【第二十九話】 次なる戦いに備えて
そこは、魔災後より十年が経過したとは思えないほど、丁寧に整備された道の駅集落。舗装されたコンクリートレンガの並べられた道が、ずっと円を描くように続く。
空には赤と蒼のグラデーションが入り混じる、まだ冷たさを感じる朝焼けの中。舗装された道を走り抜ける者達が居た。
「はい、あと一周。ラストスパートだよっ」
「よっしゃ!穂澄も、もう少しだっ!」
一ノ瀬と瀬川は、染み付いた動作を一切崩すことなく、その道を駆け抜ける。
彼らに必死に食らいつこうと、息も絶え絶えになり、よろめきながら走る一人の少女。
「ぜぇ……ひぃ……ま、って……」
前園は今にも倒れそうなほど顔面蒼白になりながら、二人の後に喰らい付く。よたよたと、何度もバランスを崩しながらも彼女は真っすぐに前を見据えていた。
やがて、ゴールにたどり着いた前園は、その崩れるようにして一気に倒れ込んだ。
一ノ瀬はそんな彼女に寄り添うように、低くしゃがみ込む。
「……っ……はぁ……は、しん、どい……っ」
「お疲れ様、穂澄ちゃん。頑張ったね」
「はひ……」
長い黒髪が崩れるのも構わず、彼女は寝転がった姿勢のまま一ノ瀬に視線を送る。その表情は、完全に瀕死寸前といった様子だ。
瀬川は持ってきた水筒を前園の額に当てがった。
「穂澄、とりあえず飲み物持って来たぞ」
「あり、が、と……」
水筒を受け取った前園はゆっくりと身体を起こす。それから水筒の蓋を開け一気に飲み干す。
口から零れた水が前園の服を濡らしていくが、疲弊しきった彼女にそれを気にする余裕は全くなかった。
水筒を空にした前園は、大きく息を吐く。
「はぁー……すごい、ね……二人とも……そりゃあれだけも動けるはず、だぁ……」
一ノ瀬は得意げに無い胸を逸らした。
「ふふん、まあね。でも穂澄ちゃんも根性あるよ。ちょっと休憩したら素振りやろっか」
「お、お願いします……ぅ」
「あっ今すぐじゃない、今すぐじゃないよ!?一休みして!!」
いそいそと無理矢理体を起こそうとした前園。慌てて一ノ瀬は彼女を引き留める。
先日、総合病院ダンジョンを紆余曲折はあったものの攻略をした勇者一行。次なるダンジョンへの準備を進める為、前園は日々瀬川と一ノ瀬と共に修行に明け暮れていた。
普段は情報収集に力を入れており、前園はほとんど身体を動かすことは無く、運動能力は無いに等しい。
故に前園は、総合病院ダンジョンの配信以降、死に物狂いで彼らの修行について行く日々が続くのだった。
やがて体力の回復した前園は、ゆっくりと身体を起こしぺたりと座り直す。
「ふぅ……にしても……配信の方向性、そろそろ決めないといけませんね……」
その言葉に、瀬川もどこか思いつめるように俯いた。
「ストー兄ちゃん……なんだか、ストー兄ちゃんじゃないみたいだったよね」
一ノ瀬は、瀬川の言葉に同意する。それから静かに彼女の顔に怒りのそれが反映された。
「……道音、一体ストーに何をしたんだ……いや、そもそもあれは私の知るみーちゃんと、同一人物なのか……?」
「謎が増えていくばかり、ですね……。運営のことについても、ドローンについても……」
前園のドローンに関して、引っ掛かりを覚えた一ノ瀬。彼女は疑問を率直に、前園にぶつける。
「ねね、穂澄ちゃん。そのドローン、ショッピングモールで拾った、って言ったよね」
「え、ああ、はい」
「そのショッピングモールって、どの辺りにある?もしかしたらそこにヒントがあるかも」
前園は、草原の上に置いていたリュックサックを持ってきた。そこからパソコンを取り出し、保存したデータファイルを確認する。
各地を転々とする中で撮影したデータの中を探し回り、しばらくして前園は目的の画像を見つけ出した。
それから一ノ瀬に画面を見るように促す。
「これです。遠くに、微かに大きな建物が映っているのが分かりますか?私がこのドローンを拾い上げたのは、ここです」
「俺と穂澄が出会う前の話、だよな」
「うん。私がまだお父さんとお母さんとあちこちを転々としてた時だね……」
「……」
前園が寂しげにぽつりと両親について話す姿に一ノ瀬は悟る。彼女が今両親とではなく、瀬川と千戸と行動を共にする理由を。
「……そのショッピングモールって、やっぱりダンジョン化してる、よね?」
前園は少し考えるようにじっと一ノ瀬の顔を見た後、それから力なく首を横に振った。
「……厳密に言えば、私が逃げ込んだ後にダンジョン化した、ですね……」
「そっか……。じゃあ、なおさら力を付けないと、厳しそうだね……あ」
一ノ瀬は何か思い出したような声を上げ、そして瀬川の方へと視線を送る。
その彼女の様子を理解できない瀬川は首を傾げた。
