幼なじみな婚約者がイチャついてくれない
お昼時、王立学園の大広間は賑わっている。貴族たちの談笑がホールに響く中、私は一人、窓際のカウンター席で昼食をとっていた。
ふと、隣で椅子を引く音がした。顔を上げると、色白で端正な顔立ちの青年が立っていた。
艶のある黒髪が頬の中ほどまで伸び、睫毛の長い中性的な顔を縁取っている。胸元の開いたシャツからは、月光さながらに幽玄な青白い輝きを放つ、巨大な宝石をあしらったネックレスが覗いていた。その名をルナ・アダマス、アダマス伯爵家の嫡男である。
「もしかして、愛しのクレアを探してくれたんですか? 嬉しいです」
私が顔を輝かせると、ルナはこれ見よがしに野菜のグラタンを置いた。私がいるカウンター席の近くで提供されている品だ。
「勘違いするな。たまたまだ。ビュッフェ台から近かったからな」
うそだ。たまたまなわけない。私の記憶が正しければ、ルナは野菜が苦手だったはずだ。無理やり私のところに来る口実を作ったのだ、この男は。「君と一緒に食べたくてね」の一言が口にできない、それがこの堅物伯爵様なのだ。
「私にくらい素直になってください。覚えてますよ、野菜苦手だったの」
「昔のことだ。もう克服した」
「幼馴染ですし、恥ずかしがらなくていいじゃないですか」
そう、私とルナは幼馴染だ。ベルモット子爵家とアダマス伯爵家、隣接する領地で育った私たちは、両家の親交もあって当時はよく遊んでいた。
しかし、平穏な日々は長く続かなかった。王位継承を巡る政争で両家が対立し、おのずと私たちの交流も断たれたのだ。以来五年ぶりに、この王立学園で再会を果たしたのである。
「かっ、勘違いするな。もう食べれると言っただろうが」
相変わらずの反応に、私は思わず笑みを浮かべた。たとえ食の幅が広がろうと、元来の性格は変わらない。
ルナは昔から大の意地っ張りだ。ちょっとまごつくのがかわいらしい。意地っ張りに限って意地を張るのが苦手だったりするものだ。私は、そんな不器用なルナが好きだった。
やがて昼食を終え、ルナと別れた。午後の授業を受けたのち、寮に戻ろうとすると、校舎の玄関前にルナが佇んでいた。
「もしかして、愛しのクレアを待っていてくれたのですか? 嬉しいです」
「勘違いするな。たまたまだ。時間割の都合がよかったからな」
これまたうそだ。たまたまじゃない。ルナの友人曰く、彼は無理やり時間割を調節したらしい。本人は単位がぎりぎりなのに。ただ、それを私には伝えないのがこの男だ。「君と一緒に帰りたくてね」の一言が口にできない、それがこの堅物伯爵様なのだ。
「まあまあ、そう言わずに。せっかくですから、寮まで手を繋いで帰りません?」
「あいにく両手が荷物で塞がっているのでな。残念だが」
「婚約者ですし、恥ずかしがらなくていいじゃないですか」
そう、私とルナは婚約している。かつての政争から五年が経ち、情勢が変わった頃、今度は領地の資源問題が深刻化したため、両家は政略結婚を選択した。一時期の離別を経て再会した幼馴染は、いつの間にか婚約者になっていたのだ。採掘権がどうだの狩猟権がどうだの、大人たちの算段に翻弄されて。
「.....っ! 勘違いするな。手が塞がってると言っただろうが」
その荷物、そこまで多くないですけど。余裕で片手で持てるのでは? 何なら私が持ちましょうか?
