29話:奇跡を信じ
「イートン令息は、いわゆる恋は盲目状態なのでしょうか?」
ヴェルナーが呆れ気味にそう言うと、すぐにセシリオが反応する。
「そうかもしれないね。僕には婚約者がいることを失念した、ただの空け者にしか見えないけど。……それよりもキャンデル伯爵令嬢。王宮の庭師が造り上げたこの薔薇を良かったら。珍しいと思わない? 僕の瞳と同じ碧い薔薇」
「碧い薔薇……! 初めて見ました。造花ではないのですよね!?」
「うん、造花ではないよ。これまで碧い薔薇は、いくら交配や品種改良しても、生み出すことができなかった。ゆえに存在しない花なのに、『不可能』という花言葉だけが存在していた。でもこの碧い薔薇にはからくりがある。碧い着色水を白い薔薇に吸わせたんだ。天然由来の着色料を使ってね。この方法だと、淡い水色から濃紺まで、様々な碧い薔薇を作り出せるんだよ」
これを聞いたヴェルナーは「すごい」と驚く。
私も「驚きました」と応じる。
「碧い薔薇の花言葉は、この瞬間から『不可能』ではなく『奇跡』に変わった。……そう、奇跡を信じ、これをキャンデル伯爵令嬢に贈るよ」
「ありがとうございます! 大切にしますね」
恭しく受け取ると、今度はヴェルナーが一輪の黄色の薔薇を取り出し、私に渡してくれる。
「黄色の薔薇の花言葉は『友情』です。変わらぬ親愛を友として、キャンデル伯爵令嬢に贈ります」
ヴェルナーが差し出す黄色の薔薇も受け取る。
碧い薔薇と黄色の薔薇。
二本の薔薇は共に美しい。
そして。
普段から私に仲良くしてくれる二人のために。
私もちゃんと本を用意していた。
「では本を贈る日ですから。お二人に本を用意しました。受け取ってください」
そう言って本を差し出す。
「ありがとう、キャンデル伯爵令嬢」
「ありがとうございます、キャンデル伯爵令嬢」
二人とも喜び「開けてもいいですか」となるので「勿論です!」と応じる。
セシリオには伝説の王の活躍を描いた小説、ヴェルナーにはこの国の古い伝承をまとめた本を用意していた。
「キャンデル伯爵令嬢! これは面白そうですね。歴史の授業では習わないような、昔話や伝承がまとめられた本ではないですか! こういう本、読んでみたいと思っていたのです。これは読むのが楽しみでなりません」
ヴェルナーは予想通りの反応を示してくれた。
これはこの本のチョイスは正解ね、と嬉しくなる。
セシリオはどうかしら?
彼の方を見た私は、サーッと血の気が引きそうになっている。
し、しまった……!
まさにブーメラン効果だ。
シナリオの強制力に従い、私はヒロインであるアナが用意していた本とロマンス小説を入れ替えた。入れ替えたのだ。つまりアナが用意していた本は、私が持っていた。そして今、私はそのアナがジャレッドに渡すはずだった本を、間違ってセシリオに贈ってしまっていたのだ。
なぜこんなことになったのか。
王都では、小さな書店は沢山あるが、王侯貴族が利用するような大型書店は一店舗しかない。三階建てで、三軒分の建物が一つになったような書店は「揃わない本はない!」と言われるぐらいの人気店。そしてプレゼント用のラッピング用紙は、前世日本のように、バリエーションはない。
基本簡易包装で、書店のイメージカラーである、藤色の包装紙で包まれている。本の厚みやサイズが似ていると、包装紙が一緒であれば、うっかり間違えることはよくあることで……。
そんな言い訳を今さらしても遅い。
そして私がやらかしてしまい、セシリオに渡したその本のタイトルは……。
『あなたに贈る愛の言葉百選~今宵、全てを奪いに来ました~』
愛の言葉を古今東西集めた名言集!
しかも「今宵、全てを奪いに来ました」という実にアグレッシブなタイトル!
アナはジャレッドにこんな本を渡そうとしていたの!?
それなら私のロマンス小説の方が、百倍ましだったと思う。
こんな恥ずかしい本は、自分用でしょうが!
夜寝る前。
恋に恋する乙女が、胸をときめかせるために読むような本。
決して女子から異性に贈るような本ではないっ!
百歩譲り、恋人同士や婚約している二人なら、贈り合ってもいい。夫婦も勿論、いいだろう。夫婦だったらこれを機に、マンネリ解消になるかもしれない。
でも男女の友達同士とかはダメだ。
もしその男友達と、友達以上を目指しているならいい。
しかしそうではない男友達に、これほど意味深な本を贈るなんてあり得ない……!
受け取ったセシリオはどう反応していいのか分からないという表情になっている。
私もどうすればいいか分からない。
多分、今の私は顔面蒼白だ。
しかし!
ヴェルナーがナイスフォローをしてくれた!
「あ、この本、知っていますよ。書店で平積みされていましたよ、令嬢マダム向けのコーナーで。実はわたしも気になっていました。エール王太子殿下、読み終わったらわたしにも貸してください」
「……! なるほど。そんなに人気の本なのですね。ええ、分かりました。読み終わったらお貸ししますよ。キャンデル伯爵令嬢、ありがとうございます」
セシリオが実にピュアな笑みを私に向けるので、安堵するやら申し訳ないやら、実に複雑な胸中だった。