【第三十二話(3)】 ただ皆といるだけで(後編)
「また謎が増えた……よく気づきましたね?」
一ノ瀬はぽつりと、率直な感想を呟いた。森本はその言葉に頷く。
「私も驚きましたよ。この商店街もそうですが、うっかり魔石を落としたところに、こうやって実体として姿を現したのですから」
「え、でもSympass上でこんな話聞いたことないですよ?ずっとホログラムが作動している場所なんて」
前園が首を傾げてそう問いかける。しかし森本はそれに関しては静かに首を横に振った。
「さすがにそこまでは私も分かりません。新しくこのような場所が出来たのかもしれませんし、私達がただ単に今まで知る機会に恵まれなかっただけなのかもしれないです」
それよりも、と森本はメニュー表を叩く。
「……ひとまず話の続きは、”注文”してからにしましょうか」
「うん、そうする!」
「あ、ちょっとセイレイ君メニュー表自分の所に寄せないでよ!私にも見せて!?」
「わあー……久々……どれにしようかな……」
瀬川達は和気あいあいとしながらメニュー表を共有して覗き込む。
仲違いしていることも忘れ、年相応に楽しむ彼らの姿に森本は楽しそうにコーヒーを啜りながら微笑んだ。
「本当に、こういう時間が大切なんですよ。忘れてしまうんです、毎日が大変だと、些細な幸せの時間を……」
その言葉の断片を聞き取った一ノ瀬は、きょとんとした表情で森本の方へと振り向く。
「……?森本さん、何か言いました?あ、ちょっとセイレイ!!肘どけて、見えない」
「どれにしようー、姉ちゃん、カフェオレって何?」
瀬川はメニュー表を見ながらきょとんとした様子で一ノ瀬の方に視線を送る。
「森本さんが飲んでるコーヒーにミルクを加えたものだよ、というかミルクもあんまり飲んだことない?」
「え、ごめんもう記憶にない……」
「じゃあ私がミルク頼むからさ、セイレイはカフェオレ頼んだらどう?それだったらどっちも飲めるでしょ」
「それじゃあ姉ちゃんが好きなの頼めないじゃん、いいよいいよ!!いつでも来れる時にまた来たらいいもん」
首を横に振りながら遠慮する瀬川の姿に、一ノ瀬は小さく噴き出した。
「ほんっとうにいい子だなあこの子は……穂澄ちゃん、セイレイってずっとこんな感じなの?」
「え?あっ……どうだろ?多分何も考えてないだけだと思うけど……」
「ひっど!!」
「本当に、連れてきた甲斐がありますよ……いつぶりですかね、こういう時間は」
森本はコーヒーを啜りながら、楽しそうに談笑する瀬川達の姿を眺めていた。
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「頼みたいメニューの上に、魔石を置く……こうかな」
不安げに、置き間違えないように、一ノ瀬は慎重に魔石をメニュー表の上に置く。
しばらくすると魔石が輝きだし、ホログラムが起動。やがて彼女の目の前にバナナミルクが実体化した。
「おおー……じゃ、俺もやる!」
一ノ瀬を真似るようにして、瀬川も同様にメニュー表の上に魔石を置く。同様に瀬川の目の前にホットミルクが実体化。
前園は二人に見習ってメニュー表の上に魔石を乗せる。
「……あっ」
オレンジジュースの上に乗せたつもりだったが、うっかりと彼女は手を滑らせてしまう。
その転がった魔石は、”エスプレッソ”と書かれたメニューの上で止まった。
「あっ、ちょ、待って」
前園は慌ててその魔石を拾い上げようとしたが時すでに遅し。魔石はホログラムを纏い、やがて小柄なコーヒーカップに注がれたエスプレッソを実体化させた。
「……あは」
引きつった愛想笑いを浮かべる前園。彼女は縋るように、一ノ瀬の方を見た。
「……私も、それは、無理だと思う」
一ノ瀬も苦笑を漏らし、静かに首を横に振った。
「……それ、何?」
瀬川は興味津々といった具合にそのエスプレッソをのぞき込む。前園は好奇心旺盛な瀬川に勝機を見出し、黙って自身のものと瀬川のホットミルクをすり替えた。
「あっ!?」
「……ごめん、許して」