出かかった文句を慌てて飲み込む。ルナは筋金入りの意地っ張りだ。これ以上口を出しても無駄だろう。何より、私はそんなルナが好きだった。
よくある婚約者の関係ではないけれど、これはこれでありだ。私は心底そう思っていた。現に私はルナが好きだし、何だかんだいつも隣にいてくれる彼が、彼なりに私を想ってくれているのもわかるから。
だがしかし! 私にだって望みはある。無論、できることならイチャつきたいのだ。なにせ婚約者だ。いくら幼馴染だろうが、いくら政略結婚だろうが、婚約者は婚約者なのだ。
前に一度だけ、思い切って腕を組んでみた。結果は惨敗。あっけなく突っぱねられてしまった。あの時ばかりはさすがに堪えた。もちろんルナへの気持ちは変わらないし、彼も私を嫌っているわけではないと理解している。そうはいっても、イチャつきたいのが女心なんですけど。
ふと、私は通りすがりにある立て看板を認めた。でかでかとした羊皮紙に、卒業パーティの告知がされている。
卒業パーティかあ。私はちらとルナの横顔を窺った。左手には、期待できそうにない。
王立学園の卒業パーティには、古くからの慣習がある。よくあるやつだ。恋仲にある二人は左手を重ね、そうでない場合は右手を重ねて踊り始める。義理か本命か、みたいなものだ。くだらないと言えばくだらないのだが、この手の習わしにはしゃぎたくなるのが年頃の乙女というもの。案の定、近頃の女子寮はこの話題でもちきりだった。
十中八九、ルナは右手を差し出すだろう。この人、生粋の意地っ張りだから。
私は再びルナを盗み見た。容姿がよく気遣いもできて生まれも申し分ない。つくづく私は婚約者に恵まれたと思う。ただ一つ、愚痴を言わせていただくなら、この幼馴染な婚約者はイチャついてくれない。
◇◇◇◇◇◇
「それで、相談ってのは?」
「これはあくまで知り合いの話なんだが、幼馴染だからこそ難しいんだと」
ルナは丁重に前置きして語りだした。
「要するに、何が?」
シノブは妙ににやけている。伯爵令息である彼は、ルナが学園で最も頼りにする友人だった。生来人懐っこい性格で、堅物なルナとは対照的だ。それでも不思議と馬が合う。
「何がって、好意を伝えるのが」
「それまた、何で?」
「だって恥ずかしいだろ! 幼馴染だぞ! 兄弟みたいなもんだ! クレアは俺の......あ」
一瞬で耳が熱くなるのを感じる。愉悦に浸りきった様子でほくそ笑む友人が憎たらしい。
「おい、ルナ。友達だろう? 隠し事なんてよそよそしいな」
そう言って、シノブは気安く肩を組んでくる。ルナはもごもごと口を動かしたが、こうなっては仕方ない。すべてを白状することにした。
「なるほどね。卒業パーティでプロポーズしたい。だからその相談を......ん? プロポーズってなんだ? 二人は婚約してるだろ?」
「そうだ。だが、政略結婚だ」
「何が問題なのさ。貴族なら珍しくないだろ」
「親の意志だ! そんなのがまかり通ってたまるか! 俺は一人の女性としてクレアと向き合いたいんだよ。親の狙いは勝手だが、俺は俺で筋を通したい!」
ルナがまくし立てると、シノブの目が真ん丸になった。
「お前、あれだな。貴族というより侍だな」
「さ、さむらい?」
「気にするな。遠い昔、俺の故郷の話だ」
シノブは曰くありげに微笑んだ。
「なるほどね。たしかにお前はそういう奴だ。そして、それがお前のいいところだ。しょうがない、協力しよう」
「助かるよ」
ルナが安堵の息をもらすと、シノブはさっそく本題に入った。
「ちなみに理想のプロポーズは? あるの?」
「もちろんだ。俺に抜かりはない」
「聞かせなよ。手始めに僕が審査してやる」
ルナはわざとらしく咳払いし、深く息を吐いた。
「.......き、き、キミノコトガセカイジュウノダレヨリモスキダ」
「慣れてなさすぎるだろ」
世界に打ちひしがれたような表情のシノブは、「抑揚バグりすぎて宇宙人かと思った」なんて抜かしやがった。心外だ。これでも毎晩ひそかに練習してるのに。
