そしてまた3人
大新月の三日間は終わった。クラリーチェは、ベッドの上で寝ている。
僕はまだなんだか、なにもかもの実感が湧かなくてクラリーチェの手を握りボゥ……としていた。
朝日が昇っている。
僕は、大事な記憶を少しだって忘れていない。それが嬉しくて、ボンヤリ笑みがあふれた。
「クラリーチェ、僕はね、やりたいことが出来たんだ」
僕がこれから、生きる意味。
より強く手を握れば、クラリーチェのまぶたが震えた。
それから少しずつ瞼が上がっていく。
ブルーグレーの瞳があらわになる。
「……なんで、呪いを解いてしまったんですか」
クラリーチェは悲痛そうに顔を歪めた。零れた涙が、枕を濡らす。
「私は、二人が幸せならなにも要りませんのに」
その幸せに君も含まれていると、どうしてこの良き方は思いつかないのだろう。
「フローラは最後、クラリーチェに言葉を残しました」
言葉の一つ一つ、文字の一つ一つを、間違えることなく口にする。
『もう、十分なんです。ほんとうに、沢山の愛を、十分貰ったんです。ありがとう』
言葉を咀嚼し終えたクラリーチェは、グッとなにかを堪えるような顔になった。
クラリーチェは仰向けになっていた身体をゆっくり起こす。
ころりと雫がシーツの上を転がった。
「……でも私はっ、フローラとエリゼオを、助けられませんでした」
「僕もだよ」
端的に返せば、クラリーチェは動きを止めた。
「……フローラは、予言で成人を迎える前に死ぬと、そう言われていた。そして剣術に秀でていた僕は、そんな未来からフローラを守る為に、婚約者になったんだ」
自分で言っておいて、自嘲じみた笑みが零れてしまう。
「だけど、僕は、フローラを守れなかった」
クラリーチェは、ただ呆然としていた。「フローラが、死ぬ運命だった……?」とブツブツ言っている。
「クラリーチェ、よく聞いてくれ」
華奢な肩を優しく掴みながら、クラリーチェと目線を合わせる。
「フローラの望みは、長生きすることではなかった。自分の人生を、謳歌することだった」
「自分の、人生……」
ブルーグレーの瞳で、光がユラユラ揺れている。
「フローラはクラリーチェと友達になれて、とても楽しそうだった。自分の人生を謳歌していた」
強く強く、と保っていた瞳から、僕は涙が出そうになる。
「だから、もう十分だったんだ。……クラリーチェ、自分が魔女の家系だと、そんなにも追い詰めなくて良いんだ。僕とフローラにとって、君は途方もない程に普通の女の子で、僕たちの大切なお友達、ただそれだけだったんだから」
「――っ、フローラ、フローラ……」
涙を零すように、フローラの名を繰り返す彼女を、そっと抱きしめた。
「僕はね、やりたいことが出来たんだ。絶対に、これだけはやりきりたいんだ」
身体から手を離し、僕はベッドに座る彼女を見上げるように跪いた。クラリーチェの手を、僕の手で包み込む。
「どうか、僕と結婚してください」
「な」
真っ白なクラリーチェの頬が、朱色に染め上げられる。
「わ、私が貴方と婚約を結んだのは、元々フローラと入れ替わるつもりで……!」
「知ってるよ。だけど、」
耳まで真っ赤になった少女を、僕は真っ直ぐ見つめる。
「半年後に、君を愛するという約束でしょう?」
「〜〜っ……!」
おちゃらけて言ってみれば、もうなにも言葉にならないと言わんばかりに、クラリーチェが口をパクパクさせた。
耳まで真っ赤で、その時僕は初めてクラリーチェも可愛らしい少女なのだと認識した。
「……僕には、祈りも呪いもない。だからクラリーチェに、どれ程のことをしてあげられるかなんて分からない。だけど、側にいるよ。君が困った時、すぐに手を差し伸べられるように」
クラリーチェが口を閉じ、キュ、と肩を寄せた。
パタリと、クラリーチェの手を包んだ僕の手を涙が打つ。
涙がポロポロ、クラリーチェの顎から滴り落ちた。
「私も、二人をこの世で一等、愛しています」
心が温かくなった。
フローラと出会った日のことを思い出す。
僕たちは七歳で、僕は鍛錬を一時中断させられ身綺麗にしてから、フローラに会った。
初めて見た時、フローラがあまりにもつまらなそうな顔をしているから驚いた。周りにはお菓子もお花も沢山あるのに、なにも持っていないような顔をしていたことを、よく覚えている。
そんな彼女とのお茶会は、やっぱり話が弾まなくて。僕は両親たちが別室に出ていった後、側に置いてある花々をフローラに許可を取ってから手に取り、編み出した。
「……なにやってるのですか?」
紅茶を飲み終わって焦れたのか話しかけて来たフローラの頭に、僕は作り終わった花冠を乗せた。紫色の花が、彼女の真白の髪によく映える。
「……わあっ」
フローラは途端に目を輝かせた。それから、せがむように僕の服の袖を掴む。
「どうやったんですか? もう一個作って……!」
「うん、いいよ」
なんだ、彼女も、普通の女の子ではないか。
僕は編み方を教えながら、笑う少女に目を細める。
どうか、この花のような笑顔が末永く続きますようにと願って。
