【第四十話】魔法使い:前園 穂澄
魔災が起きた日のことは、はっきりと覚えている。
お父さんとお母さんの休みがたまたま重なって、平日だったけど家族総出で遊園地に行く予定の日だったから。
駅のホームで、私は鼻歌を歌いながら電車を待っていたのを覚えている。
まだかな。まだかな。遊園地で何が待っているのかな、どんな面白い乗り物に乗れるのかな。
幼い私は、心を弾ませながらその時を待ち続けた。
——今も、待ち続けている。
ホームに、電車が到着するその時を。
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追憶のホログラムが映し出す、全ての崩壊の始まり。
「……描く、描くんだ……」
セイレイは、自分に言い聞かせるようにスケッチブックに鉛筆を走らせる。
最悪の日の痕跡を、ペンを走らせ刻んでいく。
「それで、いい。セイレイ君……それでいいんだよ」
その姿を、ホズミは邪魔にならないように離れて見届けていた。
ホズミは一時も忘れたことはない。
魔災が起きたあの日。それまでそこにあったはずの希望も、楽しみも、何もかもを奪っていったからだ。
だからこそ、残さなければならないと思った。こんな、最悪の世界を二度と引き起こしてはいけない。
同じ過ちを繰り返すことのないように、記録に残すこと。
それが、ホズミが果たすべき責任なのだと考えていた。
三年前の集落を魔物が襲撃した時もそうだ。
気づけばホズミはドローンを操作していた。集落の人々の最期を、必死に撮影していた。
断末魔をその耳で聞きながら、臓物をまき散らす瞬間を、しかと目に焼き付けながら。
それでも、逃げるわけにはいかなかった。
「俺を目の前にして、悠長にスケッチとはな。随分と呑気なんだな?」
千戸は二人をせせら笑うようにして見下す。
気づけば、いつの間にかホログラムは姿を消していた。
再び、桜舞い散る商店街の姿が彼らを取り巻く。
ホズミは怒りを胸の奥に押し殺し、無理な笑顔を作って答える。
「……貴方が、セイレイ君の行動を無下にするとは思えないので。ほら、これが貴方の望み通りの姿でしょう?」
「よく分かってるじゃないか」
「セイレイ君を、自分の思い通りの姿に育てることが出来て満足?」
両手杖を強く握りしめ、ホズミは千戸を睨む。
「ああ。希望の種は、遂に花開くんだ。瀬川 怜輝という小さな希望の種は、遂に花開いた」
その言葉に、デッサンを終えたセイレイがゆっくりと立ち上がる。
「——穂澄。これを片付けてくれ」
スケッチブックと鉛筆を受け取ったホズミは、それらを静かに戻した。
セイレイは静かに千戸を見据える。
「センセー。改めて確認したい。三年前、俺達が居た集落を魔物に襲わせたのは……センセー……なのか?」
その言葉に、千戸は顎に手を当てた。
しばらくして、返事の代わりに千戸が返した言葉は、セイレイを激昂させる。
「おかげで、勇者セイレイが完成する鍵となっただろう?」
「――っざっけんなっっ!!」
セイレイは姿勢を低くし、全速力で駆け出す。総支援額は消費しきっている為、スパチャブーストは今は使えない。
すかさずファルシオンを顕現させ、千戸の喉元を狙う。
もはや、恩師の命を奪うことに対する躊躇はそこにはなかった。
「……だが、まだ七分咲きだ。お前は勇者として完全に開花していない」
再び千戸の足元のタイルを突き破って伸び出した蔦。それは、セイレイが振るう横薙ぎを容易く受け止める。
「ちっ、なんだよこれ……っ!!」
『セイレイ!!引いて!!』
ドローンのスピーカーを介して、noiseの叫び声が響く。
しかし、その声に反応するよりも前に、千戸が出現させた蔦が振るう、しなる鞭のような一撃がセイレイの腹部へと直撃するのが先だった。
「がっ……!!」
その一撃に、セイレイは大きく吹き飛ばされる。
シャッターに激しく身体を打ち付け、土煙が激しく舞い上がった。
「セイレイ君っっ!!!!」
ホズミは思わず叫んでいた。駆け足で、土煙の中へと飛び込む。
総合病院ダンジョンの時に、セイレイの体力が全損した。その記憶がホズミの脳裏にフラッシュバックする。あの時は、”自動回復”のスキルがセイレイを助けてくれた。