「第一、なんだその台詞は。少女漫画か」
「しょ、しょうじょ......?」
「気にするな。故郷の義務教育だ。大昔の姉ちゃんに教わった。にしても、恥ずかしがり屋に限って恥ずかしい妄想をするものなんだな」
不意にシノブは顔つきを改め、ルナの目を真っすぐに見据えた。
「いいか、よく聞け。親友からのアドバイスだ。まず、お前にそれは無理だ。絶対聞き取ってもらえない。もっとらしいのを考えろ。幼馴染なんだろ? だったら二人だけの世界があるはずだ。二人だけの口説き文句がね。それこそがロマンティックってやつだ」
......ろ、ロマンティック! ルナはごくりと唾を呑んだ。なんて素晴らしい響きだろうか。
「大丈夫、あの子ならわかってくれるさ。お前のありのままを受け止めてくれる。それじゃ、幸運を祈るよ」
◇◇◇◇◇◇
来たる卒業パーティ当日。華やかな宴もたけなわとなり、いよいよワルツのメロディーが会場に響き始めた。
その直後、会場の中央で歓声が上がった。振り返ると、一組の男女が左手を重ね合わせている。
私もつい見とれてしまったが、はっと我に返った。急いで隣のルナに視線を戻すと、彼は私以上に呆然としていた。白磁さながらの耳がほんのり桜色に染まっている。
「先に言っておくが、俺は今日......」
「わかってますよ。さあ、私たちも踊りましょう?」
私はすっと右手を差し出す。よそはよそ、うちはうち。幸せの形は人それぞれだ。これが私たちなりの形なのだ。
「......だから、勘違いするなって言ってるだろ?」
突然、ルナは私の左手を掴んだ。そのまま有無を言わせず、強引に彼の左手を重ねてくる。あろうことか片膝までついていた。あまりに予想外の出来事に、私の心臓は跳ね上がった。
「へ?」
ルナの耳は今や真っ赤だ。私の頬はそれ以上に火照っているだろうけど。
「クレア、俺......」
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってください」
私はしどろもどろに遮った。女の勘だ。何が起きたのかぐらいはわかる。でも、どうして? あのルナ様が? あの堅物伯爵のルナが? まるで人格が入れ替わったかのようだ。私は思わず口を開いた。
「なぜ今になって? いつの日か腕組みを拒否したのに?」
「すまない。君の気持ちも知らずに、勝手に婚約者らしく振る舞うのが嫌だったんだ。この婚約が政略的なものだからこそ、大切な幼馴染に無理強いしたくなかった。それで君の想いを確かめるまでは、そういった行為は控えると決めたんだ。本当にすまなかった」
......え? か、堅くない? お堅いが過ぎない? 男の人ってこうなのかしら? だから殿方は紳士って呼ばれるの? 頭の中で花火のように疑問がはじけた。
「そうは言っても、いつも私の隣にいてくれたじゃないですか」
「仮にも君は婚約者だろう。万一のことがあったら心配だ」
だから日頃から一緒にいてくれたの? それはもう立派な愛なのでは? ってか、それなら手ぐらい繋いでよ。そう思って、私は自然と笑ってしまった。
そういう人なのだ、この人は。堅物で意地っ張りで不器用で、そのくせ誰よりも私を想ってくれているのだ。
私は今すぐにでもキスしたいけれど、もう少しだけ我慢せねばなるまい。せっかくのルナの晴れ舞台なのだから。
「俺はクレアが好きだ。一目見た時から君に惹かれていた。この想いは俺だけのもので、他の事情は一切ないから。だから、オレトケッ......俺と結婚してくれ」
「もちろん」
私はルナの胸に飛び込んだ。彼は優しく抱きしめてくれた。紛れもなく、私たちは幸せだった。
クレア「噛んだよね?」
ルナ 「勘違いするな」
作者 「ラブコメにありがちな謎にいいこと言うモブ好き」
お読みいただきありがとうございました。よろしければご評価いただけますと嬉しいです。励みになります。