【第三十一話(1)】 現実にはない居場所(前編)
「お願いします。信じさせてください、千戸先生……」
一ノ瀬は、食堂を出ていった千戸の後を付ける。
数多もの戦いの中で得た気配を殺す技術を、まさかこのような形で使う事になるとは思いもしなかった。
千戸は、そんな一ノ瀬のことに気付く様子も無く道の駅の敷地内の外れにある森へと入っていく。
一ノ瀬は、この時点で引き返すべきだった。
全身の肌という肌を、嫌な予感が駆け巡る。思わず手に汗が滲む。
「……千戸先生……なんで、こんなところに行くんですか……」
明らかに人目を避けるような彼の行動に、徐々に嫌な予感が募っていく。
信じたい、信じさせて欲しい。
「……私は、信じます」
そんな胸中の不安を押し殺し、一ノ瀬は千戸の後を付けるように静かに森へと入ることにした。
胸の奥に渦巻く不安が喉を圧迫し、呼吸が荒くなる。
手は震え、足取りは重くなる。
だが、それでも一ノ瀬は徐々に歩みを進めていく。
しばらくして、彼女の耳に千戸以外の聞き慣れた声が響く。
「で、センセー。これでいいの?」
「……っ……」
ディルの声だ。Sympassの運営側である彼と、千戸が一体何を話すことがあるというのか。
一ノ瀬の脳裏を最悪の憶測と、いくつもの可能性が駆け巡る。信じ続けたい自分と、最悪の答えを導き出す自分との両方が同時に襲いかかった。
そんな彼女をよそに、ディルと話す千戸の声が響く。
「ああ、助かるよ。これでセイレイは成長の種を得る事が出来る」
「あははっ、センセーも分かってきたみたいだね?そうさ、死こそが人を成長させる糧なんだよ!!一度恵みを得たものは、もう二度と持たなかった頃の自分には戻ることが出来ない!!にしてもセンセー、本当にナイスアイデアだよ」
嘘だ、嘘だ。
次に続く言葉を聞きたくなくて、一ノ瀬は強く目を瞑る。
だが、一ノ瀬に気付いてないディルは当然、言葉を続けた。
「『セイレイが活躍し出したタイミングで、スパチャブーストを他の配信者に与える』というのはさ!周りを動かすことでセイレイ君に行動のきっかけを与えようって算段?」
「まあな、おおよそ憶測は付いていた。憧れは、人々を愚行に走らせることがな」
「さっすがにそのアイデアを聞いた時は僕もびっくりしたけどさあ……もう戻れないよ?良かったの?」
「ああ。それがセイレイの為になるなら、俺は何でもするさ」
聞きたくなかった。
一ノ瀬は頭を抱え、木にもたれ掛かるようにして蹲る。
「……そん、な……」
配信者にスパチャブーストを付与すること。それが、真に素質のあるものなら問題は無いのだろう。
だが、実際には配信中に死に至り、非公開となったアカウントが多く見られた。
それはつまり、見せしめの為だけに、素質を持たない人間に力を与えたということだ。
「……」
聡明な一ノ瀬の脳裏を答え合わせが駆け巡る。
『他人を助ける資格は、自分を助ける資格を持つ者にしか無い』と、以前千戸から教わったのだと、瀬川から聞いた。
その言葉を発した千戸。彼自身が、あろうことか他人を貶める為にディルにそうアイデアを提供した。
「……嘘、だ……」
――知りたくも無かった答えに辿り着いた一ノ瀬。
この事実を、瀬川達に伝えるべきか彼女は躊躇する。瀬川と前園を、魔災以降ずっと育ててくれた千戸がしでかした行いを。
それと同時に、一ノ瀬は疑問を抱いていた。
どうして、ディルも千戸も、瀬川にそれほどまでに成長を望むのか。
明らかにそれは、たった一個人に求める成長のレベルを超えている。他人を煽動し、無謀なダンジョン配信を行わせるように仕向けてまで一体何を成し得ようというのか。
そこまで考えた時だった。
「――っ!?」
一ノ瀬が隠れる木を、突如としてディルが放ったチャクラムが掠めた。
降りかかった木屑を頭から被る。警戒心を強めた一ノ瀬はそんなことを気にも留めず、短剣の鞘を触りながら木陰から頭だけを覗かせた。
ディルは一ノ瀬の隠れる木へと視線を向けつつ、ニヤニヤと楽しそうに笑っている。
その傍らで千戸はディルの行動がの意図が分からず、呆けた顔で彼を見た。
「……ディル、どうしたんだ?」
「いや、ねぇ……ちょーっと虫が居たみたいでさ?やー、夏も近いもんねえ。虫除けしないとねぇ」
ディルが放った言葉の意味を読み取ったのか、千戸は一ノ瀬が潜む木から離れるように奥へと歩みを進める。
「……それは困るな。少し虫の居ないところへ行こうか」
