10話:諦めない
事前に練習もした。
「いち」で踏み出すのは結わいていない方の足。
つまり私なら左足。セシリオは右足。
「それでは位置について」
お互いの手を腰に回す。
セシリオの鍛えられた胸板と引き締まった脇腹、そして背筋を感じた。
柑橘系の心地いい香りにも少しは慣れたと思う。
今、ドキドキしているのは、スタートの合図を待っているから。
決してセシリオと密着しているわけではない――そう自分に言い聞かせる。
「よーい、ドン!」
遂にセシリオとの二人三脚がスタートした。
「いち、に。いち、に。いち、に」
順調に足がもつれることもなく、走ることができる。
腕を振る。足元を見ない。
「いち、に。いち、に。いち、に」
六組がスタートし、今、三組が横並びだった。
だがここでカーブに入る。
「いち、に。いち、に。いち、に」
息が少し上がる。
カーブに入った。
セシリオは上手く歩幅を私に合わせながら、カーブも乗り越える。
この時、横並びから変化が出た。
一組はカーブでもたつき、遅れをとった。
もう一組は……アナとヴェルナーだ!
ヒロインには勝てない。
どうせアナとヴェルナーが優勝だ。
「!」
一瞬、私の腰に回されたセシリオの手に、力がこもった。
「いち、に。いち、に。いち、に」
セシリオは……負けるつもりがない。
スピードが落ちない。
ゴールはあと少しだった。
二人三脚のシーンはゲームでは『体育祭では二人三脚にも参加した』としか書かれていなかった。つまりヒロインであるアナが、必ずしも勝つわけではないのでは?
「いち、に。いち、に。いち、に」
もしそうであるならば……。
諦めてはいけない。
「いち、に。いち、に。いち、に」
ゴールテープは見えていた。
アナとヴェルナーペアと並んでいる。
シナリオの強制力が働き、ヒロインであるアナへの嫌がらせを回避できないと分かってから、どこか諦めモードだった。
でも今は違う。
切実に勝ちたいと思っていた。ヒロインだから一位が当然とつい思ってしまうが、今はそうではない。
二人三脚の結果は白紙だ。シナリオには左右されない。
それならば。
セシリオと一等になりたい!
歓声が聞こえた。
ゴールテープを切った実感はあるけれど……。
「やったよ、キャンデル伯爵令嬢! 一等だ!」
「本当ですか!」
思わず抱きつきそうになり、それはブレーキをかけた。
この世界、ハグは許容されているが、さすがにセシリオは王族。
代わりにハイタッチをしようと手を差し出すと、セシリオは首を傾げる。
あ、あれ、ハイタッチ、王族は知らないかしら?
「!?」
セシリオは私の差し出した手を、自分の手の平にのせると、そのまま甲へとキスをした。
「この度の勝利を、キャンデル伯爵令嬢に捧げます」
そう言ってあの澄んだ碧眼で上目遣をすると、私を見上げた。
甲へのキスでもドキドキなのに、さらに心臓がドキンとしてしまう。
だがセシリオはそのままゆっくり私から手を離すと、足を結わくリボンを外していた。
その間に私は深呼吸を繰り返し、気持ちを落ち着かせようとするが……。
全然ダメ!
「あ、あの、私、レストルームに行ってきます!」
リボンがほどけると、慌てて校舎へ向かう。
恥ずかしくて、セシリオの顔を直視できなかった。
レストルームへ向かうため、校舎の方へ歩いて行くと、不機嫌そうな顔のジャレッドがいる。
これはアナと二人三脚ができなかったこと。そしてどうやら自身は芳しくない順位で終わったことが、不満なのかと思ったら。
ジャレッドの視線の先にいるのはアナと……あれは誰?
黒髪にルビー色の瞳。
ワイン色のチュニックに革の軽装備、黒のズボンとマント……騎士。
ああ、護衛騎士?
うーん。
男爵令嬢で、護衛騎士とは大袈裟な。
護衛騎士をつけるのは王族か公爵家ぐらいだろう。
そうなると……。
従者兼護衛、とか?
「!」
校舎のそばに置かれたベンチにアナが座ると、従者兼護衛らしき青年は、その場に跪いた。そしてアナの履物を脱がせ、その足を自身の膝に乗せると……。
どうやらアナは私達との激走で、足首を痛めたようだ。
痛めたと言っても、足首を結わいたリボンがこすれただけで、打撲と骨折とか筋を痛めたわけではない。それでも陶器のような肌が赤くなっている。従者兼護衛らしき青年はそれを心配し、傷口に軟膏を塗っているようだ。
その手つきからアナを敬う気持ちが伝わって来る。
丁寧に、でも素早く軟膏を塗り終えると、包帯を巻き始めた。
再度ジャレッドを見ると、組んだ腕を自身の指んでトントン、と叩いていた。
ジャレッドが苛立っている。
この時点でジャレッドは私と婚約しており、アナとはあくまで友人関係なのに。
あんなに嫉妬のオーラを漂わせるなんて。
「!」
私の視線に気づいたジャレッドがこちらを見ようしたので、慌てて校舎へ目を向ける。
そのままアナの方も、ジャレッドの方も見ず、校舎の中へ入った。