しかし、スパチャを使い切った今、彼を助けるものは何もない。
——私が、感情に身を任せて総支援額を使い切らなければ。
先走る後悔の念がホズミを襲う。
『ホズミ!冷静になれ。勇者の体力は3割を残している。生きている!!』
そんなホズミの胸中を悟ってか、noiseが懸命にセイレイの状況を報告する。
noiseの声にこたえるように、土煙の中で這いずるセイレイが上体を起こした。
「……っ、穂澄……大丈夫だ。俺は、大丈夫……ここにいる……」
「セイレイ君……、ごめん、私……」
後悔に俯くホズミの手に、セイレイは優しく自身の手を重ねる。
「大丈夫だ。お前が居るから、俺は安心して戦えるんだよ」
『……私が許可する。魔素吸入薬を使え』
「……うん」
noiseの指示に従い、ホズミは”ふくろ”から魔素吸入薬を取り出し、セイレイに渡す。
それを受け取ったセイレイは、一気にそれを吸い込む。やがて体力の回復したセイレイはゆっくりと身体を起こした。
「……まだ、これだけ失っても足りないか。何を失えば、お前は勇者として完璧に開花する?」
周囲を取り巻く蔦を千戸はまるで自身の手足のように器用に操作し、自身の元へと集める。
千戸との決戦を配信する姿に、徐々に勇者配信のコメント欄は加速し始めた。
[ごめん遅れた 1000円]
[これ、使って 1000円]
[俺達だって他人事じゃない。魔災に巻き込まれたのはみんなそうだ 1000円]
[勝って。許しちゃだめだ、こんなめちゃくちゃする奴を 1000円]
[いけ、絶対に倒せ 1000円]
[負けないで!! 1000円]
[俺達がお前たちを支援する 1000円]
「ほう……まだ、こんなにスパチャを残している者が居たか」
次から次に流れる青色のコメントフレームに、千戸は興味深そうに眉を上げる。
それから、ゆっくりと手を掲げた。
「希望に期待するから、絶望が生まれる。絶望が頭から離れないから、希望が生まれる。お前達には、それを学んでもらおう」
次の瞬間。千戸の動きに従うように、周囲から延びた蔦が一気にセイレイとホズミの方向へと襲い掛かった。
「……っ!!」
セイレイはホズミを庇うようにファルシオンを強く握り、身構える。
しかし。
「狙いはお前ではない」
「なっ……」
それらの蔦は、セイレイを避けるように放射状に広がる。散り散りになった蔦は、次にホズミを取り囲み始めた。
『ホズミちゃん、逃げて!!』
「……っ!?」
ホズミはすかさず身を翻し、蔦から逃れようとする。だが、それよりも先に蔦がホズミを捉えるのが先だった。
全身に巻き付いた蔦が、ホズミの行動を制限する。
成すすべなく縛り上げられたホズミ。その全身は、千戸が操作する蔦に伴って大きく持ち上げられる。
「穂澄ッ!!!!」
セイレイはファルシオンを構え、大声で幼馴染の名前を叫ぶ。
そんなセイレイに対し、ホズミは縛り上げられた身体で場違いな感情を抱いていた。
——ああ、セイレイ君が私を呼んでくれている。……幸せだなあ。
ずっと、ずっと。名前を呼んでいてほしいよ。
その言葉だけで、私は実感できるんだ。
私はここにいる、ここが私の居場所。
電車はもう来ないけれど。
ここが、私のホームだから——。
「スパチャブースト”青”!!」
[セイレイ:五秒間跳躍力倍加]
宣告したセイレイは、すかさずホズミを取り巻く蔦を切り払うべく跳躍する。
「ぜああああああああっ!!!!」
叫び声と共に、ファルシオンを振り下ろす。
だが、その攻撃はホズミに巻き付く蔦には届かなかった。なぜなら。
「——これも、セイレイの為だ。許せ」
千戸が振るう腕の動きを真似るように動いた蔦が、セイレイを蠅のように叩き落としたからだ。
激しく地面にたたきつけられたセイレイの体力ゲージが、再び大きく減少する。
『セイレイっ!!!!』
noiseはナビゲーターの役割も忘れ、動転して叫ぶ。
最悪が、近付く。
「……えへへ」
そんな中、ホズミは柔らかい笑みを作った。
彼女はニコニコと穏やかな笑みを浮かべながら、千戸に視線を送る。
「……千戸。これで満足?ね、私もセイレイ君の糧になるんだよね?」
『穂澄……ちゃん……?』
まるで命を握られているとも思えないホズミの和らな表情に、noiseは困惑の声を漏らす。