千戸の言葉にディルは吹き出した。
「ふふっ、そうだね。にしてもさー、発する言葉全てに意味はあるよね、本当に」
その言葉は、総合病院ダンジョン内でディルが一ノ瀬に対して発した言葉だった。
だが、会話の内容を知らない千戸は訳も分からないと言った様子でじっとディルの顔を見る。
「……なんの話だ?」
ディルは半笑いを浮かべながら、首を横に振った。
「んーん、ちょっと思い出したことがあってさ。センセーも、生まれちゃったね。ね、信頼できなくなった千戸さん?」
「仕方の無いことだ」
ディルはいつかに千戸に言った言葉を強調する。だが、千戸は気にした様子も無く、もう一度一ノ瀬の隠れる木に視線を送った。
一瞬首を傾げたが、それ以上気に留める様子も無く、再び森の奥へと歩みを進めていく。
やがて、二人の姿は完全に森の奥へと消えた。
「……ふふ」
静かになった森の中。
ただ一人残された一ノ瀬の口から、思わず笑みが零れる。
何がおかしいのか分からない。だが、一ノ瀬は笑わずには居られなかった。
「あはは……あははっ……」
乾いた笑いが、彼女の口から零れる。楽しくもないのに、溢れ出る笑いが止まらない。
もう、何を信じれば良いのか一ノ瀬は分からなくなっていた。
「ねえ、私……どうしたら良いんだろう、誰を信じたら……ねえ……あはは……」
一ノ瀬を取り巻く現実は、あまりにも非情だ。
そんな現実から目を逸らすように、一ノ瀬は瀬川と前園の居る食堂へと足を運ぶことに決めた。
★★☆☆
「姉ちゃん、おかえり……どうしたの?」
明らかに浮かない表情の一ノ瀬に、瀬川は心配の色を浮かべる。
俯いた顔から、自虐的な笑みを浮かべる一ノ瀬。全身に木屑を被っていることも気にも留めず、一ノ瀬は前園をじっと見た。
「……一ノ瀬、さん……?」
普段の様子と明らかに異なる一ノ瀬の姿に、前園は恐怖を覚える。
「……配信、しよっか……」
作った笑いを浮かべたまま、一ノ瀬は突如としてそう言った。
瀬川と前園は、その言葉の意図を理解できずお互いに顔を見合わせる。
困惑している二人を余所に、一ノ瀬は引きつった顔のまま言葉を続けた。
「こんな現実と向き合うくらいなら、私はもう……何も考えたくないよ……」
「ね、姉ちゃん、一体どうしたのさ。今、このタイミングでダンジョン配信をしようって言うの?」
瀬川の問いかけに対して一ノ瀬は答える。しかし、その返事は瀬川に向けて、というよりは自分に言い聞かせるように。
「……そう。うん、そうなの。現実は、あまりにも辛すぎるから、現実から逃げたいよ。私は……」
「一ノ瀬さん、この短時間で一体何があったんですか?」
心配そうに上目遣いでそう尋ねる前園。だが、彼女の言葉に一ノ瀬は答えない。
答えることが出来ない。
純粋な二人を傷つけたくない、そう思う反面。一ノ瀬には一つの思いも過っていた。
――いっそ、こんな非情な現実が続くくらいなら、何もかもめちゃくちゃになってしまえば良い。
そんな思いが過る自分自身が嫌になる。
まるで、船出の行動が正しいのではないかと思ってしまう自分がいて、でも正しいわけが無くて。
矛盾した考えなのに、自分の中にどっちもあって。どっちが正しいとか正しくないとか、そんな片一方の考えでしか考えることの出来ない自分に更に自己嫌悪して。
一ノ瀬は縋るように、前園の両肩を掴んだ。
切羽詰まった一ノ瀬の表情に、前園の顔色が強ばった。
「……一ノ瀬、さん……?」
徐々に前園の肩を掴む一ノ瀬の手が震える。
「ごめん、ごめん……でも、私……もう、現実と向き合えない。逃げたい、ネットの世界に。もう……無理……」
それは紛れもない一ノ瀬の本音だった。
誰の言葉が正しくて、誰の言葉が間違っているのか。
誰が本当のことを言っていて、誰が嘘を吐いているのか。
ぐるぐると何度も駆け巡る正当化の言葉と、自己嫌悪の言葉が一ノ瀬を狂わせていく。
そんな彼女の顔をじっと見ていた瀬川は、ソファからゆっくりと立ち上がった。
「……うん、姉ちゃん。配信しよう。俺達の居場所は、ここじゃないもんね」
「セイレイ、君……まで……!?」
前園一人だけが、二人の言葉を理解できない。
彼女にとっては、皆がいるこの場所が。大切な場所のはずなのに、二人はまるでそれに見向きもしない。
その異質な状況に、どこか不快な感情を抱かざるを得なかった。
To Be Continued……