【第四十三話(2)】勇者としての責務(後編)
さほど規模としては大きくない書店であった為、今回はダンジョンボスは存在しない。
そのダンジョン化した書店の最深部には、例の如く七色に光る宝石である追憶のホログラムが存在した。
セイレイは、それを感心なさげに見やり、それからホズミのドローンに視線を送る。
「ホズミ。さっさと追憶のホログラムを融合させようぜ」
『……え?映像は見なくていいんですか?』
その言葉に、ホズミは困惑を隠すことが出来ない。
追憶のホログラムが映し出すかつての光景を撮影することが、もはや配信の一連の流れとなっている。ホズミにはその過程をスキップするということが理解できなかった。
だが、セイレイは呆れたようにため息を吐く。
「別に見てもいいんだけどさ、お前の望むような結果は得られないと思うぞ?なあ姉ちゃん」
「……」
セイレイはnoiseに賛同を求めるが、彼女は黙りこくって何も言わない。
ホズミだけがセイレイの言わんとしていることを理解できず『でも……』と食い下がった。
納得の行っていない様子のホズミの声音に、セイレイは頭を掻きむしり呆れたようにため息を吐く。
「あー……っ、わーったよ。起動させればいいんだろ、ほらよ」
気だるげな声音でセイレイは、追憶のホログラムに手を伸ばした。
宝石を中心としてプログラミング言語が大地を走り、瞬く間に光と共に世界は書き換えられる。
かつての、書店の元の姿へと。
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人々は、静かに書店の本を手に取って読み漁っている。
書店おすすめの本にポップが貼られ、人の注意を引き付ける。
老若男女問わず様々な人達が行き交い、皆同様に本を求めて訪れる。
そのホログラムは、瞬く間にかつての追憶の光景を映し出した。
今までであれば、コメント欄は各々の思い出に溢れていたはずだ。
だが、今回は待てど暮らせどほとんどコメント欄が更新されることはない。
[……ごめん、今そんな気分じゃない]
[懐かしいのは懐かしいんだけど、なんか盛り上がらない]
辛うじて流れたコメント欄からは、そのようなコメントがされていた。ホズミはその理由を理解できず、戸惑いを隠せない。
『……セイレイ君、これは……』
「当たり前だろ?お前さ、欲求階層説知らねえの?」
『何それ?』
ホズミの質問返しにセイレイは大きくため息を吐く。それから、noiseの方へとちらりと視線を送った後、説明を始めた。
「俺なりの解釈で良いんならな。人間のニーズってのか?それが段階ごとに分類されるって話だ。一番最初に満たされなきゃなんねー欲求ってのが、食べるとか、飲むとか、寝るとか。まーそもそも生きる為に必要なやつのこと。そこまではわかるか?」
『……生命維持に必要な要素、ってこと?』
ホズミのフィードバックにセイレイは頷いた。
「そ。んで食べるとか寝るとか、それらがある程度満たされたら次は安全が満たされなきゃなんねー訳。ライオンの前で悠長にご飯とか食べられねーだろ?寝られねーだろ?大前提でそもそも蹴躓いちまってんだよ、皆」
『今は世界がめちゃくちゃで、身の安全が守られてないから。追憶のホログラムに感動する余裕すらないってこと……か』
「ま、その解釈で良いと思うさ。俺らは戦う力を持ってるから、そこの基準で狂っちまってんだ。……すまねえな、この配信を観てる皆」
セイレイはそう言いながら、ドローンのカメラに向けて頭を下げた。
[いや、セイレイいつの間にそんな知識を付けたんだ]
[確かにな、って説明されて納得したけど。正直驚いた]
[前までそんな知識無かったよな?セイレイ]
ドローンのホログラムが映し出すコメント欄は、セイレイの知識を認める言葉で埋め尽くされる。
だが、セイレイは恥ずかしそうに頭を掻いて目を逸らした。
「……や、俺だってこの解釈で合ってるかと言われたら自信ねーよ。ただ、俺なりに姉ちゃんの本を借りて勉強してんだ、もう馬鹿のままでいるのは嫌だからさ」
その言葉に、noiseはこくりと頷いた。
「正直、セイレイの飲み込みは早い方だ。自分なりの解釈を返してくれるから、その都度知識の調整が出来る。勉強に大切なのは得た知識のフィードバックだからな」
「姉ちゃんの箔がつくとありがたいよ。……つーわけでホズミ、理由は分かったな。情報確認の為にホログラムを起動させる必要がありそうならさせるが、そうでないならさっさと融合させるぞ」
『……分かりました』
釈然としない様子だったが、ホズミはそのままドローンを追憶のホログラムへと近づける。
追憶のホログラムがドローンに吸収されるにつれて、光はより一段と強まった。光が、世界を瞬く間に飲み込んでいく。
