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天明のシンパシー  作者: 砂石 一獄
③商店街ダンジョン編
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【第三十二話(1)】 ただ皆といるだけで(前編)

大地を蹴り上げる度、風が前園の頬を撫でる。

額に滲んだ汗が、艶やかな黒髪をへばりつかせる。

息が激しく乱れ、喉の奥に血の味を感じる。

「っ……はぁ……はぁ……」

前園は、道の駅集落のアスファルトレンガの上を走り抜けていた。

体力をつける一環として始めたランニング。

それを日課として日々欠かさず行っているからだろうか。

徐々に体力がついてきて、倒れることがなくなったことに前園は小さな成長を感じる。


額の汗を拭い、続けて一ノ瀬から借りているゴム製の短剣を構えた。

周囲を確認し、彼女の周りに人がいないこと。そして、木など素振りの妨げとなるものが無いことを確認する。

その後、彼女は静かに、大きく息を吸い込んだ。

脳に酸素が行き届き、自身と、それを取り巻く環境の境目がクリアになった気分を覚える。同時に、周囲の環境が改めて情報として認識された。

草原は春風に揺れ、暖かく心地良い日差しが全身を照らす。青々とした草木の匂いが、前園の鼻腔をツンと刺激した。

ざわざわと揺れる草木の音が響く。そして、喉奥にかすかに残った血の味。

——実際に出血しているわけではない。体内を巡る血液が、味覚に影響を及ぼしていることが影響しているらしい。

「——やぁっ!!」

それらを五感で感じながら、前園は短剣を低く、鋭く突き出す。

だが、その動きに前園は違和感を覚える。

イメージと、実際の動きが連動していない感覚。違和感の原因を自分なりに探り、構えを調整する。

噛み合わない歯車を探るように、何度も位置を直し、そこから素振りを繰り出す。

——嚙み合わない歯車。


今、この場には前園一人しかいない。

共に訓練に励んでいた瀬川も一ノ瀬も、今はどこで何をしているのか分からない。

Sympassの運営であるディルと船出。

船出に改造を施されて、かつての面影を奪われたストー。

そして、今や何を考えているのか分からない育ての親である千戸。

考えるべき問題は山積みで、大抵の問題はインターネット上の配信に関係していた。

だが、優先すべきは現実の自分自身だろうと前園は思考を巡らせる。

現実の自分自身をおざなりにして、インターネットの世界に依存するなど言語道断だ。

一ノ瀬も何か大変なことを知ってしまい、抱え込んでいるのは分かる。

瀬川も、どうするのが正しいのか模索しているのだろう。


『……私は、自分がいた痕跡を残したかっただけだよ。私は確かにここにいる、そう証明したかったんだ』

総合病院ダンジョン内で、一ノ瀬はそう言っていた。

『……俺は、いるよ。ここに、存在するんだ……』

いつかの夜。瀬川はそう呟いていたのを聞いた。


瀬川も一ノ瀬も、自己の存在証明について考えている。

その結果導き出した答えの中で、最も手軽で、最も痕跡に残るものがインターネットだったのだろう。

現実がどれほど辛くても、インターネットの架空上の自分達を受け入れてくれる人がいるから。

でも、それは。

「……本質から、逃げないでよっ……私達の本物は、今ここにいる私達なんだよ……」

自分の存在を電子媒体に求めるな。

インターネットで見せる自分は、自分自身の一部を切り取っただけなんだ。それですべてが認められた気になったって、現実は何も変わりはしないのに。

前園は静かに怒りを感じながら、何度も素振りを繰り返す。


「……ぜっ……はぁ……っ……」

素振りが100回を超えたところで、前園は一息つくことにした。汗にへばりついた衣服を剝がすようにして、体の中に空気を取り入れる。

瀬川の前ではあまりできない仕草だ。だが今は誰もいないからと前園は大の字になって土がつくのも気にせずに草原に寝転がった。

「はぁー……」

身体を動かしている時だけは、嫌なことも忘れられる。全神経を身体を動かすことに専念できるから、嫌なこと全てが意識の外に放り出されていく。

大きく息を吸い込むと、より一層草木の青々とした匂いが鼻腔に、口の中に入り込むような気分に前園はなった。

そんな彼女に、近づく一人の人影。

「……前薗さん、珍しいですね。今はお一人ですか」

「……あ、あっ、森本さん……!」

漆黒のスーツを身に纏った、オールバックの初老とは思えないほど若々しさを保った男性。森本 頼人(もりもと よりひと)が彼女の顔をのぞき込んでいた。

前園は慌てて飛び起き、深々と礼をする。

「お、お見苦しいところを見せましたね……どうしました?」