申し訳なさそうに謝る前園。その意図が読めず、瀬川はきょとんとした表情で首を傾げた。
そして、そのままエスプレッソを口元へ近づけながらぼやく。
「えー……なんだよ穂澄、変なの……にっが!!にが!?なにこれ!?!?」
思わず舌を出しながら瀬川は悲鳴を上げた。一ノ瀬は堪えきれず、下を向いて「ぶっ」と吹き出す。
「あはっ、セイレイ……エスプレッソってね、すごーく濃縮されたコーヒーなの」
「いや、コーヒーも分かんない!え、なにこれこんなの好きな人いるの!?」
「……ごめん……ふふっ」
「穂澄が笑っちゃダメでしょ!?!?うぇえ、苦い……」
悲鳴を上げる瀬川に、思わず笑いをこらえきれない一ノ瀬と前園。
どこか穏やかな空気が、そこには流れていた。
しばらくその様子を眺めていた森本だったが、やがて小さく咳払いをして彼らの注意を集める。
「……あの、そろそろ、大丈夫ですか?仲直りしたようで何よりですが……」
「……あー……」
そこで、勇者一行は改めてお互いの顔を見合わせる。
ハッとしたように一ノ瀬は前園に向けて、深々と頭を下げた。
「穂澄ちゃん、ホントごめん!!嫌な思いさせて……」
「えっ、ええっ」
突然のことで困惑する前園を他所に一ノ瀬は言葉を続ける。
「ほんっとにどうかしてたと思う、私……!穂澄ちゃんは配信のフォローをいつもちゃんとしてくれてるのに、私いつの間にかそれが当然だと思ってた……当たり前だと思ってた、本当にごめん」
「……一ノ瀬さん」
彼女に釣られるように、瀬川も前園に頭を下げた。
「俺も……穂澄に謝らなきゃと思ってた。最近、自分のいる場所がよく分からなくなってさ……言い訳かも知れないけど、散々ディルとかに振り回されてるうちに俺の自我?っているのかな、自分はどこにあるのか分からなくなってた……」
そこで言葉を切り、瀬川はうつむく。
「本当にごめ……わっ!?」
突然、前園は瀬川の胸元に飛び込むようにして抱きついた。
「ほ、穂澄……!?どうしたんだ、なに!?」
困惑する瀬川もよそに、前園は顔をうずめたままぽつりぽつりと言葉を続ける。
「本当に、馬鹿だよセイレイ君は……居場所なんか、ここに決まってるじゃん……配信してたら、確かに皆評価してくれるよ、皆認めてくれるよ。でも、一番大事なのは、今ここで傍にいてくれる人でしょ……!」
その言葉に瀬川は気づかされる。大切な人達がそこにいるという事に。
「……そうだな、ごめん。忘れてたよ……ありがとう」
「……本当に、馬鹿なんだから……」
目を赤くした前園は顔を起こし、次いで一ノ瀬に視線を向ける。
「……貴方もですよ、ハリボテゴボウの一ノ瀬さん」
「はっ……!?」
前園のあんまりな呼び名に一ノ瀬は目を丸くして姿勢を崩す。
「……ふっ」
森本は笑いをこらえるように顔を背けた。
「確かに一ノ瀬さんは年齢で言えば先輩ですよ!でも、あなたがどれほどの苦悩を持って生きてきたのかは私達は知ってるんです、そんな辛そうな顔をして、何もかも抱え込んで欲しくないです」
「で、でも……私は二人よりもすごく年上だし……」
ごにょごにょとして前園から目を逸らす一ノ瀬。だが、前園は真っすぐに一ノ瀬を見続ける。
「関係ないです!一ノ瀬さんは勇者パーティの一員で、先輩で、私達のお姉さんです!一緒に悩みたいです、一緒に考えたいです、——だから現実に戻って来てよ!!」
「……良いの?私、いっぱい抱えてると思う。ずっと一人で生きて来たから、コミュニケーションの取り方も間違えるかもしれない、また嫌な思いもさせるかもしれない……」
「関係ないって言ってるでしょ!!安心してよ、私が、皆が、一ノ瀬さんの居場所だもん!!」
前園の心からの叫びに、徐々に一ノ瀬の表情が柔らかくなっていく。
それから、静かに空を仰いだ。
「……そっか、そうだよね……ふふ、初めて敬語を外してくれたね」
「えっ、あ……」
その指摘におろおろとする前園に対し、一ノ瀬はくすりと再び前園に目を合わせて微笑んだ。
