにも何も説明をしては下さらなかった。仕事はつつがなく進んでいる。領地も平和そのものだ。ただ、エドガー様と顔を合わせる回数も極端に減っている。
「お前も何かしらないのか?」
「何も話してはくださいません。政務はお忙しいのでしょうか」
「むしろ今年は豊作だ。それにここ数年お前が育ててくれた人材のおかげで人手不足も解消気味だよ。アイツが自分で勝手に仕事を増やしてこなしているのを止めたいくらいなのだが、最近は顔も見ていない」
無駄な仕事や余計な仕事ではないから性質が悪いんだけどね、と苦笑するエドガー様に私も頷く。
主人は何に悩んでいて、なぜ人を遠ざけるのか。何に備え、何と戦っているのか。考えても、調べても、答えは見つからなかった。直接問うても、主人は目さえ合わせずに大丈夫とすり抜けていく。
わかっている。主人はそういう方なのだ。
しかし、私のなかで焦燥が蓄積していく。ちりちりと焦げていく。
どんどん会話の機会が減った。日常会話はないに等しい。眠れていないのだろうことは分かった。
いくら嗅ぎ回っても、理由は一つも見つからなかった。主人が対応している政務はどれも彼を追い詰めるようなものではなかった。
私の主人は全てをうまくやっていた。
領地は豊作、薬事研究は成果を出し、領政も安定しつつある。魔物による被害も以前に比べて殆どなくなったと言って良い。
ただ、主人だけが追い詰められていく。
正直、私は限界が近かった。気が狂いそうだ。
私は今、主人の役に立っていない。
主人の私室の扉の前で今日も開かぬ扉を見つめていた。目を閉じても扉の模様や傷まで克明に焼き付いている。扉は開かない。ひたすらにペンが紙を引っ掻く音が聞こえる。主人は起きている。起きて何かを考えている。何を書いているかは分からない。主人は自身にしか分からない暗号を多用するし、それらの書類は全て扉が開く前に焼いてしまうからだ。彼には思考の整理を書き出して行う癖があって、悩めば悩むほど書き物が増える。きっと今もそこら中が紙まみれだ。あの紙は主人の悩みを書き付けられ、その身に刻まれ、そして主人の炎で焼かれる。
羨ましい。
私は見えない。聞こえない。分からない。主人が何を書いているかも、何を考えているかも分からない。
ため息を吐いた。ハラの中に溜まったどうしょうもない苛立ちと欲求を誤魔化すためだ。すでに臨界まで溜まった不安が私を苛んでいる。自分自身の無力があまりにも腹立たしい。主人に必要とされない自分が何よりも憎い。どんな努力も、これでは価値がない。そもそもこんな私に価値がない。
「畜生、死にたくない」




