表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

5/6

空の四重奏

ネオンの奈落、タルタロスを後にしてから、数週間が経過した。ステラ・マリス号の船内には、以前とは明らかに違う空気が流れていた。それは、アキトという、常に気を張り、心を閉ざしていた一匹の狼が、少しずつ、不器用ながらも、群れに馴染み始めた証だった。 きっかけは、些細なことだった。


「よーし!今日の夕飯は、アタシが腕によりをかけて、特製シチューを作ってやるよ!」


マキナが、どこからか見つけてきた、使い古された鍋を振り回しながら、高らかに宣言した。その瞬間、船内に、凍りつくような沈黙が走った。 リオは、顔を引きつらせた。ノアは、無表情のまま、わずかに後ずさった。そして、アキトは、まるで宿敵を前にしたかのように、マキナを睨みつけた。


「……てめえ、正気か?俺たちは、まだ死にたくねえ」


「なっ!何だよ、その言い方!アタシだって、料理くらいできるっつーの!」


「ほう。先週、お前が『栄養満点スクランブルエッグ』と称して作った、あの紫色のゴム状の物体を、もう忘れたのか?」


「あれは、卵がちょっと古かっただけ!今日の食材は、新鮮なんだから!」


マキナが、自信満々に、布袋から取り出したのは、道中の浮島で採取した、奇妙なキノコや、淡い光を放つ苔、そして、うねうねと動く、謎の植物の根だった。


「……ノア」


リオが、小声で尋ねる。


「あの食材の、安全性を……」


「解析不能な有機物が多数。ただし、あの発光性の苔には、軽度の神経毒が含まれている可能性が37パーセント。蠕動している根は、食した場合、消化器官内で増殖する危険性が……」


「ストップ!」


リオは、ノアの冷静な分析を、慌てて遮った。 アキトは、深く、深いため息をつくと、自分のレーションバーを取り出した。


「俺は、これを食う。お前らの、命知らずの晩餐会には、付き合ってられねえ」


「あーっ!アキトの裏切り者!アタシの愛情たっぷりシチューを、食べないってのか!」


「てめえの愛情は、致死量なんだよ」


二人の、子供のような、しかし、どこか楽しげな口喧嘩が始まった。リオは、その光景を、困ったように、しかし、微笑みながら見ていた。以前のアキトなら、こんな軽口を叩くことなど、決してなかっただろう。タルタロスで、彼の瞳に宿っていたのは、消えない憎悪と、深い絶望だけだった。だが、今は違う。彼の瞳の奥には、仲間とじゃれ合う、ささやかな温かさが灯っていた。結局、マキナのシチュー作りは、リオとノアも巻き込んでの、大騒動となった。マキナが鍋に謎の根を投入すると、シチューは不気味な緑色に変わり、ぶくぶくと泡を立て始めた。


「わ、わ!なんか、生きてるみたいだ!」


「これは、特定のアミノ酸と、苔の神経毒が、予期せぬ化学反応を……!」


リオが、慌てて中和剤になりそうなスパイスを探し、鍋に投入する。すると、緑色だったシチューは、今度は、鮮やかなショッキングピンクに変色し、甘い綿菓子のような匂いを放ち始めた。


「……なんか、美味そうになった、かも?」


マキナが、恐る恐るスプーンで一口味見をしようとした、その瞬間。 鍋が、内側からの圧力に耐えきれず、大きな音を立てて、破裂した。 ピンク色の、ネバネバとした液体が、船中に飛び散る。 四人は、頭から、ピンク色の粘液をかぶり、呆然と、立ち尽くしていた。


「…………」


最初に、噴き出したのは、マキナだった。


「あはは!あはははははは!何これ、ベトベトする!」


その笑い声につられるように、リオも、アキトも、笑い出した。ノアでさえも、その口元に、微かな笑みを浮かべていた。 結局、その日の夕食は、アキトの提案で、四人で一つのレーションバーを、分け合って食べた。それは、あの、小惑星の影で交わした、誓いの儀式の、再現のようだった。 彼らの絆は、熾烈な戦いの中だけでなく、こんな、くだらない日常の中で、より深く、より確かなものへと、育まれていたのだ。


笑い声が落ち着いた後、船内には、穏やかな、しかし、どこか張り詰めた空気が戻った。ノアが、ホログラムの星図を、船室の中央に映し出した。そこには、アルケイディアの支配宙域が、赤い警告色で、塗りつぶされていた。