「見苦しいところというのは、今のあなたの姿ですか?それとも……」

森本は顎に手を当て、言葉を選ぶように逡巡した姿を見せる。それから、鋭い相貌で改めて前園の目を見据えた。

「——分裂した、今の勇者一行の姿ですか?」

「……それは……」

前園は返す言葉もなく、口を閉ざす。

彼女の言葉を肯定と取ったのか、森本は前園を手招きした。

「こんなところでは何ですから、一度ゆっくりとお話をしましょう」

「……分かりました」


しばらくして、前園は木陰にぽつんと置かれたベンチの下に案内された。

森本に促された前園は一礼した後、静かに腰掛ける。そして、森本も彼女から少し距離を置くようにして腰掛け、すらりと伸びた足を組む。

両手を組み、それを組んだ膝の上に乗せた。様になった姿勢から、ゆっくりと空を仰ぐ。

「今日は、良い天気ですね。雲一つない、快晴です」

「……そうですね。本当に、こんな日は風が心地よくて、私は好きです」

前園は空を仰ぐ。そこには、雲一つない青空が広がっていた。

いつかの日、瀬川と共に見上げた青空を思い出す。魔災が起きた後、Sympassもまだ存在しなかった日に共に眺めた空だ。

だが、今は瀬川は隣にいない。その事実に、前園は胸の奥がつっかえたような気分を覚える。

「……セイレイ君と、一緒にこんな風に空を見たことがあるんです」

「はい」

「こんな日がずっと続けばいいな、こんな毎日が続くなら私はそれでいい……そんなことを感じていたのを、思い出しました」

前園の言葉に、森本は静かに頷いた。

しばらくの沈黙の後、森本は改まって前園に首を向け、それから問いかける。

「以前、貴方に問いかけましたね。何の為に瀬川君達の配信に協力するのか……と」

「……はい」

「答えは出ましたか?」

その質問に、前園は静かに首を横に振った。

「正直、分かりません。ですが、今のセイレイ君達には協力する気にはなれません。現実から目を逸らし、まるでネットの世界に逃げ込んでいるようで……」

「現実から?」

森本は前園の言葉を反復する。

「はい。確かに、度重なる配信に連なって私達が抱え込む問題は山積みです。ディルさんのこと、船出さんのこと、須藤さんのこと……一つ一つ、みんなで力を合わせないといけないのに……」

「配信を現実逃避の手段として使っているような気持ちになったんですね」

「……っ」

前園はこくりと頷いた。森本に胸中を話すにつれて、徐々に自身の考えが固まっていく。

「私は、もっと皆に希望を持ってほしいんです。世界は大変かもしれないけど、安心して良いんだよ、困難に私達は立ち向かうから。皆も一緒に乗り越えよう……そう思ってほしいのに」

「それが、前園さんが配信を続ける理由なんですね」

「……そうかもしれません」

森本のフィードバックに前園は自覚する。彼女はただ、安心感が欲しかっただけだった。

今いる場所で大丈夫、間違っていない。そう思わせてくれる何かを求めていた。

「……安心感を与えたい、ですかね。私が配信を続ける理由は……」

「なるほど。それで、瀬川君と一ノ瀬さんが、他人から認められることを優先するように配信を続ける、というところで意見が食い違っている。配信ナビゲーターである貴方は、他人に認められることを最優先としていないから」

森本の言語化に、前園は深く頷いた。

「まとめてくださって、ありがとうございます。そうです、私は皆との居場所がある、それだけで、それだけがいいんです……」

「……前園さんの行動原理がよく分かりました。では、次に何をするべきか分かりますか?」

「……?」

森本の質問の意図が分からず、前園は首を傾げる。

きょとんと呆けた彼女の顔に森本は柔らかな笑みを浮かべ、それからベンチから立ち上がった。

スーツのズボンに付着した土を払い、それから前園へと振り返る。

「……本音での話し合い、ですよ。ちょうどいい場所を知っています。魔石の研究をしている最中、面白い場所を見つけたんです」

「面白い場所、ですか?」

森本の意図が読めず、前園は目を丸くして彼の背中をじっと見た。

だが、森本は正面に向き直り、前園から再び目線を外す。

「……ホログラムの実体化が出来る、と言ったら信じますか?」

「……は?何を言ってるんですか……?」

森本がそう言ってスーツのポケットから取り出したのは、一つのスナック菓子だった。

不思議なことに、それは魔災から十年たった月日の中でも、土埃一つ被っていない。まるで、新品同様の姿を保っていた。

「森本さん、それは?」

「見てからのお楽しみです。少しくらい、承認欲求以外に、配信者にとっての報酬があってもいいと思いませんか?」


To Be Continued……

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