——やがて、静寂が再び生み出された。
それに伴い、ダンジョン内を覆っていた樹根も光の粒子と化し、世界から消えた。
[information
サポートスキル”支援射撃”が強化されました。特定範囲内で、ホーミング機能が付与されます]
そのシステムメッセージをちらりと眺めた後、セイレイはファルシオンを手放し、光の粒子へと変える。それから、うんと大きく背伸びした。
「ま、このダンジョンの配信はこれまでだな。さっさと戻って次の配信準備をしないと」
「セイレイ。今日はこれで終わりだ。休息に入ろう」
セイレイの意見に反対するようにnoiseがそう言う。だが、セイレイは納得がいかない様子でnoiseに食って掛かる。
「はあ!?まだ俺は戦えるぞ、まだ配信できる!!さっさと世界を取り戻さねえと!?」
『セイレイ君。私もnoiseさんと同意見です』
「ホズミまで!なんで、どうして!?」
ドローン操作を行える二人から反対され、セイレイは困惑した様子で怒り狂う。
セイレイの心の内にあるのは、世界を救いたいという想いよりも、自身に課せられた呪いによるものが大きい。そのことをホズミもnoiseも理解していたからこそ、彼の意向に従うことはできなかった。
「早く次の配信に入らねえと!!世界が救えない。皆、希望の配信を待ってる!!」
『こんなのは希望の配信じゃない。セイレイ君、君が倒れたら何もかもがおしまいなんだよ?』
「だ、か、ら!!俺は戦えるって言ってるだろうが!!」
ホズミは懸命にセイレイを宥めるが、彼はわがままを言うように必死に反対する。
そんなセイレイの肩をnoiseは叩き、静かに首を横に振った。
「お前は焦りすぎだ。一番危険なのは、自覚が無い状態だ。一旦冷静になれ」
「俺は冷静だ……っ」
いつまでたっても話は平行線のまま。
しばらくして折れたのは、セイレイだった。noiseの言葉にセイレイはそっぽを向き、舌打ちする。
「ちっ、わーったよ……休めばいいんだろ、休めば……」
路傍に転がった瓦礫の欠片を蹴飛ばし、ぶつくさと文句を言いながらダンジョンを後にするセイレイ。それをnoiseは無言で見送る。
これも、彼が魔王セージと対面してから大きく変わってしまったことだった。彼は、自身の行動の妨げとなることに対し酷く敵視するようになってしまったのだ。
やがてセイレイの姿が見えなくなった後、彼女は糸が切れたように緊張感が抜け、ため息を吐いた。
「……ほんっとうに、あのバカ……いつか倒れるよ……」
『どうにかしたいけど……私達だけじゃあ、厳しいなあ……本当に、どうしよう……』
ホズミも、noiseも今のままではいけないことは分かっている。
こんなのは、勇者一行の希望の配信とは言えない。世界を救う為の旅を、ずっとこんな調子で続けていては身体が持たず。いつかセイレイは倒れてしまう。
そのことを理解していても、二人の言葉はまるでセイレイの心の奥底には届かない。
『……ライトさん。貴方なら、セイレイ君にどんな言葉を掛けますか……』
ホズミはぽつりと呟いた。
しかし、既に空へと旅立ってしまったライトから、二度と言葉が返ってくることは無い。
noiseも複雑な表情を抱えたまま、ドローンへと視線を送る。
「とりあえず、私も戻るよ。これからの方向性も確認したい」
『あっ、うん。分かった』
そう言って、noiseとホズミが操作するドローンは、攻略を完了したダンジョンを後にする。
--当配信は終了しました。アーカイブから動画再生が可能です。--
★★★☆
「おう。戻ったぞ」
瀬川はパソコンをリュックサックへと片付けている前園に声を掛けた。
彼女はちらりと幼馴染に視線を送った後、彼の懐へと飛び込むように抱き着く。
「おわっ」
「……お疲れ様。セイレイ君」
こんなことが瀬川の気休めになるかは分からない。けれども、自分を傷つけ続けて戦い続ける幼馴染の姿を前園は見ていられなかった。
瀬川は優しく前園の頭を撫でながら、一ノ瀬に視線を送る。
「姉ちゃんも、お疲れ様」
「ありがとう。……今日はここを拠点にしよう。食料はまだあるし。それに近くにあの時の商店街みたいに、ホログラムがずっと起動しているスーパーもあるみたいだし」
一ノ瀬はちらりと、そのスーパーの方向に顔を向けながら話す。
だが、瀬川の意識はそこにはなかった。前園の元へと戻ったドローンへ視線を向けながら、質問を投げかける。
「……もう一度聞くが、今日は配信しないのか?」
瀬川は何かを期待するようにそう問う。しかし、一ノ瀬は静かに首を横に振った。
「……セイレイの都合だけで配信を続けることはできない」
その言葉が癪に障ったのだろう。瀬川は滲み出る怒りを堪えるように一ノ瀬を睨む。
「……どういうことだ?」
