【第四十六話(1)】戦い続けた先の景色(前編)
「桜の根っこ邪魔すぎる……」
瀬川は明らかに苛立ちを隠せない様子でため息を吐きながら、アスファルトの上を這うように伸びた樹根を乗り越える。
前園もそれに続くように樹根を乗り越えようと両手を掛けた。それから何度もぴょんぴょんと飛び跳ねるが、体力に劣る彼女の力では樹根をよじ登ることが出来なかった。
「……ね、セイレイ君……」
「わーったよ、ほら」
縋るような幼馴染の視線に、瀬川は呆れたようにため息を吐きながら手を差し伸べる。
前園は瀬川の腕にしがみつくようにして、よじ登った。それから彼に抱きかかえられる形となる。
「ありがとっ、セイレイ君。大好きっ」
「……おう」
商店街ダンジョンで経緯はどうあれ、堂々と告白をした前園はいつしか自分の想いを隠すことを止めていた。
ふとした時に瀬川に好意を伝えては、反応に困った瀬川がしどろもどろと狼狽える。
「ねー、セイレイ、私も―」
「姉ちゃんは自分で登れるだろうが」
そんな和やかな様子を見せる二人の間に、茶化すように一ノ瀬が両腕を広げながら話しかける。だが、瀬川は呆れた表情で冷ややかに一ノ瀬を見下ろした。
「ぶー」
不貞腐れながらも一ノ瀬は樹根を軽々と飛び越える。そして、樹根の上に立った彼女は、上ってきた道を高くから見下ろした。
桜の花弁が舞い散る中、広がるパノラマ。高所から見下ろす木々の生い茂る景色は、肌を介して自然の生命力を如実に伝える。
一ノ瀬の行動を真似るように、瀬川と前園も彼女と樹根の上に立って辺りを見渡す。
「……すごい景色、だな」
瀬川の言葉に前園は静かに頷く。それから、瀬川の体に引っ付きながら相槌を打つ。
「うん。とても綺麗だと思うよ。でも……」
「そうだね。たった魔王一人で生み出した景色が、正しいはずがない」
一ノ瀬の言葉に、瀬川はどこか寂しげな表情をして俯いた。
「ああ。色んな命が作り出す景色だから、美しいと思えるんだ。俺は、俺達は一人で世界を作っている訳じゃない……」
瀬川の意見に同意するように、一ノ瀬は言葉を続けた。
「……私達は特に配信を介してそれを知ってきたはず。皆がいるから、皆と戦ってきたから。私達はここにいるんだ」
勇者一行にとって、配信を行うことは自分達が戦う手段という言葉以上の意味を持っている。
沢山の人々が、勇者に力を貸してくれた。沢山の言葉が、セイレイを勇者にしてくれた。
改めて、一ノ瀬の言葉に瀬川はその意味を再認識する。
「……皆がいるから、俺もいる。俺は、俺一人で生きてるわけじゃない……」
「そう。そうなの。セイレイ君が居なかったら、私はとっくにこの世界に居ない。そして、私が居なかったら君は配信が出来ていない……そこはお互い様、だね」
前園の言葉に、瀬川はパノラマを見渡しながら言葉を返す。
「……そうなのかな。俺は、これまで誰の居場所を作ってきたんだろう……」
ふと、瀬川は前園が主体で開いた雑談配信を思い出す。
前園が、皆の居場所を作るんだと誓ったこと。その言葉はずっと瀬川の心の奥底に残っていた。
再び物思いに耽り出した瀬川の様子に気づいた一ノ瀬が、声を掛ける。
「セイレイ。それは、集落に着いてから考えればいい。今ここで憶測で語っても仕方のないことだよ。……森本さんも、言ってたでしょ?どこまでが憶測で、どこまでが事実かって」
「……」
今は亡き森本の言葉を思い出した瀬川は再び俯いた。
そんなしんみりした雰囲気の勇者一行に近づく人影が一つ。
「あのー……ちょっと通らせてもらってもいいー……ですかー……?」
樹根の上に立って並ぶ彼らが邪魔だったのだろう。そののんびりとした中世的な声を持つ少年が、おずおずと声を掛けてきた。
「あっ、ごめんね」
その言葉に振り向いた一ノ瀬は慌ててその樹根から飛び降りて、声の主に駆け寄る。
一ノ瀬が駆け寄った方向に、瀬川と前園も樹根から降りて、その声の主へと近付く。
「あ、いえいえっ。大丈夫です」
そこにいたのは、艶やかな藍色の髪を伸ばした、中世的な雰囲気を纏った少年だった。長い髪をヘアピンで留めている為、より一層女性らしい印象を受ける。
首元にポンチョを巻いており、その隙間からは七分袖のシャツを覗かせていた。