「ありがとう。なんだか、やっと穂澄ちゃんと対等に話せる気がするよ……でね、セイレイ、穂澄ちゃん」
「どうしたの?姉ちゃん」
「……え、えっと……なに?」
改めてじっと一ノ瀬の方を見る二人。そんな二人に、一ノ瀬は覚悟を決めたように深呼吸する。
再び、一ノ瀬を張り詰めた雰囲気が取り巻いたことに気づいた彼らは続く言葉を待つ。
「……千戸先生、最近行動が変だと思わない?」
その質問に、二人は深く、こくこくと何度も頷いた。
一ノ瀬も二人の反応にうんと一度小さく頷き、言葉を続ける。
「……一緒に抱えてほしいことだから言うね。千戸先生、最近ディルと良く絡んでるみたいでさ……聞いちゃったんだ。スパチャブーストを配信者に付与するのを提案したのが千戸先生だって……」
「……センセー……が?」
「え、嘘。嘘だと言って……一ノ瀬さん……」
動揺する二人を他所に、森本は顎に手を当てながら一ノ瀬に問いかける。
「……にわかには信じがたいですが……それを知った一ノ瀬さんの見解を聞かせてくださいませんか」
森本の言葉に一ノ瀬は頷き、自身の考えを述べ始めた。
「千戸先生ね、『セイレイの成長の為だ』って言ってた」
「俺の……?どういうこと?」
瀬川が困惑した様子で問い詰める。一体、スパチャブーストを他の配信者に与えることと、勇者セイレイの成長と何が関係するというのか。
だが、その問いに答えたのは一ノ瀬ではなく前園だった。
「もしかして、だけど。蠱毒みたいなことをさせようとしてるんじゃないかな?ダンジョン配信者を増やして、競争相手を増やそうって算段じゃ……」
前園の言葉に一ノ瀬は深く頷いた。
「そ、私もそう思ってる。セイレイの成長にどう繋がるか、と言えばそれしか考えられない。ディルは『死こそが人を成長させる糧』だと考えてるみたいだし。生き残った人と、死んでしまった人。その比較対象を作りたかったんだと思う」
「えっと、生き残った人はすごいんだよ、だから俺達はすごい配信者なんだよ、って皆に教えようとしたってこと?」
自信なさげに瀬川は自分の考えを一ノ瀬に伝える。
「それで合ってるよ」
瀬川の考えに一ノ瀬はこくりと頷いた。
そして心を落ち着ける為か、”注文”したバナナミルクに口を付ける。
彼女の動作をまねするように瀬川もエスプレッソに口を付けた。
「……苦い」
……しかし、あまりの苦さに一口で断念した。
そんな瀬川の様子に苦笑を漏らしながら前園が話に割って入る。
「確かに、セイレイ君の意見の通りならこの間の配信のコメント欄が荒れていたのも納得できる」
「荒れてたの?」
「荒れてたんだよ?……えっとね、新しく勇者パーティの配信を観始めた人達が、今まで見ていた人達を追いやろうと悪口を言ってる様子が見れたの。まるで、自分の新しい居場所を誇張するように……」
「居場所……」
森本は、前園の言葉を繰り返す。彼の言葉の意味が分からず、前園は首を傾げた。
「……森本さん?」
「ああいや、失礼しました。少し思う所がありまして……」
「思うところ?」
「はい、一体魔物とは何かと思いましてね。インターネット上に自分の居場所を確保するべく、他人を蹴落とそうとする人達。ダンジョン内に潜入した人達を撃退しようとする魔物。一体……何が違うのかと思いまして」
その言葉に、勇者一行は再び顔を見合わせた。
森本の言葉の意味がつかめず、一ノ瀬が代表して問いかける。
「……ごめんなさい、どういうことでしょうか?」
自分の世界に入りすぎた。
そう判断した森本は小さく会釈をして、そこから深呼吸した。
「いや、すみません。つまりですね……配信上で新しく自分の居場所を作るべく、今までいた人を蹴落とそうとする行為。自分のアイデンティティの証明の為の行動が、人を魔物にするのではないかと」
魔物とは何か。
ただダンジョン内に存在する、自身に害をなす存在というだけではないと森本は考えていた。
魔物とは、敵とは何か。
改めて、勇者一行はその言葉の意味を考える。
To Be Continued……