「……見ての通り、アルケイディアは、我々の予想を上回る速さで、全ての主要航路を封鎖しています」


ノアが、淡々と説明する。


「ステラ・マリス号の識別コードは、全てのステーションで、ブラックリストの最上位に登録されています。正規の港に立ち寄れば、即座に通報され、包囲されるでしょう」


「つまり、俺たちは、完全に袋のネズミってことか」


アキトが、吐き捨てるように言った。


「……道は、一つだけ残されています」


ノアが、星図の一角を、拡大した。そこは、常に、巨大な嵐が渦巻く、漆黒の宙域だった。


「テンペスト・ボーダー。アルケイディアの誇る、最新の監視システムでさえも、その内部を正確に把握することはできません。あまりに危険すぎるため、彼らも、大艦隊を送り込むことはできないのです」


「でも、それは、あたしたちにとっても、同じことだろ?」


マキナが、腕を組む。


「はい。ですが、我々には、マキナの操縦技術と、アキトの警戒能力、そして、リオの力があります。そして何より、我々の船は、小さい。巨大な艦隊では通れない、岩礁の隙間を、縫って進むことができるはずです。危険な賭けですが、アヴァロンへたどり着くための、唯一の道です」


それは、選択ではなかった。彼らに残された、唯一の、希望へと続く道だったのだ。


「……だが、そのテンペスト・ボーダーには、アルケイディアの正規軍より、厄介なのがいるかもしれねえ」


アキトが、低い声で言った。


「厄介なの?」


「……『クリムゾン・リーパー』、イェーガーって男を知ってるか?」


マキナは、首を横に振った。リオも、聞いたことがない名前だった。


「タルタロスの裏社会じゃ、伝説の殺し屋だ。奴に狙われたら、最後。ターゲットだけじゃなく、その周囲の全てを巻き込んで、派手なショーに仕立て上げる、最悪のピエロだ」


アキトは、かつて、スラムで聞いた噂話を、語り始めた。


「……数年前、セレニアの空中カジノ『ラビリンス』で、巨大犯罪組織のボスが、立てこもったことがあった。アルケイディアの治安部隊でさえも、手出しができないほどの、鉄壁の要塞だった。そこに、たった一機で乗り込んだのが、イェーガーだ」


アキトの言葉に、皆、息を呑んだ。


「奴は、正面から攻めるんじゃなく、まず、カジノの全てのホログラムと音響システムを、ハッキングした。そして、壮大なオペラを、カジノ中に響かせながら、こう、宣言したそうだ。『これより、諸君らを、我が悲劇の舞台の、登場人物として招待しよう!』ってな」


「奴は、オペラの曲調に合わせて、一人、また一人と、ボスにたどり着くまでの、全ての護衛を、始末していった。ある者は、ワルツを踊るように、優雅に。ある者は、アリアが最高潮に達する瞬間に、劇的に。まるで、全てが、計算され尽くした、ショーのように」


「そして、最後の幕。奴は、たった一人になったボスの前に、血のように赤い機体で、静かに降り立つと、こう言ったそうだ。『素晴らしい舞台だった。君に、主役の栄誉を与えよう。さあ、喝采の時だ』……と」


その話は、あまりに、現実離れしていた。


「……ただの、ショー好きの、イカれた野郎じゃねえか」


マキナは、そう言って、笑い飛ばそうとした。


「……ああ。だが、そのイカれた野郎は、これまで、一度も、獲物を逃したことがない。そして、最近、アルケイディアが、破格の報酬で、奴を雇ったっていう噂だ」


アキトは、そう言って、リオを見た。その視線が、何を意味しているのか、誰にも、分かっていた。


そして、ついに、彼らは大気の荒れ狂う未知の宙域『テンペスト・ボーダー』へと、足を踏み入れた。そこは、絶えず稲妻が走り、巨大な浮遊岩礁が、さながら古代の巨人たちのように、ゆっくりと、しかし予測不可能な動きで漂う、まさに船乗りの墓場だった。 四人の完璧な連携をもってしても、この宙域の航行は、困難を極めた。 そして、最悪の事態が起こる。 突如として、彼らは巨大な電磁嵐の中心に捉えられたのだ。それは、ただの雷ではなかった。空間そのものを歪ませ、あらゆる電子機器を沈黙させる、死の嵐だった。 ステラ・マリス号のエンジンが、悲鳴のような音を立てて停止する。計器盤の光が消え、船内は、予備電源さえ落ちた、完全な闇と沈黙に包まれた。ただ、窓の外で、紫色の稲妻が、無音で狂ったように明滅しているだけだった。


