港町
公園を発ってから30分、タカシは目的地の港町に到着した。町の入り口の手前に、森へと続く道があり、そこに砲台跡まで徒歩20分と書かれてある看板が立っていた。気になるな。港町に入る前に寄ってみよう。タカシは自転車から降りて、手で押しながら砲台跡まで歩くことにした。その道はひたすら下り坂だった。帰ってくるときが大変だな、とタカシは先のことを考えて少し憂鬱な気持ちになった。といっても、自転車を押しながらの下り坂も、足に負担がかかり別な意味で過酷だったが、タカシはその過酷さには気づかなかった。夏草がタカシの周り全体で生い茂っている。
砲台跡に到着した。当然のことかもしれないが、砲台は見当たらなかった。しかし、弾薬庫があった。小さなトンネルのようになっており、いかにも地元の子どもが秘密基地にしそうな場所だった。いや、どうやらここは観光地らしい。それはなさそうだ。弾薬庫の横に立てられている看板に、この場所を説明する文章が載っている。明治時代に、日清戦争や日露戦争を想定して作られた要塞施設のようだ。
タカシのほかに誰もいない。蝉の鳴き声がこの場所全体に響き渡っている。初めて気が付いた。家を出てから今まで、音には無頓着だった。目や鼻や毛穴がこの場所を味わっているように、僕もこの場所を味わいたいと言わんばかりに、タカシの耳は蝉の鳴き声に聴き入っている。うるさいとは感じない。静かだなと思った。タカシにしみ入るように、岩にも蝉の声がしみ入っているようだ。
タカシは港町に入った。誰も歩いていない。タカシの自転車をこぐ音だけが聴こえる。目的地に到着したからといって、特に行きたいところもなければ、やりたいこともない。愛想がないけれど、もう帰ろうかなとタカシは思った。LINEの通知音が突然鳴った。タカシは携帯を手に取った。ユキちゃんのお母さんからだ。そこには"ユキが死んじゃった"というメッセージが届いていた。