言葉の意味を理解できていない瀬川に対し、一ノ瀬は彼を冷ややかに睨み返しながら説明する。
「私や穂澄ちゃん。そして、配信を観る視聴者の人達の都合もあるんだよ?君一人で配信が成立する訳じゃない」
一ノ瀬は淡々と事実を述べた。
その一ノ瀬により羅列された事実に対し、反論材料を持たない瀬川は思わずたじろぐ。
「で、でもさ。支援額が残っていれば、動画を見る人が居なくても戦える……」
「……また、喪わせるつもりか?」
「っ……」
必死に説得を試みた瀬川に、一ノ瀬は冷たく言い放った。
その言葉に反論することの出来ない瀬川。彼は言葉に詰まり、それから俯いた。
「セイレイ君……」
瀬川に抱きついたまま、静かに話を聞いていた前園。彼女の腕に、微かに力が籠った。
一ノ瀬はここが攻め時だと言わんばかりに、彼を更に理屈で追い詰める。
「もし、どうしようもない強敵がまた立ち塞がって。支援額も空っぽになって。どれだけ宣告しても、叫んでも。助けたい人すら助けられなかったら?お前はまた、同じ轍を踏むのか?」
一ノ瀬は、あえて森本の最期を連想させるようにまくしたてる。その言葉が瀬川の心を抉ると知りながら、傷つけると知りながら。
それでも、今のボロボロになってまで剣を振るい続ける瀬川を止める手段は、この方法しか一ノ瀬は見つけられなかった。
「次の森本さんは、私か、穂澄ちゃんになるかもしれない。ねえセイレイ。もう一度聞くよ。本当に、一日の間に休みなく、何度も配信をするの?」
「……っ、嫌だ」
その悲痛の声を漏らす瀬川に、先ほどまでの覇気はない。
「……もう、皆を死なせたくないよ。嫌だ、嫌だ……」
「……うん」
一ノ瀬の言葉に、徐々に瀬川の声音が弱々しくなる。
どれだけ自分を繕っても、本質となる彼の姿は変わらない。それは、普段から自分を偽っている一ノ瀬が一番分かっていた。
「ごめん。俺、皆を死なせたくない。姉ちゃんも、穂澄も、死なせたくない……」
その言葉を聞いた一ノ瀬は、優しく瀬川を前園ごと自身へと抱き寄せた。
「……姉ちゃん」
「もう、私達しかいないんだよ。千戸先生は私達の敵になってしまって、森本さんはもういない。だから、どうするかは分かるよね?」
「……分かる。分かるよ。でも、俺はもう進むしかないんだ。戦うしかないんだ。もう少しだけ、考えさせてほしい」
瀬川の心の内の声を聴いた一ノ瀬。彼女は一度だけ優しく瀬川の頭を撫でて、それから抱き寄せていた手を解いた。
「うん。君の事情は分かるよ。焦る気持ちも分かる」
「俺の、俺のせいで……皆、散々な目に遭ったから。俺が余計なことをしたせいで、何もかもめちゃくちゃになったから。だから、戦わなくちゃ。俺が、全部の責任を背負って戦うことが、勇者としての責務だから……」
「……うん」
一ノ瀬は静かに瀬川の言葉に相槌を打つ。
次から次に、瀬川は自分の想いを漏らしていく。
「……分からない。分からない……でも、進まないといけないんだ。世界を取り戻さないと、もう俺のせいで誰も死なせたくないから。もう、辛い思いをする人を増やしたくない」
ぽつり、ぽつりと瀬川は本音を漏らす。
その言葉を聞きながら、前園はゆっくりと瀬川の胸元から顔をのぞかせた。
「ね。セイレイ君……誰も死なせたくないのは、私達も同じだよ。でも、今日は頭を冷やそう」
「……」
そこで、前園は言葉を切って大きく深呼吸した。
瀬川は黙って、前園の続く言葉を待つ。
「何度でも聞く。何度でも向き合う。私もセイレイ君とずっと長く一緒に寄り添ってきたから。配信を始めたことが全ての原因だって言うのなら、セイレイ君だけの責任じゃない」
「いや、言い出しっぺは俺だ。俺が」
「違う、と言っても君は責任を背負おうとするんだろうね。でも、私にも責任の一環はある。そうじゃなけりゃ、私は今頃配信なんかしてない」
「……」
瀬川はそれ以上何も言葉を続けることが出来ず、俯いた。
話に一区切りがついたところで、一ノ瀬は立ち上がって周囲を見渡す。
「……とりあえず、今日はゆっくりと身体を休めよう。私達だけで考えても答えの出ない話だ」
一ノ瀬の言葉に前園は頷いた。
「うん。一ノ瀬さんの言う通りだね。一日で解決する問題でもないし」
「……俺は……」
瀬川は、自分がどうするべきなのか分からなくなっていた。
自分の育ての親であった、千戸 誠司は魔災の原因を知る当事者だった。そして、彼はかつて瀬川達が過ごした集落を破壊へと導いた張本人。
そして、どういう力の理屈かは分からないが。彼は魔王セージへと姿を変える。
「世界を取り戻さないと、俺が、戦わないと……」
瀬川を取り巻く焦燥感は、どれだけ経っても消えることはない。
逃げることの出来ない罪は、どう足掻いても瀬川の心から離れることはなかった。
To Be Continued……