――懐かしい思い出に想いを馳せていると、扉辺りから音がした。
クラリーチェに待っているよう言って、僕は扉の方に行く。
開けて見れば、クラリーチェの父親と、白い犬の体を無心に撫でる母親と、唇を噛み締めた兄がいた。
「……どうして、撫でているんですか?」
色々と聞きたいことが多すぎて、まずそこから聞いてみれば「泣かないように、気を紛らわせているの」と返された。
不思議そうな顔をする僕に、クラリーチェの父親が返す。
「ここで泣いたら、フローラ様がいなくなったことを、喜んでるみたいだろう……それが、僕たちは嫌なんだ」
ぐう、と喉が鳴る。
「あんなに良い子、中々いないわ。クラリーチェと分け隔てなく、お友達になってくれるような子……っ」
クラリーチェの兄は、窓の外を見ていた。丁度、鳥が一羽飛び立つ。
「僕たちは、嘘でも虚勢でもなく、本当にフローラ様が妹になっても良いと思ったんです。彼女がとても良い子だと、クラリーチェの姿を見て、痛いほど分かっていましたから」
そう言い終えた彼の瞳が、僕を捉えた。
「だから、僕たちは泣きません。それがフローラ様への、僕たちからの敬意です」
「……やっぱり、貴方たちの矜持はとても尊いですね」
ズビ、と鼻をすする。
しんみりとしてると、白い犬が突然走り出した。
「レオナルドっ、どこ行くの!」
クラリーチェの母親が悲鳴を上げる。
そのいかつい名前に慄きながら後を終えば、白い犬――レオナルドはクラリーチェの上に乗っていた。
慌てて引き剥がそうと近づく。
だけど予想とは違い、クラリーチェは幸せそうな表情を浮かべ顔を舐められていた。
焦りがすっかり解けてしまい、僕は微かに笑みを浮かべながら、ベッドに腰掛ける。
クラリーチェの頭を撫でれば、あの日のフローラのように、顔を綻ばせた。
◇◇◇
――なんだか、懐かしい夢を見ていた気がする。
私は今、フローラを呪い魂だけになった時と同じように、淀みの中にいる。身体が重く、上へ昇ることが出来ない。
エリゼオと結婚してから二年後、可愛い赤ちゃんが生まれた。
私たちはその子に、フェリーチェという名前を付けた。
それから二人の男の子にも恵まれ、とてもとても、楽しい日々だった。
「寒い……」
だからか、この淀みはとても寒く感じる。
私の死因は老衰で、夫であるエリゼオに見守られながら、息を引き取った。
その時思ったことは、あの淀みへ戻ることの恐怖。私は永遠にここから抜け出せないのだという絶望。
幸せを私は知りすぎた。知りすぎてしまった。
ここが地獄の底なのだと、正しく認識出来る程に。
泥が身体に纏わりついたような倦怠感が占める。もうどのくらい、ここにいたのかなんて分からない。
神様、私はあと何百年、ここにいるのでしょうか。生まれ変わることは出来ますでしょうか。もう一度、二人に会えますでしょうか。
……いいや、駄目だ。淀みに沈んだ私に、二人と出会いお友達になろうとする資格なんてない。
でも、それでも――……
手を、天上目掛けて伸ばす。
その手を取った、人がいた。
「……エリ、ゼオ?」
「遅くなってごめん、クラリーチェ。フェリーチェがお母様の後を追うような真似は許さないって怒って。寿命を迎えるまでの間、君を一人にしてしまった」
泥に光が入ったように、白い手が私の手を掴んだ。
グッと、引き上げられる。
引き上げられていく程に、真白の光に近づく程に、ほろほろと私の身体から泥が落ちていく。白いワンピースがあらわになった。
「これが、僕のやりたいこと。やりきれて、良かった」
天上へ昇っていく。
私は強く、エリゼオの手を握った。
瞬間、光が周囲を覆った。眩しくて目を閉じてからゆっくり開けると、真っ白な空間に私とエリゼオだけがポッカリ浮かんでいた。彼は、私たちが出会った頃のような姿をしている。
ふと自分を顧みれば、私の髪も黒くなっていた。
その髪を漂わせ、私はエリゼオが引っ張るままに昇っていく。
ゆっくり私を見つめながら、彼が顔を綻ばせた。
何十年も変わらない彼の笑顔に、胸が軋む音がする。
ジン、と鼻が痛くなって、どうしようもなくなる。
ああ私、また二人のお友達になりたい。
そして今度は、私から声をかけるの。
だって二人は絶対、笑ってくれるから。資格なんて必要ないと、また私の手を引いてくれるから。
ありがとう、どうかまた会う日まで、お元気で。
◇◇◇
少女が、頬を赤らめながらこちらを見つめる二人を引き止める。
決意を固めるように、胸の前で手を組み口を開いた。
『あの、私と――!』
その言葉を聞いた二人は、少女の手を引き笑った。なにを今更と言うように、少女を左右で挟む。
ギュウギュウ挟まれた少女は、キョトンと目を瞬かせてから、安心したように笑った。
今日は月も星も綺麗に見えることだろう。そう思わせられる程に空が澄み切った、穏やかな昼下がりだった。
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