彼は大きなビニール袋に入った肥料を肩に掛けており、右手には薪割に用いられると思われる斧が握られていた。落下防止用にだろう、斧と手首は麻紐で結ばれていた。
「いや、俺らこそ邪魔してごめんなさい。おm……君はそこの集落から来た人?」
瀬川はあまり使い慣れていない敬語でその少年に問いかける。
藍色の髪の少年は、その質問に答えることなくじっと瀬川の目を見つめていた。
「……あの?」
あまりに無言でみつめられるものだから、なんとなくばつが悪くなった瀬川はその少年から目を逸らす。
しばらくして、その少年は笑顔になり、表情がぱあっと輝きだした。
「やっぱり!!やっぱり勇者様だ!!テレビで見た!!」
「……テレビ?」
テレビという単語にあまり馴染みのない瀬川は首を傾げる。
「ほら、家電量販店ダンジョンで見たでしょ、あのおっきな板のことだよ」
理解をせっつくように、前園は瀬川に肘で何度も小突く。しばらくして、何かと結びついた瀬川は両手をパンと叩いた。
「あ、もしかしてあの空一面に広がった画面のことか!!」
「……テレビ……知らないの……?」
魔災以前の世界をほとんど知らない為に仕方ないと言えば仕方ないのだが。テレビという単語を知らないことに二十七歳の一ノ瀬は、一人ジェネレーションギャップを感じて凹んでいた。
そんな勇者一行を他所に、藍色の髪の少年はふと思い出したように飛び跳ねる。
「あっ、もしかしてこの先の集落に来てくれるの!?おいでおいで、皆歓迎すると思う!!」
嬉々とした様子で、その少年は朗らかに笑う。それから、肩に大きなビニール袋を乗せたままひょいと身の丈ほどの高さの樹根の上に飛び移った。
「え、すごいっ」
その身体能力に、前園は思わず感嘆の声を漏らした。
くるりと振り返った彼は、その身体能力に驚いて呆けたままの勇者一行を見下ろしながら微笑む。
「ほら、案内しますっ。勇者一行が来たっていったら皆喜ぶよーっ」
そう言って、一足先に少年は樹根から飛び跳ねるように進む。
瀬川と前園、一ノ瀬はお互いに顔を見合わせる。
「……とりあえず、あいつについて行ったらいいんだよな」
「うん。ただ、私はあの子に色々と聞いてみたいことがあるんだけどさ……」
「穂澄ちゃんと同意見。あの身体能力もそうだけど」
一ノ瀬の言葉に、瀬川は神妙な表情をして頷いた。
「……ああ。俺も気になってた」
「持ってた肥料の袋……あれ、すごく綺麗だったよね。魔災で長年放置されていたとは思えないくらい」
一ノ瀬と瀬川からすれば、少年の正体についていろいろと確認したいところだろう。
前園もそれには同じ気持ちを抱いていたが、優先順位はそこではないと首を横に振る。
「……その話を考えるのは後にしようよ。とりあえず、あの子の案内に任せよっか」
「そうだな。このまま話を続けていると置いて行かれてしまう」
瀬川がそう言った途端、頭上から再び少年の声がした。
「おっそーい!!何かありましたーっ?勇者様達、登れないんだったら手伝いますよーっ」
どうやら、いつまで経ってもついてくる様子のない勇者一行にしびれを切らして戻ってきたのだろう。そう言っていそいそと斧と結び付けていた麻紐を外そうとする少年を、慌てて瀬川は静止する。
「い、いや、大丈夫だ。……悪いな、初対面なのに色々と気を遣わせて」
「……初対面……」
思わず漏らした瀬川の言葉に、少年の表情は陰りを見せる。
「どうした?」
瀬川が心配そうにその少年の顔色を伺う。その声にハッとした少年は慌てて首を横に振った。
「う、ううん。なんでもないっ!ほら、ほら、行きますよっ」
「ああ……というかお前、多分俺らと年ってそう変わらないだろ?別に敬語使わなくていいぞ」
「え?そうですか?じゃないや、そっか、分かったっ」
その藍色の少年は、瀬川の言葉にコロコロと表情が左右される。
かつての瀬川を思い出させる表情豊かな彼の姿を見ながら、一ノ瀬はぽつりと呟く。
「……私だけ、皆よりも年上なんだけど……」
しれっと瀬川が言った、『俺らと年ってそう変わらない』という言葉に、少しだけ傷ついた一ノ瀬だった。
To Be Continued……