「ダメだ!全システム、シャットダウン!」


マキナの悲痛な声が響く。


「このままじゃ、あの岩に叩きつけられる!」


アキトが指さす先、巨大な浮遊岩礁が、ゆっくりと、しかし確実に、こちらに迫ってきていた。絶望的な状況。だが、ノアは冷静だった。


「……この嵐のエネルギーは、通常のエーテルとは周期が異なります。既存のシステムでは、エネルギーとして認識できません。ですが……」


彼女は、リオを見た。


「リオ。あなたの『クリエイト』なら、この無秩序なエネルギーを、『翻訳』し、船の力に変えることができるかもしれません」


「僕が……?」


「はい。この嵐の声を聞き、それを、ステラ・マリス号が理解できる言葉へと、あなたが作り変えるのです」


それは、狂気の沙汰としか思えない提案だった。だが、リオは、仲間たちの顔を見た。マキナも、アキトも、絶望的な状況にもかかわらず、彼のことを、真っ直ぐに、信じて見ていた。 リオは、頷いた。 彼は、船倉のジャンクパーツの山に向かうと、その中心で、目を閉じた。 嵐の、怒りのような声が聞こえる。だが、その奥に、どこか、寂しそうな響きがあった。 リオは、その声に、自分の魂を同調させていく。そして、ジャンクパーツたちに、語りかけた。


『君たちの力が必要だ。この嵐と、船とを、繋ぐ、架け橋になってくれ』


彼の意志に応え、ガラクタたちが、蒼い光を放ちながら、宙に浮き上がる。そして、彼の脳裏に浮かんだ設計図通りに、空中で結合し、一つの、有機的な形状を持つ、奇妙な装置を形成していった。 それは、嵐のエネルギーを「消化」し、船の力へと「変換」する、即席の変換器だった。装置が完成し、船のメインジェネレーターに接続される。 すると、装置は、脈打つ心臓のように、蒼い光を放ち始めた。船外の、紫色の稲妻が、その装置に吸い込まれ、ステラ・マリス号の船体に、再び、命の光が灯った。 「エンジン、再起動!」 マキナが叫び、操縦桿を握る。船は、巨大な浮遊岩礁に激突する寸前で、再び、宙へと舞い上がった。


そして、彼らが嵐を抜け出した瞬間、息を呑むような光景が、目の前に広がった。 嵐が過ぎ去った後の空は、嘘のように晴れ渡り、そこには、巨大な、光のカーテンが揺らめいていた。緑、青、紫、黄金。純粋なエーテルの粒子が、天の川のように、空を彩っている。それは、このテンペスト・ボーダーでしか見られないという、奇跡の現象、『天空のオーロラ』だった。


「……きれい……」


マキナが、うっとりと呟く。 死の嵐を乗り越えた先で待っていた、神々しいほどの、美しい光景。それは、彼らの絆が勝ち取った、束の間の褒美だった。


だが、その静寂は、下品な笑い声によって、唐突に破られた。 彼らの眼前に、いつの間にか、血のように赤い、一隻の戦闘機が、姿を現していた。


『――やあやあ、噂のネズミさん御一行!いやあ、素晴らしいショーだったぜ!嵐を乗り越え、光を見る!感動的だ!実に、エモーショナルだ!ブラボー!』


通信機から、やけに陽気で、芝居がかった声が響き渡る。


『俺はイェーガー。人呼んで、『クリムゾン・リーパー(紅の死神)』!だが、殺しは、芸術だ!美しくなければ、意味がない!アウグストゥス司令からの依頼でね、君たちという最高に輝く命を、最高の舞台で、華麗に散らせてやろうと思ってね!』


その声には、狂気と同時に、歪んだ美学が感じられた。イェーガーは、ただの殺し屋ではなかった。彼は、戦いを、自らが主演・監督を務める、壮大な演劇だと考えている、危険なナルシストだった。