「姉ちゃん、どうしたの?」
「謎と言えばさ、この間の総合病院ダンジョンで配信した時さ。私ひとつ気になったことがあってね」
「なに?」
一ノ瀬はじっと瀬川の全身を上から下へと観察する。行動の意図が読めない瀬川は不思議そうに首を傾げた。
「え、なに。なんなの?」
「いやセイレイさ、あれだけ激しくゾンビに蹴り上げられてアスファルトに叩きつけられたのに。普通にあのまま戦闘に戻ってたでしょ?」
「そうだっけ?」
瀬川はあんまり覚えていないようで首を傾げた。彼からすれば、どちらかというとストーの一撃で体力をすべて奪われた方が印象に深いだろうな、と一ノ瀬は思い直す。
「うん。また後でアーカイブ見て思い出して?……でね、そのことについて森本さんの研究で分かったことがないか聞いてみたんだ」
「何かわかったんですか!?」
前園が興味深そうに一ノ瀬に顔を寄せる。目をキラキラと輝かせて顔を近づける前園の姿に、一ノ瀬は思わず噴き出した。
「な、なんですかぁ……」
「いや、なんでもないよ。結論から言うとね、魔素が私達の細胞を強化してるんじゃないか、ってさ」
「……魔素が?」
訝しげに眉を顰める前園。その反応も想定内だったのだろう。一ノ瀬は言葉を続けた。
「そ、ダンジョン内には魔物の体内以外にも、大気中に魔素が存在する。それを魔物達は体内に取り込むことで、存在を維持できているんだけど。私達も魔素を吸い込んでいるんだってさ」
「……大丈夫、なんですかそれ?」
あまり、魔素に関しては良い印象がないから不安しかない。そう言いたげに前園はじっと続きの言葉を待った。
「まあ大丈夫じゃなかったら今頃私はとっくに魔物だし」
「……確かに」
長年ダンジョンに単騎潜入していた一ノ瀬の言葉には説得力があった。前園は思考をフラットに切り替える。
「しかし、魔素が細胞を強化する、ですか」
「そうみたい。魔素を取り込んで、私達の体内でも魔素が循環する。それは、全身の細胞という細胞を駆け巡る、その過程の中で魔素が細胞を強固なものにしているんじゃないかってさ」
「なるほど、それならばセイレイ君がゾンビの一撃に大きなダメージを受けなかった理由にも納得がいきます。ダンジョンでの戦いの中で、より多く魔素を取り込んだからこそ強化されたんですね」
前園の解釈に一ノ瀬はこくりと頷いた。
「そゆこと。より戦闘を重ねれば、魔素が体内に取り込まれる。そうすれば、より私達の細胞は強化されて受けるダメージも少なくなる……森本さんはそう捉えているみたいだよ」
「なるほど……より一層、戦闘経験を重ねる理由づけになりますね」
二人の会話について行くことが出来ず、蚊帳の外でぽつんと二人を見守っていた瀬川。その寂しげな瞳に気づいたのか、ちらりと視線を送った前園が噴き出した。
「ぶっ、セイレイ君。置いてけぼりでごめんね?」
「二人で難しい話しないでほしいな?俺そんな二人ほど頭良くないんだよ?」
「あはは、ごめんって」
一ノ瀬は軽く笑った後、それから少し顎に手を当てた。しばらく頭の中で整理した後、瀬川にも分かりやすいように言い換える。
「まあ……つまり言うとね。『魔物と戦えばレベルアップして防御力が上がるー』……ってことだよ」
「なるほど!!分かった、ありがとう姉ちゃん!!」
「……セイレイ君も、勉強する?」
前園が冷ややかな目で睨むが、それに対して瀬川は激しく首を横に振った。
一ノ瀬はゆっくりと立ち上がり、それからうんと大きく背伸びをする。
「んん-……さて、次の目標が分かったね。穂澄ちゃんが戦えるように訓練を積む。そして、ショッピングモールのダンジョン攻略を目指そう」
「そうだね、でも遠いんだよね?その道のりでダンジョンが無いとも限らないよね」
瀬川の意見に、前園はこくりと頷いた。
「というか、絶対にあるだろうね……しばらくは、配信経験を積みながら進むしかないかな」
「穂澄ちゃんがちゃんと配信者になれるように、しばらくは訓練が必要だね。じゃ、次は素振りをやるよ、しっかり型を身体に覚えさせよう」
「あ、はい!分かりました」
「俺も!俺もやる!!」
元気に飛び跳ねる瀬川に一ノ瀬は思わず苦笑いした。
「はいはい……じゃ、始めよっか」
勇者一行は、どんな困難に見舞われようともただ前に進み続ける。
決して困難から目を逸らすことなく、逃げることなく。
始まりは、「勇者と名乗りたかったから」という子供じみた理由だった。だが、信念に満ちた行動はやがて彼を本物の勇者へと変えていく。
千戸 誠司の教育を経て、瀬川 怜輝は徐々に勇者という職業に近づきつつあった。
卒業式の日は、近い。
To Be Continued……
次から第三章です。