1話:物語が始まります
「もう、茜。またゲームやっているの? せっかく綺麗な景色が見えてきたのよ。それに車の中でそんなスマホの小さい画面ばかり見ていて。酔うわよ」
「お母さん、うるさいよぉ。今、サマーイベントで忙しいの~! 限定の水着バージョンの王太子が欲しいんだから。それに急に旅行だなんてさ。聞いてないしー」
大学三年生の夏休み。
共働きの両親は夏季休暇をお盆ではなく、9月にとると言っていた。
それなのに突然、8月の終わりに休むと言い出し、しかも家族旅行に行くと言い出したのだ。
計画的な休みではなく、突発的に二人とも休むことにしたようだ。
前日まで二人ともドタバタと仕事をして、今朝、父親の運転する車で郊外の温泉地へ向けて出発したのだけど……。
温泉。暑いのに。
全然、気乗りしないし。
それに乙女ゲームのイベントが佳境なのに!
「お、見てみろ、あれ、白い鹿じゃないか? 珍しいぞ」
運転席の父親の声に、助手席の母親が「まあ、本当だわ、珍しい。茜も見てみなさいよ」と後部座席の私の方を見る。
白い鹿? それ、映えるかもしれない!
スマホ画面から体を上げた瞬間。
体が強制的に運転席にぶつかったと思ったら、窓にぶつかり、天井にぶつかり――。
驚きと痛みと何が起きたのか分からない状態で、五感が何も知覚しなくなった。
◇
「エマ・リリー・キャンデル。我が家の愛くるしい天使のお目覚めだ」
ブロンドに琥珀色の瞳の鼻の高い男性が、私の顔を覗き込んだ。
しかも外国人のフルネームで私の名を呼び、“愛くるしい天使”と呼んでいる。
え、何?
見た目なかなかのハンサムだけど、いきなり意味不明なんですけ――。
そこでハッとする。
エマ・リリー・キャンデルという名に聞き覚えがある。
え、え、え、えええええっ!
「ふ、ふ、ふ、ふぇぇぇぇっ!」
??????
大変な事実に気が付いたのに。
自分の声が赤ん坊のようで、さらにパニックになる。
赤ん坊のようで……ではない。
赤ん坊だ!
私、赤ん坊になっている……!
◇
自分が乙女ゲーム『ラブ・マジック~魔法学園で恋をしよう!~』(通称“ラブマジ”)の世界に転生していると気づいた。
前世で最期の記憶を辿るに、きっと自動車事故に遭ったのだと思う。そしてその時プレイしていたスマホの乙女ゲームの世界に転生した。いわゆる異世界転生をしていたようだ。
しかも悪役令嬢エマ・リリー・キャンデル伯爵令嬢に!
エマは典型的な悪役令嬢だ。
シルバーブロンドの波打つような巻き髪。アメシストを思わせる美しい瞳。ミルクのような肌に薔薇色の唇。ほっそりとした首と手足、そしてくびれたウエストに豊かな胸。
つまりスタイル抜群で美女なのに、性格が悪い。
ヒロインに嫌がらせをして、恋路を邪魔し、でも最後には悪行がバレる。
そして表舞台から消えていく――。
いつも思うのです。
異世界転生、なぜ、ヒロインに転生させてくれないんですかっ!と。
でもあれなのかな。
悪役令嬢なんて、みんなやりたがらない。
異世界から転生させるしかないのかな……。
でもね。
異世界から転生させても。
それ、シナリオの破綻につながるのに!
だって断罪される未来を知っていたら、当然、生存本能で回避行動をとるものでしょう。
ということで私も回避行動、とるしかないかな。
まだ赤ん坊で前世記憶を取り戻した私は、乙女ゲーム“ラブマジ”のことを思い出す。
ゲームスタートの画面。
それは魔法学園への入学だ。
世界観がヨーロッパだから、入学式は九月に行われる。
ヒロインも、その攻略対象も。そして悪役令嬢も。
みんな王立エール魔法学園へ入学し、そこで物語が始まる。
誰を攻略するのか。
プレイヤーはヒロインとして、攻略対象から一人を決める。あとは学園卒業までの時間を使い、攻略対象を落とすために奮闘するのだ。そして悪役令嬢であるエマは、ヒロインが選んだ攻略対象と漏れなく婚約することになる。でもって婚約者に手を出すヒロインに嫌がらせをして、それがバレ、断罪まっしぐら。一方のヒロインは見事攻略対象とゴールインなのだ。
重要なのは、この断罪の内容。
攻略対象は三人。この国の王太子(断頭台送りする人)、公爵家の嫡男(社交界から追放する人)、隣国からの留学生の第二皇子(父親が爵位剥奪され、一家離散。終身刑を課す人)。
ヒロインが公爵家の嫡男を選べば、悪役令嬢のエマは、社会的に抹殺される。だが一応屋敷の中で、引きこもり状態ながらも生きることが可能だ。
第二皇子をヒロインが選んだとしても、家族は不幸になり、エマも塀の中で一生を送ることになるが……。生きていられる。
つまり王太子をヒロインが選んでしまうと、血と涙と汗の断罪回避行動に励むことになるのだ。
そうやって回避行動にあくせくしても、そこにはシナリオの強制力が働く。断罪回避はうまくいかない。結局、婚約破棄からの断罪ルートまっしぐらなのだ、悪役令嬢は。
だから悪役令嬢である私は願う。
なにしろ現在、まだ赤ん坊。
無力過ぎて、何もできません。
勿論、高飛車エマにならないよう、性悪エマにならないよう、そこは気を付けて成長するつもりです。ですがどうか神様、お願いします。
「断罪が軽い攻略対象を、ヒロインが選んでくれますように(祈)」
要するに公爵家の嫡男か第二皇子を、ヒロインが選んでくれることを願い、成長することになったのだ。
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