「……物分かりが良いな。さすがだ、穂澄」
「っ……や、やめ……ろ……」
セイレイは地面を這いずりながら、必死に抵抗の声を漏らす。
だが、体力が大幅に削れてまともに動くことの出来ないセイレイの声は、千戸には届かない。
「全ての死は、たった一つの生の為だ。その為なら、俺は魔物でも魔王でも、何にでもなろう」
「やめろっ……!!!!」
セイレイの懇願する声は、千戸には届かない。
「卒業、おめでとう。お前達は、この世界で新たな役割を得るんだ」
その言葉と共に、ホズミを取り巻く蔦はより一層、彼女を締め付けた。
桜が、舞い散る。
「あぐっ……あああっ、ああああああああああああああああ!!!!!!」
ホズミの苦悶の叫び声が、配信内に響き渡る。
蔦同士が強く締め付け合う音が。
全身を強く締め付け、骨の軋む音が。
ホズミの臓器を圧迫し、締め付ける音が。
空に映し出すモニターを介して、全世界に配信される。
『やめてええええええぇぇぇえ!!!!』
「やめろ!!穂澄!!穂澄っっっっ!!!!」
セイレイと、noiseの叫び声が配信に重なる。悲痛にも、悲鳴にも似た声。
そして、その声に重なる声がもう一つ。
低く、よく通る男性の声だった。
「——スパチャブースト”緑”」
[ライト:光線銃]
熱光線のような、鋭い光の弾丸が突如としてホズミに巻きつく蔦を焼き払う。
「……ぁ……」
紐解けた蔦から、力の抜けたホズミの体が重力に従い、ゆっくりと落下する。
彼女を受け止めるべく、セイレイは自らの痛みも忘れ立ち上がった。それから、すかさずセイレイは宣告する。
「スパチャブースト”緑”っ!!」
[セイレイ:自動回復]
そのシステムメッセージが表示されると共に、セイレイの全身を淡い緑色の光が纏う。
「ぐっ!?」
ホズミの華奢な体と言えど、位置エネルギーの伴った彼女の身体を受け止めることでセイレイは精一杯だった。
激しく尻餅をついたセイレイ。彼が纏う光が、ホズミにも伝播する。
光に照らされたホズミの傷が、徐々に癒えていく。
それから、ホズミはゆっくりと目を覚ました。
「……私、私……は……」
「穂澄。穂澄。穂澄……」
セイレイは、ただ幼馴染の名前を繰り返し呼び続けた。徐々に、彼女を掴む手の力が強くなる。
「……ごめんね。セイレイ君」
そんなセイレイに向けて、ホズミはぽつりと謝罪の言葉を漏らした。
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ごめん。本当に、ごめんね。
私、千戸の言葉を聞いて「私の死もセイレイ君の役に立つのなら」って思っちゃってた。
こんな配信、セイレイ君が望むわけがないのに。
私達はLive配信として、生きて未来を繋がないといけないのに。
昔、「一緒に支え合って生きよう」って約束したのにね。
ね、覚えてる?
私達が出会って、あちこちの集落を転々としていた日。食べるものもろくになくなって、どうしようもなくなった時にたどり着いた集落。
三年前に、魔物に襲われてもう存在しなくなった集落だけど。私は、今でも覚えてる言葉があるんだ。
お腹が空いた私達に差し出した根菜類のたくさん入った味噌汁。それと共に、かけられた言葉。
『いつの時代も、皆が生きているから私達は生きているんだよ。悪い人かいい人か、判断するのは生きてから、だよ』
……そう言ってたの、私はずっと忘れない。
忘れてなかったのに。
守れてなかった。
生きようとすることを、止めちゃダメだったんだ。
希望の配信という名前の電車は、いつまでも私が乗り込むのを待っていたのに。
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配信内に突如として乱入した森本、改めライトは変形させた光線銃を続けて千戸へと向けた。
「……ライト、か。お前は、一体何をしに来た?俺達の会話に割って入って欲しくないんだがな」
ライトの行動を咎める言葉を千戸は発する。
だが、ライトは千戸の言葉には答えない。その代わりに、静かに語りかけた。
「千戸さん。こんなことに子供を巻き込むべきじゃない……お話をしませんか。大人同士のお話をしましょうよ」
To Be Continued……