『さあ、始めようか!我が代表作、『蒼穹に散る四つの魂』の、開演だ!第一幕、第一場!主題は『絶望への序曲』!』


甲高い笑い声と共に、クリムゾン・リーパーの機体が、バレエを踊るかのように、優雅に、しかし、信じられない速度で、攻撃を仕掛けてきた。イェーガーの機体から、針のように鋭いレーザーの雨、『クリムゾン・ニードル』が放たれた。狙いは、マキナが操るコックピット。


「ちょこまかと!」


マキナは船体をきりもみ回転させ、全てのレーザーを紙一重で回避する。


『おおっと、荒々しいが情熱的なワルツだ!だが、優雅さに欠けるな!減点20ポイントだ!』


イェーガーは楽しげに採点する。 次に、オペラのアリアを大音量で奏でる『レクイエム・ミサイル』が、アキトの砲座めがけて飛来する。


「やかましい。」


アキトは冷静に、ミサイルが奏でる最も甲高い一節の瞬間に、トリガーを引いた。弾丸はミサイルを完璧に撃ち抜き、宇宙空間に、不協和音と爆発音だけが響いた。


『なんと!完璧なタイミングでの喝采か!君は、音楽の才能があるのかもしれないな!』


続いて、優雅なエネルギーの網、『アーティスト・ネット』が、ノアのセンサー類を封じようと広がる。


「…パターンの規則性を解析。網目の結節点に、0.2秒のエネルギーの弛緩を確認」


ノアは、その一瞬を突き、船体の電磁パルスを局所的に放出して、ネットを無力化した。


『お見事!だが、人の芸術を、無粋な数字で解き明かすのは、感心しないな!』


最後に、イェーガーはリオのいる船倉めがけて、キラキラと輝く『アンコール・マイン』を複数ばら撒いた。 「…!」リオは、即座に船倉のガラクタから、巨大な磁石と鉄板を『クリエイト』し、全ての機雷を船体から遠ざけるように吸着させ、一箇所で爆発させた。


『ほう、即興芸術か!悪くない!だが、少々、地味だったかな!』


イェーガーは、攻撃の組み合わせを変えてきた。『クリムゾン・ニードル』の弾幕の中を、『レクイエム・ミサイル』が突き進んでくる。


「アキト、ミサイルを頼む!」


マキナが叫ぶ。


「分かってる!」


アキトは、マキナの回避機動を信じ、レーザーには目もくれず、ミサイルだけを狙い撃つ。


『素晴らしい信頼関係だ!だが、友情は、悲劇の最高のスパイスなのだよ!』


『アーティスト・ネット』が、今度はエンジンを直接狙う。


「ノア、ネットの弱点は!?」


リオが叫ぶ。


「エネルギー供給源は、網の中心点。そこを破壊すれば、全体の構造を維持できません」


ノアが即答する。だが、リオには、そこを狙える武器がない。


「僕が作る!」


『クリエイト』で、小さな槍状の鉄塊を生成し、それをマキナが絶妙な船体制御で「投擲」し、ネットの中心を破壊した。


『な、なんだその原始的な戦い方は!?』


「まだだ!第三幕は『激情のアレグロ』!」


イェーガーの攻撃がさらに激しくなる。彼は、爆発が連鎖する『クレッシェンド・カスケード』で、ステラ・マリス号の逃げ道を塞ごうとする。


「マキナ!」


ノアが叫ぶ。


「後退して爆発の波に乗るのです!爆風の圧力を利用すれば、加速できます!」


「無茶苦茶だ!でも、面白そうじゃん!」


マキナは、常識外れの提案にニヤリと笑うと、後退しながら爆風に船体を乗せ、まるでサーフィンをするかのように、危険な爆心地を駆け抜けた。


『な、何だと!?僕の華麗なコンボを、ただの移動手段に!?冒涜だ!』


イェーガーは、次に無数の小型ドローン『スタッカート・ドローン』を放ち、アキトを狙う。


「数が多すぎる!」


アキトは、全てを撃ち落とすことはできないと瞬時に判断し、エンジンとコックピットに向かうドローンだけを、的確に、冷静に破壊していく。


『ちいっ!なぜ、一番絵になる、派手な爆発を避けるのだ、君は!』


「ええい、こうなれば、我が芸術の集大成、『グランド・フィナーレ』だ!」


イェーガーは、ついに、これまでの全ての攻撃を、同時に繰り出してきた。レーザーの雨、歌うミサイル、広がる網、輝く機雷。絶望的なまでの、飽和攻撃。


「全員、自分の持ち場に集中して!」


リオが叫んだ。 マキナは、レーザーの雨の中を、奇跡的な操縦で突き進む。アキトは、迫りくるミサイルを、鬼神の如き集中力で撃ち落とす。ノアは、機雷の爆発パターンを瞬時に計算し、数センチ単位の、唯一の安全なルートをマキナに指示し続ける。 だが、『アーティスト・ネット』が、ついにステラ・マリス号を捉えようとした、その瞬間。


