白の娘
山のふもとの村では、冬が来るたび、ひとつの言い伝えが語られる。
「吹雪の夜、誰も開けてはならぬ扉がある。白い娘が訪ねてきたら、けっして、その名を問うてはならぬ」
若い木こりの青年は、その言い伝えを笑いとばしていた。
「雪女? はは、会ってみたいもんだな。話せるなら、茶でも飲もう」
それはちょうど、三日三晩降り続いた雪が、ようやく静まりかけた頃のことだった。
その夜、青年の山小屋の戸が、三度、コツコツと鳴った。
コン、コン、……コン。
耳を澄ますと、かすかな声がする。
「……さむいの……ひとやすみ、させて……」
警戒心よりも、寒さと孤独への共感が勝った。青年が戸を開けると、そこに立っていたのは真っ白な娘だった。
髪も、肌も、まるで雪から削り出したように白く、足跡もつけずに雪の上に立っていた。
「ありがとう」
彼女は礼を言い、小屋の中に入ってきた。ぬくもりを恐れるように、火からは少し距離をとりながら、静かに座る。
「お前、名前は?」
そう問うと、娘はかすかに首を振った。
「名は、まだ……ひとに呼ばれてはならないの」
それ以上、問い詰める空気ではなかった。青年はふたり分の湯を沸かし、簡素な食事を分けあった。
娘はあまり食べず、ただ、静かに青年を見ていた。
氷のような目で、でもどこか、懐かしさをたたえて。
翌朝、娘はいなかった。雪の上には、青年の足跡しかなかった。
あれは夢だったのか? 幻だったのか?
けれど、それからというもの、吹雪の夜になると、必ず娘があらわれた。
そして、ふたりで火を囲み、ことば少なに座るようになった。
青年は次第に娘に惹かれていった。それは恋というより、抗えぬ引力のようなものだった。
何度目かの夜、青年はふと、こう呟いた。
「……君の名前を、呼びたい」
その瞬間、娘ははじめて笑った。凍てついた氷がひび割れるように、美しく、そして、悲しげに。
「では、わたしの名前を、よく聞いて……」
娘が名を告げたその瞬間、風が唸りを上げ、戸が激しく鳴った。火がふっと消え、室内の温度が一気に凍りつく。
青年の目の前で、娘の姿が、白い霧に崩れていった。
村の者が、青年の山小屋にたどりついたのは数日後のことだった。
小屋の中には、青年が白く凍ったまま正座していた。
その表情は穏やかだった。まるで、誰かの話を聞きながら、微笑んでいるようだった。そして、そのまま、時が止まったかのように見えた。
足元には、雪で描かれた文字があった。
それは、かすれて読めぬ名。
ただ一文字だけ、はっきりと残されていた。
それ以降、村ではふたたび語られるようになった。
「雪女は、名前を持たない。けれど、その名を呼ばれたとき、呼んだ者とともに、永久に冬のなかに閉じこめるのだ」と。
そして今も、冬の山には誰も近づかない。風がふくたび、どこかから、誰かの名を呼ぶ声が聞こえるから。
白く凍った声で、ゆっくりと、あなたの名を、確かめるように。
雪女より