「させるか!」


リオが、『クリエイト』で、船体から強力な電磁パルスを発生させ、ネットを消滅させた。 しかし、その一瞬の隙を、イェーガーは見逃さなかった。一筋の『クリムゾン・ニードル』が、電磁パルスの防御をすり抜け、ステラ・マリス号の左翼のスタビライザーを撃ち抜いた。 船体が、大きく傾く。


『ハハハ!ついに捉えたぞ!これぞ、悲劇の始まり!最高の見せ場だ!』


イェーガーは、距離を取ると、呟いた。


『君たちの船、じいさんの手作りらしいな。素晴らしい!だが、素人仕事には、必ず、歪みが生まれる。例えば…エンジンブロックと船体フレームを繋ぐ、あの溶接部分。あそこは、特定の周波数の振動に、極端に弱い!』


イェーガーの機体から、無数の、小さなドローンが放出された。


『これは、僕の最高傑作、『破滅へのロンド』だ!このドローンたちが、それぞれ、微妙に違う高さの音を奏でながら、君たちの船の周りを、美しい円舞曲のように飛び回る。やがて、その音の波が、一つの、完璧な不協和音となり、君たちの船の、あの、唯一の弱点を、内側から、ガラス細工のように、粉々に砕くだろう!これぞ、知性!これぞ、芸術だ!』


イェーガーが高らかに宣言する。その言葉通り、ドローンが奏でる不快な高周波が、船体をビリビリと震わせ始めた。船の軋む音が、どんどん酷くなっていく。


「やばい!このままじゃ、本当に空中分解する!」


マキナが叫ぶ。 アキトがドローンを撃とうとするが、数が多すぎ、動きが不規則で、キリがない。ノアも、その複雑な周波数パターンを解析し、打ち消すための逆位相の音波を計算しようとするが、時間が足りない。


「くそっ!こんな時に、また、この計器が!」


リオが、先ほどの電磁嵐の影響で、ショートしたままの、船内BGM用のスピーカーのコンソールを、苛立ち紛れに、バンッ!と強く叩いた。 その瞬間だった。 ショートしたコンソールが、リオの衝撃で、さらに異常な回路を形成した。そして、船外スピーカーから、マキナが、普段、気分が良い時に、大音量で流している、お気に入りの、調子っぱずれで、底抜けに陽気な、海賊の歌が、最大ボリュームで、爆音再生された。


『ドゥーーーン!ワッハッハ!飲めや歌えや!宝の島は、すぐそこだぜええええええええ!♪』


それは、イェーガーの計算され尽くした、繊細な不協和音のハーモニーを、完全に破壊する、暴力的なまでの、ただの騒音だった。 『破滅へのロンド』のドローンたちは、マキナの歌の、あまりに不規則で、非芸術的な音波に、その制御を狂わされ、互いに衝突し、次々と爆発していった。


『…………は?』


イェーガーは、完全に、固まっていた。 自分の、最高傑作である、知的な攻撃が。 ただの、ド素人の、陽気な歌で。 まぐれによって。 完璧に、破られたのだ。


『…あ…あ…ああ…』


彼の、芸術家としての魂が、音を立てて、砕け散った。


『ああああああああああああああっ!許さん!許さんぞ、貴様らあああああっ!』


イェーガーの絶叫が、響き渡った。もはや、そこに、芸術家の面影はなかった。ただの、癇癪を起した、子供だった。


『美学も!脚本も!演出も!知るかああああっ!こうなったら、やけくそだ!僕の、最後の芸術!『終幕のカーテンコール』を見せてやる!』


イェーガーの機体が、全てのエネルギーを、主砲の先端に、集め始めた。巨大な、不安定な、破壊のエネルギー球が、生まれようとしていた。それは、ステラ・マリス号を、跡形もなく消し去るほどの、威力を持っていた。


「…あのエネルギー球は、不安定です」


ノアが、瞬時に分析する。


「正確な、逆位相の衝撃波を与えれば、爆発することなく、霧散させることが可能です」


「衝撃波を発生させる装置なら、僕が作れる!でも、莫大なエネルギーと、それをぶつけるための、推進力が必要だ!」


リオが叫ぶ。


「エネルギーなら、ここにあるぜ!」


アキトが、自分の砲座のコンソールを叩いた。


「この迎撃機銃の、エネルギー・キャパシタを、オーバーロードさせれば、一瞬だけ、とんでもないパワーが生まれる!ただし、使えば、この機銃は、二度と使えなくなる!」


「推進力なら、任せな!」


マキナが、操縦桿を握りしめた。


「このステラ・マリス号で、あのエネルギー球に、キスしてやるよ!」


四人の心が、一つになった。


「リオ、作れ!」


「アキト、エネルギーを!」


「マキナ、突っ込め!」


リオは、『クリエイト』で、船の先端に、美しい、水晶の角のような、衝撃波発生装置を、瞬時に生成した。アキトは、全てのエネルギーを、その装置へと送り込む。マキナは、船を、光の矢のように、エネルギー球へと、突進させた。 そして、激突の寸前。 リオが生成した角から、美しい、虹色の衝撃波が放たれた。 イェーガーの、破壊のエネルギー球は、その衝撃波に触れた瞬間、爆発することなく、まるでシャボン玉が弾けるように、無数の、きらきらと輝く、光の粒子となって、宇宙に散らばっていった。 それは、皮肉にも、彼が追い求めていた、どんな芸術よりも、美しい光景だった。


『…僕の…僕の、最後の芸術が…こんな、こんな、美しいだけの、無意味な光に…う、うわあああああああああああん!』


イェーガーの、断末魔のような、泣き声が、響き渡った。 やがて、彼は、エネルギーを失い、ただの鉄の塊と化した愛機を、どうにか動かし、泣きながら、どこかへと、飛んで去っていった。


『覚えていろ!この屈辱は、いつか、必ず、最も非芸術的な方法で、返してやるからなあああああっ!』


後に残されたのは、イェーガーの最後の芸術が作り出した、美しい光の粒子が、天空のオーロラと混じり合いながら、静かに舞う、穏やかな宇宙だけだった。 四人は、誰ともなく、深く、長い息を吐いた。 アドレナリンが、引き潮のように、引いていく。残されたのは、心地よい疲労感と、絶対的な安堵感だった。船内は、静まり返っていた。皆、口を開く気力さえ、残っていないようだった。 マキナは、操縦席に深くもたれかかり、目を閉じて、荒い呼吸を整えている。アキトは、完全に沈黙した砲座にだらしなく身体を預け、虚空を見つめていた。ノアは、損傷した船のシステムログを、静かに確認している。そしてリオは、窓の外を舞う、光の粒子を見つめていた。それは、まるで、彼らの勝利を祝福し、そして、これから始まるであろう、さらに過酷な戦いへと向かう彼らの魂を、浄化するかのような、優しい光の雨だった。


「……今までで、一番、くだらない戦いだったな」


リオが、ぽつりと呟いた。だが、その声には、確かな、笑いの響きがあった。


「アタシ、こういうの、嫌いじゃないや。むしろ、大好きかも」


マキナが、目を開けずに、答えた。


「……同感だ」


アキトの、素直な言葉に、マキナは、驚いたように目を開け、そして、心底、嬉しそうに笑った。


「……戦闘記録を、更新します」


ノアが、静かに言った。


「ファイル名、『紅の道化師との狂想曲』。特記事項:生存確率17.8パーセントからの、論理を超えた、奇跡的な勝利。勝利要因:『予測不可能な、人間の持つ、愚かさ』」


その言葉に、今度は、皆が、声を出して笑った。彼らは、傷つき、疲れ果てていた。船も、ボロボロだった。アキトの機銃は、もう動かない。リオが作った衝撃波発生装置も、光の粒子となって、消えてしまった。 だが、彼らの心は、満たされていた。 どんな状況でも、どんな敵が相手でも、この四人がいれば、きっと、乗り越えていける。 笑いながら、戦い、そして、生き抜いていける。 その確信を胸に、彼らは、再生したステラ・マリス号の進路を、再び、アヴァロンへと向けた。 本当の絶望が、そのすぐ先で、静かに口を開けて待っていることなど、まだ、知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